私の唄
今年の夏、1ヶ月間夏休みをとった。
きょうだいに囲まれ、男性と住み、シェアハウスに住み、常に誰かといた私にとって"一人で暮らす"という選択肢は今までの人生で皆無に近いものであった。
そんなベタベタのグズグズの天性の共依存型であり人間がだいすきで仕方がない私が、まるっきり山間部で一人ぼっちで暮らしてみたのだ。我ながら大それた選択だったと思う。
見知らぬ土地でようやっとひとりになった私は、自分のこれからの人生のことや今までの自分の人生を振り返る、所謂「自分と向き合う時間」というのを存分に作った。
そんなときに行き着いた考えはやはり"愛"だった。
家族の愛、自分の名前の由来、どれだけ自分が愛されてきたか、そして人を愛しているか、いろんな愛について考えた。結論、私はたくさんの愛をもらい、そして愛を与えられる人間だと思った。今もとてもとても愛している人がいる。
ふと、この愛について考えたときに思い出す唄があった。
10年以上前にある人が詩を書いていた。
当時書いてもらったこの詩が好きで好きで、今でも自分の手元に置いてある。
『愛の理』
私が貴女を愛す理由
貴女が私に勇気をくれるから
貴女が私を愛す理由
そこに確かな道標があるから
親が貴女を愛す理由
何者にも変えられない無償のものがそこにあるから
貴女が親を愛す理由
そこでしか感じられない温もりがあるから
彼が貴女を愛す理由
繋いだ先に笑顔があるから
貴女が彼を愛す理由
そっと寄り添える場所があるから
みんなが貴女を愛す理由
貴女という存在が私たちの宝だから
貴女がみんなを愛す理由
一人でいる強さを与えてくれるから
愛される理由
愛する理由
形のない不確かなもの
それでも私は貴女のことを愛しています
当時の私にはこの言葉を理解するには蒼かったな。でも今でもずっと蒼くありたいな。くすぐったいくらいに。