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子ども時代に出合う本 #05 子どもに本を手渡す
運命を決めた『子どもの図書館』
子ども時代に、福音館書店の世界傑作絵本や岩波書店の岩波子どもの本に出合って絵本の面白さを知り、小学校中学年以降、当時子どもの本の黄金時代の恩恵をうけ、例の『アンクルトムの小屋』で本を読むのが大好きになった私は、図書館に通いながら岩波書店の「くまのプーさん」に「ナルニア国ものがたり」、「長くつ下のピッピ」などを司書さんに勧めてもらって、それらの作品に夢中になりました。その後はドストエフスキーやヘミングウェイなどの海外の文学から、川端康成に三島由紀夫、福永武彦などと手あたり次第に乱読していました。
大学では児童教育学科に進むのですが、そこで出合ったのが石井桃子さんの『子どもの図書館』(岩波新書 1965)でした。2年生で履修した児童文学論の副読本でした。自分が子ども時代に親しんできた作品の名前がたくさん出てくるので、自分の子ども時代と重ね合わせて読みました。
中心のテキストはリリアン H.スミスの『児童文学論』(石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男/訳 1964)
この2冊は、その後の文庫活動や図書館司書として働いていた時、その後の図書館の児童サービス研修担当として仕事をしている時の、確固たる足場となり、本を評価する時の指針となりました。
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実家を処分するときに行方不明に
今手元にあるのは2015年に出版された
岩波現代文庫版
『子どもの図書館』は、石井桃子さんが荻窪のご自宅で試みた子どもの図書室「かつら文庫」の七年間の経過報告と、石井桃子さんが海外で見てきた児童図書館の様子が記されています。
私は、「自宅で子ども図書室が出来るんだ!いいなあ。私、将来結婚して家庭に入ったら子どもを育てながら自宅で文庫をやろう」と、読み終わって、そう心の中で決めました。
私が大学生だったのは1978年~82年。まだ男女雇用機会均等法もなく、女性の就職は教師や看護師のような専門職でなければ、結婚までの腰掛と考えられていた時代です。
母や叔母たちには、4年制大学進学について「女の子は学をつけないほうがよいのよ。可愛げがなくなって扱いづらくなるからね。家から通える短大でも幼稚園免許取れるじゃない。」と反対されたのです。(大学院に進むと言ったら、叔母たちにはもっと呆れられました)
今、思えばジェンダーギャップの大きい、前時代的な発言です。でもその当時はそれが普通だったのです。
なので、私の中に大学卒業後に幼稚園教諭として働くとしても、いつか家庭に入ることになるだろう。その時は、家庭文庫をすることで学んできたことを生かそうと思ったのです。
そういうわけで、この本は私のバイブルになったのでした。
読み手と聞き手の間に
さて、『子どもの図書館』で一番印象に残っているのは、石井桃子さんがある出版社の『×××昔話集』という本を試しに小学2,3年の子どもたちに読んであげたときの反応について書いてあるところ。
さし絵や製本はあまり良いとは思わなかったけれど、文字も大きく2,3年生向けとしてどうかな、子どもたちに読んであげてから文庫に置くかどうするかを決めようと読んであげたそうです。
しかし、5,6行読んだところで、子どもがついてきてないなと感じて、別の本に変えたというのです。
途中で読むのをやめた本について、「この本をつくった人は、いまも昔とかわらず、おなじように子どもをひっぱってゆく力は、何かということをつきつめて考えないで、現代の子どもたちには、現代風にと会話などをたくさん入れて、小説風な再話をしていた」と書いてあったのです。
「昔話も、かなり原型に近いものでないと、その実力を発揮しません。昔話のなかにある、子どもをひっぱる力は何か、ということを理解しないで、再話者が型を切りくずしてしまうことがあるからです。」
子どもをひっぱる力・・・これこそが大事なんだな。
私が子ども時代に母に読んでもらった絵本にはそれがあったのだと思いました。
お話を語っていても、絵本を読んでいても
「読み手と聞き手の間に、ぴいんと糸がはられたような感じのする話があります。これは、たとえば、えさを放ると、くっと魚がくいついたり、いい風をうけて、凧が高くあがったりしたときの手ごたえに似ているかもしれません。」
この感覚、子どもに本を読んであげたことのある人はわかるでしょう。そんな時、読み手と聞き手の波動がピタッと合う瞬間があって、読んでいて背中がぞくぞくする感じがするのです。
そんな体験を、子どもたちと重ねていけたら、どんなにいいだろう。そのためには、どんな本を選ぶかが大事なんだと思いました。そこで大学では絵本について学ぶことができるゼミを選びました。
ゼミではどんなことを学んでいたかというと、絵本の読み比べをして絵とテキストの検討、絵本の装丁などの検討したり、それから実習先などでの子どもたちの反応を記録し、検討することなどでした。
子どもと絵本と遊びと
私は大学院を修了後、父が園長を務める教会付属幼稚園に就職しました。
保育の中で大事にしていたのは、子どもたちが心置きなく遊び倒せるような環境を用意することと、子どもの自由な発想を生かすことでした。なので、いわゆる学習の時間というのはありませんでした。
田舎なので、グランドだけは広い。思いっきり走り回ったり、広い砂場で川を作って水を流したり、グランドの周囲の茂みで虫を捕まえたり、あるいは竹馬で遊ぶ子、一輪車に乗る子、雲梯や登り棒で遊ぶ子など思い思いに遊んでいました。
子どもたちは知的好奇心に溢れ、エネルギッシュで、創造性に満ちていました。
そんな子どもたちが一転、静かに集中する時間がありました。それは帰りの輪の時間。みんなの帰り支度ができると絵本タイムです。絵本を読んでると子どもたちが物語の中にぐぐぐぐっと入り込んでくるのがわかる瞬間がありました。
まさに「読み手と聞き手の間に、ぴいんと糸がはられたような感じ」でした。
そんな絵本に出会うと、翌日には自然発生的に劇遊びに発展したり、絵本の中の面白い言い回しを、遊びの中で使っていたり。子どもたちが絵本を読んでもらって、登場人物に感情移入し物語を体験することによって、ことばを覚え、想像力を育くんでいる様子が面白いほど伝わってきました。
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「もう一回読んで」といわれて何度も繰り返していました。
幼稚園教諭として働いたのは大学院修了後の2年間でしたが、この時感じた子どもと一緒に絵本を楽しむという感覚は、我が子達との生活の中でも日常となっていったのでした。
〈あとがき〉
子育ての中の絵本について書くつもりが、やっぱり学生時代のことを書いておかなきゃと予定変更しました。
私が卒業したのは福岡、西新にある西南学院大学です。現在は、人間科学部児童教育学科になっていますが、当時は文学部児童教育学科でした。
キリスト教主義に基づいた人間理解と、子どもの成長発達について、子どもの視点から、何が最善なのかを学ぶことができました。
この大学での学びと精神は、その後の文庫活動の中でも生かされています。
(続く)