孫と爺ちゃんの会話
連休に孫が田舎の爺ちゃんを訪れた。爺ちゃんも婆ちゃんも社会人となった孫の顔を久しぶりに見て会話も弾み笑い声も絶えない。夜にお酒も入る中、こんなやりとりがあった。
孫 「お爺ちゃん、最近なにして過ごしているの?」
爺 「シルバー人材として週に2、3日、午前中に働いてるちゃ。
伐採木材を破砕してチップにしてから堆肥を作る肉体労働じぁ」
孫 「80才を過ぎてまで大変だねえ。仕事はサボれるの?」
爺 「サボる…?どうしてサボらなきゃいかんのかえ」
孫 「監視する人いないんでしょ」
爺 「監視する人がいなくても仕事はちゃんとせんといかんじゃろ」
孫 「重労働だから、サボったらいいじゃん。仕事は楽をしないと」
爺 「サボるっちゃぁどういう料簡かいな。どうも話の通じん人だちゃ」
孫は冗談ともつかぬ話を笑いを交えながら続けた。爺ちゃんは最初こそ機嫌よく話していたが、やがて首をかしげるような口調にかわり、終いにはあきれ気味に独り言(ご)ちて会話を打ち切ってしまった。卓を囲み夕食を楽しんでいた家族は笑いでごまかしながらも一瞬鼻白んだ。
爺ちゃんの労働観
仕事に対する考え方の世代間の違いを映しだすやりとりだった。爺ちゃんは戦中生まれで、戦後の食糧難やインフレといった生活苦を子供ながらに経験し、生きるために必死で働くことを強いられた世代に属する。高度経済成長期には企業戦士としてがむしゃらに働き、頑張れば頑張った分、生活の向上につながることも体感してきた。仕事とは食べて生活をするための行為であるため、誰が見ていなくともサボろうなどという発想は、ひとかけらも頭にない。
爺ちゃんのような古い世代には、仕事があって暮らしていけること自体がありがたいことであり、たとえ与えられた職務が大変だったとしても責任をもってそれを遂行するのが当然だという価値観がある。そんな世代からすれば「サボる発言」は、職業倫理や生活道徳がなっていと感じられ、非難の言葉も浴びせたくなる。
孫の主張
片や、会社勤め4年目の孫は決して職務をないがしろにしているわけではないのだろうだが、仕事は生活と自己成長のための手段であると同時に、仕事以外のマイライフも充実させて効率よく人生を楽しみたいと考えている。仕事と生活は別次元の領域でありそのバランスが大切だ。同じ給料を頂戴するのであればできるだけ楽な方がいいし、自分の成長に繋がらない内容であれば手を抜き、サボるのはむしろ賢い働き方だと捉えている。
若い世代は豊かで満たされた時代に生まれ育ってきたので、仕事は生活するための活動でありながらも、職務が納得できるものかどうか、自己成長につながるのか、ワーク・ライフバランスを保てるか、などが重要な基準となる。気に喰わぬ任務を黙って遂行することなど、できれば避けた方がいいと考える。
こうして爺ちゃんと孫には仕事に対する考え方に相当の開きあるので、会話がかみ合わないのも当然だ。
多世代共存
世代間ギャップだと簡単に片づけるわけにはいかない。そもそも多くの人が必死になって働かなくてもよい「豊かな社会」を築いてきたのも、「自己成長」だの「効率性」だのの価値観を社会に蔓延させてきたのも、爺ちゃん婆ちゃん、両親の世代であり、孫である若者はそうした条件や価値観を否応なく受け入れさせられそれに順応することを求められた世代なのである。この世代間ギャップは、古い世代と若い世代一緒になって生み出してきた結果であり、責めてどうなるものでもない。
第一これからの社会はこうした新しい価値観の若い世代が担ってかざるをえないのだし、仕事現場でもそうした考えが当たり前になって行くのだろう。最近、4月に入社したての新入社員が1か月もたたずに離職するケースが増えてきたという報道があった。理由は「自分が思い描いた職場ではなかった」「望む仕事をさせてもらえない」「上司がパワハラのような暴言を吐く」…。
古い世代からすると「初めから自分の思い通りの仕事などできるはずがない」「多少いやなことでも自分の為と思って頑張るべきだ」「仕事に厳しさはつきもの」等々と一つ一つ諭したくなるだろう。仕事は人様との関係の中で成り立つ活動である以上、多くの経験を積んできた古い世代の見方には一理も二理もある。しかし、若い世代は豊かな条件の中で、自己を磨き、いかに効率よくパフォーマンスを発揮するかを求められて育ってきたので、古い世代の価値観で諭されても納得はできまい。自分の力で早く良い結果を出しなさい、と若者に言い続けて来たのは間違いなく古い世代と彼ら主導して作ってきた社会なのである。
社会の進歩
孫の発言も、爺ちゃんの主張も間違ってはいない。しかし衝突をする。こうした価値観の相違と衝突を前提としながら社会は進んでいかざるを得ない。「近頃の若者は…」とか、「昔は・・・だった」などといっても始まらない。価値観の変化と衝突をうまく調整していくことで社会は進歩していくのだろう。連休中の鼻白む会話からこんなことを感じた。 (2024.5)