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三余の読書④ 江崎誠致『ルソンの谷間-最悪の戦場 一兵士の報告』光文社NF文庫 1993年(1957年公刊)

無常なる人間  人間は状況に応じていかようにも変わる。そして極限に置かれた時にこそ、その人の「人となり」が露呈する。そんなことを強く感じさせる本作品は終戦末期にフィリピンに派遣された兵士らの逃避行録である。ルソンの山中をさまよった兵士による実録のようでもあり、フィクションのようでもある。しかし非日常の苛烈な状況に追い込まれた人間心理と行動の、克明で具体的な描写は、実際にその場を身を以て体験した者でなければなし得るものではあるまい。  1945年4月以降、アメリカ・フィリピ

    • 孫と爺ちゃんの会話

       連休に孫が田舎の爺ちゃんを訪れた。爺ちゃんも婆ちゃんも社会人となった孫の顔を久しぶりに見て会話も弾み笑い声も絶えない。夜にお酒も入る中、こんなやりとりがあった。  孫 「お爺ちゃん、最近なにして過ごしているの?」   爺 「シルバー人材として週に2、3日、午前中に働いてるちゃ。     伐採木材を破砕してチップにしてから堆肥を作る肉体労働じぁ」  孫 「80才を過ぎてまで大変だねえ。仕事はサボれるの?」  爺 「サボる…?どうしてサボらなきゃいかんのかえ」  孫 「監視す

      • 土成り、人成る③ 中道子山城(播磨)

         「志方(しかた)の城」と地元の人が呼ぶ中道子山城は、姫路城と三木城の中間あたり、現在の兵庫県加古川市に位置し、南に「湯山街道」をおさえる優位な地にある。標高271メートルとさほど高くはないものの周りに比肩する山がないので、見晴らしが効き近辺四十ほどの山城を視野に収められたという。山上曲輪群は東西約二百メートル、南北約二百メートルにわたり、山すそを含めれば広大な山城で、東播磨地域で最大規模と言われている。播磨地方に権勢を誇った赤松氏が重要拠点の一つにしたこともうなずける。とは

        • 土成り、人成る② 瀧山城(摂津)

           神戸の六甲山系一角に「布引ハーブ園」という観光地がある。新幹線新神戸駅からロープウェーで一気にのぼったところにある植物園で、そこから三宮の街、神戸港を一望できる。天気が良ければ大阪湾や淡路島まで遥か見渡すことができる。今では憩いと安らぎを与えてくれるこの行楽地も、かつては戦を想定した山城の一部だった。標高316メートル(比高250メートル)は山城として特別高いとは言えないが、海に迫っているため下から見上げれば難攻牽制の威圧感があり、上から見下ろせば海沿い西国街道や兵庫津、灘

          三余の読書③ フロム『自由からの逃走』東京創元社(原著1941年)

           ナチス・ヒトラーは独裁政治を通じて人類史を汚す蛮行を行った。ヨーロッパ、世界を戦争に巻き込み、600万人に及ぶユダヤ人を政策的に虐殺した。しかし、ヒトラーは武力や強権のみで絶対的権力を確立していったわけではない。民主制度に基づく国民の支持を得て政権を獲得していった。しかも当時の世界では最も先進的民主的といわれたワイマール憲法の下で自由な選択を保証されたドイツ国民による支持を受けてナチス政権は誕生したのである。自由を与えられた人々がなぜ自由を束縛する独裁を自ら選び取っていった

          三余の読書③ フロム『自由からの逃走』東京創元社(原著1941年)

          土成り、人成る① 山城の楽しみ

           少し前から城廻りを時々している。城といっても大阪城や姫路城のような立派な平城よりも、天守閣、櫓といった建築物のほとんどない山城を好んで訪れる。標高200~300メートル、高くても400~500メートル程度のいってみれば小山が多いので、軽いハイキングである。 城は砦  そもそも「城」といえば、満々と水をたたえた堀と美しく積まれた石垣に囲まれる三の丸、二の丸そして本丸からなり、最重要拠点の本丸には三層や五層からなる立派な天守閣が聳え立つ、といったイメージが一般だろう。しかし

          土成り、人成る① 山城の楽しみ

          三余の読書② セネカ『生の短さについて』岩波文庫

             書名をみて実際にこの本を手にしようとする人は次のうちのいずれかだろう。①悠久の人類の歴史に照らして一人の人間の生きる時間がいかに短く、また生きている間にできることがいかに限られているかを慨嘆する者、②現在関わっている仕事があまりにもくだらないと感じ自分が何のために生きているのだろうと悩む者、③残された年数を現実的に数え始め終活を意識し始めた者。これらのうちのどれかか、或いは複数に該当するだろう。かく言う小生は明らかに③に動機があるが、以前に読んだ時には②だったような気も

          三余の読書② セネカ『生の短さについて』岩波文庫

          芸術の都 パリ

           そこかしこに芸術美溢れるパリには圧倒された。壁面、窓枠の隅々にまで意匠を凝らす建築群、技の粋を集めて荘厳さを際立たせる教会の数々に目をうばわれる。凱旋門や広場のオベリスクに施された彫刻は祖国の栄光と英雄を表情豊かに表現し、見る者に力を与える。王侯貴族の宮殿・館ともなれば柱、梁、壁、天井、あらゆる部位が絵画、レリーフ、タペストリーで飾られる。金や象嵌、組み木を施した美術品の如き家具調度類が部屋の雰囲気をさらに重厚にする。  通り沿いの一般建築物でさえ、その形状、門扉、出窓に

          芸術の都 パリ

          フランスのカフェ文化 

           パリの街にはいたるところにカフェがある。カフェにはいろいろ考えさせられた。 お外がお好き?  その第一はフランス人の「お外好き」。大抵のカフェは通りに面しており、入り口、窓際に沿って日よけを出し、歩道の一部を占拠してテーブルや椅子を並べる。「テラス」というらしい。客はみな店内よりも外に座りたがる。陽気のいい日には外の方が確かに気持ちがよい。しかし大通りに面して車の排気ガスが舞っている気もするし、通行人が袖ふれぬばかりに歩いてもいるので落ち着かないのではといらぬ心配までし

          フランスのカフェ文化 

          フランス熱

           10月にパリに2週間ほど滞在した。帰国後しばらく不眠症が続き、ついには風邪をひいた。夜中に目が覚めると、朝まで寝られないのが、10日たった今でも続いている。時差ボケかと思っていたがどうも違う。「フランス熱」におかされた模様。夜半目が覚めると、パリで見た光景が目にうかび、つぎつぎとフランスで得た感情がよみがえってくる。読書をして眠りに戻ろうと枕元に置いたフランスの歴史、小説などを手に取ると、ますます精神が昂揚して、ついには寝ころんで読んでいるよりも机に向かったほうがよいと起き

          フランス熱

          感情と時の流れ-文楽の語り

          うれしや、悲しや、恨めしや  淡路人形座で文楽をみた。演目は近松半二による名作『傾城阿波の鳴門』巡礼歌の段。年端も行かぬ娘が生き別れた両親を探しに阿波の国を出てひとり大阪に巡礼の旅にある。お布施乞いに訪れたのが偶然にも探し求める実母の住む家。父母は、阿波で仕えるお家のため故あって、3歳の娘を預けて大阪に出た身。巡礼の娘がわが子とわかっても複雑な事情からそれを明かすことのできぬ母の、辛さ、悲しさ、恨めしさ。娘は差し出されたお金も遠慮して受け取らず、実の母と知らぬまま別れを告げ

          感情と時の流れ-文楽の語り

          多様性と言論の自由

           7月にトランスジェンダー者のトイレ使用に関する最高裁判決があった。それに関して議論をする機会があった。いつもは活発に意見を言いあう若い人らの口がなぜか湿りがちで雰囲気が違う。よくよく聞いてみるとジェンダーやLGBTQの問題は非常にセンシティブな領域なので、もしかしたら隣にいる人がカミングアウトできていない当事者かもしれない、だから軽はずみな発言はできない、ということらしい。なるほど、近頃の若者らしいやさしさと気の使いようだと感心した。他者の個人領域にはなるべく踏み込まず、他

          多様性と言論の自由

          三余の読書① 上田秋成『雨月物語』― 人こそ魔物

           ストーリー展開の奇抜さとテンポの小気味よさ、人物描写の繊細さ、素養に裏付けられた文体、これらを同時に備えた珠玉の短編集『雨月物語』。江戸後期に上田秋成によって書かれ、しばしば「怪談物」として紹介される。確かに全九編、死んだ某が現世の人を苦しめたり、魔物が人々をたぶらかす類の幻妖譚であるには違いない。しかしその幻妖譚を通じて描かかれているのは妖怪や魔物の恐ろしさ以上に、人の性(さが)や情愛、人間欲望の本髄ではなかろうか。社会のしがらみにとらわれない人間の在り方を求めた上田秋成

          三余の読書① 上田秋成『雨月物語』― 人こそ魔物

            火と人間

          氷ノ山  若い人らと兵庫、鳥取の県境にある氷ノ山(ひょうのせん)の山小屋に泊まった。1時間そこそこで登れる経路は山が初めてという者にとってもさほど厳しいものではない。ただ、7月末の晴れた高温のお昼すぎから登り始めたため、相当に体力を消耗し疲労した。熱中症にかかりかけた者もいた。真夏昼中の登山は禁物だ。  若い人にとっては「初体験」のオンパレード。“初“登山、“初“山小屋宿泊、“初”水電気なし生活、“初“流れ星…。驚いたのが「火」である。 火起こし  ガス電気がないので湯

            火と人間

          「神代の国」祝島

           2日間滞在した祝島はまったくの夢の島だった。神話と現実、過去と現在、自然と人間が溶け合う世界だった。  船で波止場に着いた時の祝島の印象はこれといった特徴のない漁村だった。コンクリート堤防、波除けのテトラポット、湾内に係留された漁船、海に迫る狭い土地に居並ぶ民家群。どこにでもありそうな漁村風景であった。お年寄りや住民が見知らぬ私らにも親しげに「こんにちは」と声をかけてくれるのも、都会でこそなかなか見られまいが、田舎ではさほど珍しいとはいえない。しかし島を見て歩き、島の人と

          「神代の国」祝島