感受性と書いてエクスタシーと読む
小学生のときに見たテレビ金八先生で
茨木のり子さんの「自分の感受性ぐらい」という詩を
紹介していた。
当時はへえ~こんなのあるんだ~ぐらいだったが
なんだがずっと忘れられずにいる
思春期真っ只中の中学生高校生を過ごしている最中も年に2回ぐらいは思い出して心の中で唱える
「自分の感受性ぐらい 自分で守ればかものよ」
むかしっから”感受性が豊かね~”と言われ育ってきた。
喜怒哀楽が激しいのだが、豊かだと言われるとなんだかうれしかった。
だから感受性という言葉はとても身近にあった。
人との交流こそ人生の醍醐味であり命綱である私にとって、この感受性はわたしになくてはならないもの。
タバコも酒もしないので独特なコミュニティを作りづらい。
ちょっとタバコ行く。
あ、わたしも。
じゃあおれも。
気づいたらあんまり知らない人と二人っきりだったりへたしい一人にされる
あれやめたほうがいいですよ?ww
結構さみしいですよww
なにがいいかなー。
なにか独特なコミュニティでたくさんの人とつながれる方法は・・・
と考えた結果
「あ!スナック!」
全ての人を受け入れる器は持ち合わせていないので
限られた人であり好奇心のベクトルが同じっぽい人とつながれる気がする
名前は「スナック感受性」
”こころが揺さぶられる体験を”
こないだイベントで(勝手に)開店してみたら
あっという間にお客さんがたくさん来てくれて
たくさんはなしができて
とっても楽しかった
そのとき来てくれたお客さんがふと言った
「感受性って書いてエクスタシーって読むんやろ?」
これにはほんとに心が揺さぶられた
いま必死で命綱を紡いでる
いまが一番楽しい
思うがまま書いてるので文章の構成とか全無視~
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