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子ども時代に出合う本 #09 1歳児と絵本

繰り返し読むという行為


我が家の子どもたちの場合、4人それぞれ個人差はありますが、1歳を前に少しずつ意味のあることばを発するようになっていきました。

といっても、最初は唇の動きで偶然出てきたような「んまんま」「んぱっぱっ」というような音、いわゆる喃語と呼ばれるものなのですが、それに反応しているうちに意味のある「まま」「まんま」みたいなことばに変化していきました。

1歳になった時には、それでも意味のあることばはせいぜい2~3語だったのが、2歳になるまでの1年間で爆発的に語彙数が増えていきました。

子どものことばの発達研究の第一人者、岡本夏木氏の『子どもとことば』(岩波新書179  岩波書店  1982)によると、子どもがことばを獲得していく過程には

1)喃語としての自発的発声として出発したものが意味をもち、模倣が出来るようになる(10か月ごろまで)
2)模倣的に発生したことばを自発的に発声するようになる(10か月~1歳2か月ごろ)
3)模倣的発声と自発的発声が同時形成される(1歳2か月以降~)

という3段階があるというのですが、3)の模倣的発声と自発的発声とを促すのに、絵本はとても役に立ったなあという感じがありました。

たとえばロングセラー絵本として、日本で一番売れている『いないいないばあ』(松谷みよ子/文 瀬川康男/絵 童心社 1967)は、長男が生まれた35年前、大学院の同期の友人が『がたんごとんがたんごとん』(安西水丸/作 福音館書店 1987)とともにプレゼントしてくれたものです。


「いない いない ばあ」が繰り返し出てくるのですが、まず「ばあ」を一緒になって声に出して言えるようになりました。

「ばあ」ということばとともに、隠していた顔が出てくる。絵本の中の動物たちの表情と、母親が見せる「いないいないばあ」の動作とが結びつき、意味のあることばとして、すとんと理解が進んだと感じられました。


『がたんごとん がたんごとん』は、まさに長男が生まれた年に出版されています。長男が生まれたのが3月末で、先輩が我が家に会いに来てくれたのが香港へ引っ越しする直前の6月末のこと。絵本の奥付をみると1987年6月30日発行になっているので、まさに新刊で出たばかりの絵本だったんですね。

この絵本も、1歳児の発語を促してくれました。

「がたんごとん がたんごとん」「のせてくださーい」ということばが、繰り返されるのですが
その度に、長男が絵本には書いていない「はーい」と反応するのでした。


長男が5か月になった1987年8月に夫のいる香港へ引っ越しました。08でも7書いたように、日本の絵本は限られた数しかありませんでしたが、繰り返し、繰り返し読んでいたことが、幼い子どもにも次にどんな展開があるかという予想が出来て、自分から期待して持ってくるようになりました。


自分の生活に密接なものだからこそ


もうひとつ、何度も何度も読んでいたシリーズがあります。林明子さんの「くつくつあるけのほん」4冊組(福音館書店 1986)を、実家の母にプレゼントされていたのです。



このシリーズは1986年の出版です。もう36年、赤ちゃんたちに親しまれてきているのですね。

1歳で歩きはじめた長男は、『くつくつあるけ』の絵本と自分の靴を持ってくると、「あーあー」と言いながら、「これとこれは同じだ」と訴えるのでした。

自分の生活の中にあるものに名前があるということに気づき、自分が身につけているものが、絵本の中にも描かれているという発見をしているのでした。

「くつくつ あるいた ぱた ぱた ぱた」
「ぴょん ぴょん じょうず じょうず」

絵本のことばに合わせて、とびはねたりと動作をしながら、ことばのリズムと意味を身につけているという感じでした。

このシリーズの、『おててがでたよ』『きゅっ きゅっ きゅっ』は特に、1歳代の子どもたちの日々の生活に密着していて、特に親しんだ絵本です。

子ども時代に一番大切なのは、いろいろな体験をすることです。生活すること、そのものが幼い子どもにとっては、初めてのことばかり。

くつを履いて歩くことも、自分でスプーンをもって食べることも、お着替えをすることも。その動作、ひとつひとつが絵本の中でことばで表現されていて、それを読んでくれる人がいる。

耳で聞いて、目で見て確かめて、自分の体験と結びつけて、ことばを覚え、認知していく。その過程を『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』を書いたメアリアン・ウルフは、巨大なサーカスのテントの下で「三つの円形舞台サーカス」のようなことが、脳の中で行われていると、表現しています。(p32~33)
つまり脳の視覚、言語、認知の基礎になる領域が活発に活動し、運動機能や感情機能を総動員しながら、ことばの意味を受け取っていくのです。

体験をことばにしていく、そうした過程に絵本があると、認知していく際の助けになっているのだと思います。

もちろん絵本がなくても、体験をことばにして、語りかけてくれるおとなの存在があれば大丈夫です。でも、絵本が寄り添ってくれたら、親子ともどももっと楽しくことばに出合えるってことも、知ってほしいなと思います。


世代を越えて読み継がれる絵本


トップ画像を撮影するときに、すっかり忘れていた『おつきさま こんばんは』も、一緒に感情移入してお月さまを隠していた雲がとれると、ホッとした表情をしていました。
この絵本を一番好きだったのは、四人目の次男でしたけど・・・


今、思い出すと長男だけでなく、下の子たちも同じような絵本に同じような時期に出合って、親しんで、大きくなっていきました。
絵本は、一代かぎりでなく、繰り返し、繰り返し、親しめるのが良いところ。

「くつくつあるけのほん」を読んでもらっていた長女がお母さんになって、孫の家の本棚にもそれが並んでいるのです。

同じ絵本を世代を越えて読み継ぐというところにも、意味があると思っています。


目に惹きつけられて


長男が1歳だった時に好きだった絵本のひとつが『ももたろう』(松居直/再話 赤羽末吉/画 福音館書店  1965)でした。




テキストそのものは読むと1歳児には長いおはなしで10分弱かかるのですが、なぜかこの絵本をよく持ってきていました。

表紙に描かれているももたろうの目に惹きつけられていたのではないかなと思うのです。いずれ4歳のところで書く予定ですが、長男はそのころに同じ赤羽末吉氏が描く『スーホの白い馬』を気に入って繰り返し読んでともってきました。



最初の頃は

「ももたろうは、
一ぱいたべると、一ぱいだけ、
二はいたべると、二はいだけ、
三ばいたべると、三ばいだけ、
おおきくなる。」

「おにがしまの おにがきて、
あっちゃむらで こめとった。
があー があー
こっちゃむらで しおとった。
があー があー
ひめを さろうて おにがしま。
があー があー があー
と なきました。」

というリズミカルなことばの箇所は喜んで聞いているのですが、最後まで集中していくことは無理でした。それでもなぜか、この絵本を「読んで」と持ってくるのでした。

なので、諦めずに繰り返し読んであげているうちに、2歳になるころには最後まで聞くことができるようになったのです。

「めでたし めでたし」

きっと、海外で家にあった絵本の数が限られていたということもあるでしょう。書架で、いつも目が合う『ももたろう』は最後まで聞けなくても、1歳の長男の心を捉えていたのは間違いないのです。

赤羽末吉氏は、幼い子どもの本だからこそ、芸術性と品格が大事だとおっしゃっています。その妥協しない、つまり子ども向けだからと下手にかわいいだけの絵ではなく、日本画家として最高の技で描かれた作品には、幼い子どもを惹きつける力があったのだと思います。

『ももたろう』との出合いが原点にあって、4歳での『スーホの白い馬』体験へと繋がっていくのでした。


(続く)


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