”繋がり”多様
おはようございます。
chi(ち)です。
今日私がお話したい事は「繋がり」です。
今SNSでも、リアル(学校、会社等)でも
人と繋がる方法はいくらでもあって
沢山の人がその中で楽しんでいる一方
苦しんでいることも多くあるように思えます。
私もその内の一人です。
繋がりが増える分問題に直面することも
確率的に増えるのは当たり前ですね。
その中でコミュニケーション能力ってとても大切で
ただ仲良く出来ればいいということではなく
コミュニケーションをとりながら
相手の意をうまく汲み取ることはもちろんなのですが
自分を表現する
→自分も相手もを傷つけない表現
これが本当に難しいと最近痛感しています。
”他人を許す”とは。
人を許すことが出来なかった私です。
実は昨日まで、
そう36歳と133日かかりました。
マラソンやサイクリングレースなら
足切りされるような遅さ。(笑)
私は指示通りに動かない、確認をしてくれない人が苦手です。
「なんで?言ったじゃん!!!!」
という怒りが爆発してしまいがちなんです。
怒って相手に怒りぶつけてしまうタイプです。
一番よくないよね。
ただ、自分で実感したことをいろいろ噛み砕いた結果
「起こったことは仕方がない。」
「彼(彼女)にも何か考えることがあったんだろう。」
そう思えるようになりました。
噛み砕き方法は、まず自分と他人で比較したことです。
甲乙つけるのではく状況や心情を見比べました。
あれ?なんでこうなっちゃったんだ?
こんなつもりじゃなかったのに。
そんなこと私は毎分、毎秒あります。
でも、そのたびに私は自分をとてつもなく責めていました。
私はダメな人間
だから結婚出来ない(これは認知の歪みでありますように←)
だから要領が悪い
だからダメ
だから悪い
・
・
・
この思考が自分を苦しめていることに気付きました。
今までずっとそういう思考だったから
自分が思う正しい道から外れると
もうダメ。
そればかりが私の頭の中でぐるぐると渦巻くのです。
その思考をまるごと他人にもぶつけていることに気付きました。
怒りの感情が先行しすぎて自分の考えが正当化されすぎていたのです。
”友人に話してみて…。”
私はよく古くからの友人たちに
「今日こんなことあってさーまじだるくてさー。」
と、心にとどめておきたくない気持ちを出す時があります。
でも、最近その友人たちも
「気にしすぎ!」
「しょうがないよ!」
と、バッサリ。
うん。わかってるけどなんか寂しいな。
と、思いながら会話終了。
また文句言ってるよコイツって
思われてるんだろうか。
と、被害妄想が始まりその友人たちには話すことがなくなりました。
しかし、今noteで打ちながら思いました。
子育て真っ盛りの友人にこんな話しても
向こうもそれどころじゃないよなって。
そりゃバッサリいくよ、だって彼女たちは
日々瞬間瞬間のことを乗り越えしのぎながら走っているんだもんね。
彼女たちには悩んでる暇すら与えられていないことに今気づいた。
いつだって自分が1番可愛いの私の被害妄想がきつい!!!!!(吐血)
と、脱線しましたが…。
暇だと人は不安になるは案外本当かもしれない。
(でも、これは言いたい。暇ではなかったと。)
”まず楽しむこと”
また、別の友人に親身に聞いてもらった上で
「もっと肩の力抜いていこう、まずは楽しもう。」
そう言ってもらってから
「まず楽しむこと」を、意識しました。
すると不思議。
今まで捕らわれていた考えからほろほろと解放され始めたのです。
”何のために”
そもそもなんで平均をとらないといけない?
普通って何?
自分の今までの思考に疑問が出始めました。
そこまで何故しなきゃいけない?
誰のため?
何のため?
自分がそうしたいから「だけ」だよね。
と、いうところに行きつきました。
もちろん仕事で会社員でいる以上
利益あげたい、誰かの為になりたい、効率化させたい、評価あげたい
漠然としてますが、ざっくりでも色々あるんですけど
悪魔でそれは自分がしたいからであって
他人には関係がないことだなと。
~しなければならない。
~あるべき。
そんな考えを繰り返していたことによって
自分にも他人にも厳しくなってしまっていたことに気付きました。
そして、他人にも自分にもミスは許されないと、縛り付けていたんです。
”繋げていく”
私の怒りは沸点が低く
爆発具合もまーまーなので
とてもじゃないですが堪えるのに苦労します。
ですが、経験を踏まえて、
まずは怒りに堪える。
自分はこうしてほしかった旨を簡単に伝える。
感情をぶつけずに「悲しかったな」と感情を言葉にして伝える。
どんな状況だったのか聞いてみて共感し
仕方がなかったねと、寄り添う。
一緒にやっていく上で今後どうしようかと歩みを揃える。
この行動に至ったのは友人から言われた
「まず楽しもう。」からです。
この言葉はあの時の私の状況に目線に合わせてくれた言葉だと
私は受け取ったのです。
その友人の優しさに感動したことをまた違う他人へと
繋げていきたいと思ったからです。
悩んで病んでしまう程苦しむのであれば
ガンガン行動して苦労していく方が前に進めるのではないか
とにかく走ってみるかと思わせてくれた
育児真っ盛りの友人たちの
「うん!しゃーない!」このスルースキル。
自分に足りてなかった部分。
この言葉、一見思いやりなさそうだけど
「時間もったいないよ」
「楽しいこと探してみよう」
と、捉えることが出来ました。
考え方次第と、よく聞きますが
本当にその通りだなと思いました。
”出会えた友人たち”
これらの話で出てきた友人たちは
古くからの学生時代もいれば
つい最近出会ったオンラインゲーム、TwitterなどのSNSで
繋がった友人です。
出会い方はいろいろですが
こうして知り合えていろいろ話せる仲の友人が出来たこと
とっても嬉しいし誇りなのです。
オンランゲーム?やばくない?
SNS?それって出会い系?怪しくない?
よく言われます。
見極めは大事だと思われますが、
私はそのような偏見は好きではありません。
(うっせーよ、バーカ。令和だぞ?)
この時代にそんなことを言うのはナンセンス。
それこそ他人は他人、うちはうち。
私は沢山の人に出会うことで
自分が豊かになることを感じることが多いのです。
(自分が空っぽに感じるから他人に依存しがちなのは
注意したいところではあります。)
他人と沢山関わることで、その分辛い思いもしましたが、
今周りにいる人たちが好きすぎて感謝しかありません。
生きている限り辛いことは絶対あるけど
その分幸せもがっつり回収してやるからなと
私の揺るがない決意、ここにあります。
この感謝と決意は全て私と出会ってくれた友人たちの
あたたかさによって構成されています。
どんな繋がり方でもいい。
自由なこのスタイルで沢山の人と幸せを紡ぎ
苦労は支え合えればと思っています。
その為にもまずは自分を大切にする、許す。
そうすることで他人を許せる、愛せるのだと思いました。
繋がり合うことでこの考えが出来たのです。
本当にありがとう。