床屋と面接と私 あと2ミリの髪の毛と1000円
去年の話。
突然面接の予定が入り、私は床屋を探していた。いつものところは予約でいっぱいだし、あまり探し回る時間もない。
近くに1000円カットがあることを思い出した。
しかし私は1000円カットにトラウマがあった。卒園アルバムの写真撮影前日に1000円カットのババアに好き放題バリカンを入れられ、のろま大将みたいな髪型で写真を撮ることになったのだ。
それ以来二度と1000円カットなどに行くものかと幼心に決めていた。だからこの選択は本当に屈辱であった。しかしまあ、背に腹はかえられぬ。そう思い1000円カットに入った。
「げえ〜〜〜なんだこれ〜〜〜!」
ジジイババアばっかである。
幸い、カットを担当しているスタッフは全員30代くらいの比較的若めの人たちだった。しかし、イケイケっぽい男性、笑顔が特徴的な女性、坊主。その3人のスタッフではその場の平均年齢など微動だにしないほど客層はジジイババアばかりだった。
「ゲートボール大会でもするのかな?」
そう思ってマジで帰ろうかと迷ったが、私には時間が無い。ひとり10分程度で終わるらしいし、渋々ここで髪を切ることにした。
支払い方法は1000円カット特有の事前に券売機でチケットを買うシステム。
私が財布を出そうとした時、私より後に入ってきたババアが私を抜かしてそそくさと券売機を使い始めた。このババア、どうやら常連のようだ。ババアとは思えない手際の良さで性別と年齢を入力し、発券ボタンを押した。するとチケットが2枚発券された。どうやらババアは間違えて2000円入れたようだ。「やっぱりババアはババアじゃねえか。老人Z(すげえジジババの意)かと思って損したわ」と思っているとババアが突然振り返り、
「やだ〜!間違えちゃった〜!これ使って〜!」
と、「60歳以上 女性」とデカデカと書かれたチケットをわたしてきた。色々言いたいことはあったが私も大人だ。こんなことにいちいちキレるまい。1000円とチケットを引き換え順番待ちをした。
表に書いてあった通り、ひとり10分ペースで客を捌いていくスタッフ。私は3人のうち誰が私の髪を切るのか気が気でなかった。このカット担当ガチャに全てがかかっている。坊主は嫌だ。欲は言わない。坊主以外で頼む。心からそう願っていた。正直、面接とかどうでもよかった。
「坊主は嫌だ…坊主は嫌だ…スリザリンは嫌だ…スリザリンは嫌だ…」
「アズカバン!!」
担当になったのはSSR坊主だった。ああもう終わった。この世で一番髪の毛に興味ない髪型してるじゃんこいつ。
この前のオメガモンピックアップガチャは散々な結果だったのに、こういう時だけはクジ運が良い。
私は、坊主が“あらゆる髪型の勉強をした結果、無我の境地に立った熟練者”であるわずかな可能性を信じ、ナメられないようにと手始めにチケットを渡す際、
「あの、間違えて“60歳以上 女性”って全然違うチケット買っちゃったッスけど、大丈夫ッスかね笑笑笑」
とジャブを打った。しかし坊主は鼻で笑っただけで何も言わなかった。
なんかルビーサファイアのすなかけみたいな音で笑ってた。
この野郎、坊主のくせに愛想までねえのかよ!坊主から愛想抜いたら何も残んねえだろうが!!
「君のいない 世界など 愛想のない 坊主のよう」
って野田洋次郎も歌ってたわ!!!
そんな気持ちを抑え、私はどんなふうに切ってほしいかの説明をした。
坊主は慣れた手つきで霧吹きを取り出し、私の肩に2吹きした。
その後、私の髪をとかそうとするのだがうまくクシが通らない。や、濡れてないんだから当たり前じゃん。
そしておもむろに私の髪を持ち上げたかと思うと、ハサミで空を切り始めた。そんなことある?
私は座標バグを起こした坊主を見て、笑いをこらえるのに必死だった。
すると坊主は涼しい顔をしてスキバサミに持ち替えた。
「ああ、なるほど!先に髪をすくタイプの坊主ね!ハイハイ!さっきの空振りは自分の中での正常な心とのせめぎ合いで起きてしまったのね!ロボットが暴走する映画とかでよく見るアレね!」
と、自分の中で強引に納得しかけた時、坊主がすいた私の前髪毛先2ミリが全部目に入ってきた。マジで全部だった。確実に意志を持って目に入ってきてた。
「え、ファンネル?熟練の坊主ってファンネルつかえるの?」
驚きのあまりそう思った。
抵抗できずに目を真っ赤にしている私を尻目に、坊主は私の襟足やらをちょちょいと2ミリすいた後、デカいホースで髪を吸ってカット終了。
「マジですくだけなのかよ」
「なんで2ミリだけなんだよ」
「床屋で距離制を採用すんなよ」
「なんで渡辺謙はハズキルーペのCM降ろされたんだよ」
言いたいことはたくさんあった。しかしこれ以上続けさせたらもっとひどいことになるんじゃないかと思い、私は席を立った。
“最後までポーカーフェイスを貫くこと”
それが私にできる唯一で最大の抵抗だった。
店を出る時、坊主からポイントカードを渡された。カードにはデカデカと「60歳以上 女性」と書かれていた。彼のほうが一枚上手だった。
やられた。負け。打つ手なし。ズタボロ。終わり。完全敗北。暗黒時代。
一敗塗地。超究武神覇斬。うんこ。
坊主の顔は見なかった。きっと王騎みたいな顔をしてほくそ笑んでいたに違いない。
私は2ミリの髪の毛と1000円と、もっと大事な何かを失った気がした。
で、この話を面接でしたら大ウケ。「君、いいね〜!」と面接官に言われたこともあってか、私は心のどこかですっかり坊主のことを許していた。きっとあの坊主にも色々あったのだろう。ニューヨークでサロンを開く夢やぶれ、1000円カットでジジイババアの髪を切っている自分に腐ってしまったのかもしれない。そう思うと憐憫の情を隠せなかった。
坊主、ありがとう! 坊主、さようなら! 坊主、FOREVER!
面接は落ちた。