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西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の1]
西洋哲学史と近代日本(1)
1.はじめに
1. ブログを再開します。8月と9月は休みました。9月も半ばを過ぎた頃、さて、ブログに何を書いてたんだっけ、と読み返してみた。ふんふんなるほど、と思いながら、ちょっと長いなと感じた。1回分が長い。1万字を超えている。長いものは1万5千字くらいある。それなりに細かい議論をこの長さで2週に1回書くのはなかなか大変だった。読み返すのもけっこう大変だった。というわけで、今後は1回分を6千字くらいにします。
2. 再開第1回は、「番外編2」とします。今回は「番外編2の1」です。表題は「西洋哲学史と近代日本」の(1)。
3. このブログは全体を「西洋近代と日本語人」と題しているので、西洋哲学史と近代日本の関係を考えるのは、話の内容からいうと、少しも番外ではない。でも話の順番からいうと、番外になる。予定では、村上春樹の『海辺のカフカ』を取り上げて、現代日本語人と暴力の問題を論ずるはずだった(その2:3.8, 3.9)。そしてそれが、本ブログ「その13」からの「4.暴力をめぐる点景、2000年代の日本」の締めくくりになるはずだった。だが、それは後に回して、番外編2をはさみます。
4. なぜ順番を崩すのか。理由は、少し大風呂敷を広げたくなったからです。芸術作品を手がかりに暴力と日本語人の関係を考えていると、どうしても議論が細かくなって行く。それはそれでいいとして、話の全体像は見えにくくなる。西洋近代と日本語人という大テーマに戻って、すこし大きな視野で話してみたくなった。
5. きっかけはある日の朝食時の家人との会話にあります。うちの奥さんはそのころユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳)を読んでいた。ハドリアヌスはギリシア哲学に傾倒しているが、すべての根底にあるのは力だと言う、あれはどういうことなのだ?との御下問があった。
6. こちらはユルスナールなんて読んだことないし、ハドリアヌス帝については、ローマの五賢帝、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウスと、あと一人だれだっけ、という山川出版社『詳説 高校世界史』の知識しかないんだが、そんな時でも敢然と答えるのが教師稼業の習性なので、答えました。語ってみると、われながら存外おもしろい展開になった。聴く方もおもしろかったらしい。ブログに書けばいいのに、と言われました。で、書くことにします。
7. 以下は、その思いつきの談話をすぐメモしておいたのを、このたび見直して、大幅に補足し文章化したものです。朝食時の長広舌のあと、あなたそれメモしときなさい、メモしとかないと忘れるよ、と家人に言われた。元が談話なので、飛躍が多く、裏づけが不足する。また、思い違いが含まれる可能性も高い。明かな誤りはないように努めますが、絶無にはならない。もともとの思いつきの気ままな流れを保存したい。その意味で、厳密な話ではない点をあらかじめお断りしておきます。
2.プラトン
8. ものごとを実現して行く根底には力がある、その力とは何か?という問いであるなら、まず、プラトン(前427/8~前347/8)は、イデア、すなわちすべてのものの真の姿は、理想的世界に実在しており、私たちの生きるこの感覚的世界は、イデアを範型として造物主であるデミウルゴスが造ったのだ、と語った(プラトン『ティマイオス』)。
9. イデアは事物の真の姿であって、感覚的世界の内にはない。たとえば、何かあるもの(例えば、花)がそれなりに〝美しい〟としても、現実のそれは、色合いに難があったり形がいびつだったり、理想をいえば切りがないので、完璧な美しさを実現してはいない。これに対し、美のイデア、即ち美しさそのものは、完璧な美しさとして理想的世界に実在している。あるいは、コンパスで描いた円は、よく見れば凹凸があって定義通りの円ではない。だが、円のイデアは完全無欠な円として理想的世界に実在している。
10. 造物主デミウルゴスは、イデアを模倣してこの世界の事物を作り上げた。いわばイデアと感覚的世界を仲立ちする職人のような位置にある。こういう次第で、プラトンによれば、事物を作り出す原因性(力)は、イデアおよびデミウルゴスとして、感覚的世界の外に在ることになる。
11. この世界には造り主があるという発想は、もちろん古代ギリシアだけでなく世界各地にある。世界の造り主という考え方をプラトンがどこからどうやって取り入れたのか、残念ながら私は知らない。だが、彼のイデア論は、紀元前後のヘレニズム世界に広まった新プラトン派の教説を経由して、初期キリスト教の教義の形成に寄与した。旧約の教えとイエスの生涯の物語に、ギリシア哲学の思弁が付け加わって、数世紀かけて新約の教義ができあがる。イデアと造物主というギリシア哲学の考え方は、キリスト教の教義に存在論的な骨格を与え、現代文明にまで影響を及ぼしている。
3.イデア(理想)は力なのか
12. 今、ある事物XをそのXにしている原理ないし原因を「力」として語った。これに対し、ユルスナール描くハドリアヌス帝が、「力」と呼ぶものは、統治する力つまり権力のことなのかもしれない。すると、話がかみあってないように見える。だが、そうではない。
13. 近頃話題になった例をとるなら、ある儀式を国葬とする原理は、「国葬とは何か」を定める概念や定義、言いかえれば、人々の共通の理解である。共通理解から外れたものを、権力者がむりやり「国葬」と呼んでも、その儀式はほんものの国葬とはならない。統治権力は、人々の共通理解に従わなければ、ものごとを本来の形で実現することはできない。統治権力の上位に、権力をもってしても容易に動かすことのできない社会的な力がある。
14. さらに、私たちの生きている自然世界の背後には、社会的な力よりもはるかに強力な根本原理が存在する。数学の定理や自然法則は、そういう根本原理の例である。こういう根本原理がかかわる場合、統治権力は、たとえ人々の共通理解に逆らってでも、根本原理の方に従わなければならない。そして、「イデア」とは、地上の権力の上位に位置するそんな根本原理を一括した呼び名とみなしてよい。
15. というわけで、〝すべての根底にあるのは力だ〟と言われるとき、その発言が、直接的には統治権力を念頭におくと仮定しても、事物にそれ本来の姿を付与する根本的な力として、理念上の原因性について語るのは理にかなっている。事物を作り上げる究極の力は、その事物XをXたらしめている根本の原理であり、それがプラトンの場合、イデアとデミウルゴスとして語られたのである。
4.アリストテレス
16. プラトンの弟子アリストテレス(前384~前322)は、師とはちがう考え方をとった。「イデア」とはもともと「形」という意味だが、アリストテレスは、事物にそれ本来の形を成さしめる力は、その事物に内在すると考えた。ここがアリストテレスとプラトンの違うところ。アリストテレスでは、プラトンと違って、事物に形を与える力は事物の外でなく内に在る。
17. なお、アリストテレスは、事物の本来の形を「エイドス」と呼ぶ。ちなみに「イデア」も「エイドス」も希英辞典では共通に「form」つまり「形」という語が訳語として挙げられている。哲学業界では、アリストテレス的な意味の「エイドス」つまり「form」に限り、「形相」と訳す。一般には使われない特殊な造語だが、翻訳の習慣の一つとして紹介しておく。
18. アリストテレスによって、ある事物本来の形を成す力は、その事物の〝内側に〟置かれた。この考え方は自然現象をよく説明してくれる。たとえば、植物の種子の内には、その植物が成長し、形を成していく力が内在していると考えることができる。その力によって、種は芽を出し、茎が伸び、花を咲かせ、実が生って、種子ができ、それがまた、その植物本来の形を成すように生成変化して行く。こう考えると、この世界のありとあらゆる生成変化や運動が、事物に内在する力によってうまく説明できそうな感じがする。
19. アリストテレスは、事物本来の形を成すように作用する内在的な力を「ピュシス」と呼んだ。「ピュシス」は、英語では「nature」と訳される。日本語では「自然」ないし「自然本性」などと訳される。感覚的世界のさまざまな事物を作りあげる原因としての原理や力は、その事物本来の〝自然なあり方〟をうながす「ピュシス」であって、そのピュシスの学が「ピュシケー」である。
20. アリストテレスには『ピュシケー』という著作がある。邦訳名は『自然学』、英語では「Physics」となる。アリストテレスを離れると、普通名詞「physics」は「物理学」である。西洋諸語のphysics(物理学、自然科学)が、古代ギリシアにさかのぼる起源をもつことは知っておいてよい。
5.ピュシスとは何か
21. アリストテレスは、存在するもの全体を、ピュシスによって存在するものと、それ以外の原因によって存在するものに分けた。「ピュシス」とはどんなはたらきを持つものなのか。アリストテレスに従って理解するために、あえて「自然」と訳出しないで考えてみる。まず、ピュシスによって存在するものとは、動物とその器官、植物、そして土・空気・水・火などの単純物体であると例示される。これらのものは、ピュシス以外の原因によって存在するものと比べると、はっきり違ったところがある。
「これらの自然物とよばれるもののどれをとってみても、それぞれ動(運動変化)と静止の始原を自分自身のうちにもっている」(アリストテレス『自然学』192b10)*
注*: 訳文は『世界の名著 ギリシアの科学』所収の藤沢令夫訳による。なお、「192b10」は、プロシア・アカデミー版(ベッカー版)アリストテレス全集のページ数、a列(左列)b列(右列)の別と、その大体の行数を示す。これはアリストテレスの著作の典拠を示す万国共通の表記法で、本文の欄外に記される。
22. この「動と静止の始原を自分自身のうちにもっている」という言葉が、上述の、「アリストテレスは、さまざまの事物がそれ本来の形を成す力は、その事物の内に存在していると考えた」(16)という記述の根拠なのだが、「動と静止の始原」というアリストテレスの言葉と、「それ本来の形を成す力」という私の描写の間にはまだ距離がある。アリストテレスに即してこの二つの表現の距離を埋めようとすると、なかなか厄介なことになる。でも最小限の説明を試みる。
23. まず、ピュシスによって存在するものと、そうでないもの、という区別は一体どういうことか。植物はピュシスによって存在すると言われている。植物の種は、芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、種を生じて、次世代を生む。その植物の成長と増殖(運動変化)の原因を自分自身のうちに持っている。同様のことは動物についても言える。植物と動物は、この意味で、ピュシスによって存在する。これは一応納得できる。
24. では、人の作ったもの、たとえば寝椅子はどうだろうか。突然ここで寝椅子が出てくるのは、アリストテレスが人工物の例として寝椅子や上衣を挙げているからだが、寝椅子は、持ち上げて手を放せば、下へ落ちる(藤沢令夫の例示による)。すると、寝椅子は、落下運動の始原を自分のうちに持っているといってもよさそうに思われる。だが、これは、寝椅子が〝寝椅子であるかぎりにおいて〟持っている運動の傾向ではなくて、寝椅子がたまたま〝木材という重い素材で作られているかぎりにおいて〟持っている運動の傾向である。言いかえると、落下運動の始原は、寝椅子が〝本来的に〟持っているのではなくて、〝付帯的に〟持っているだけである。
25. 植物の種子はみずから芽を出して成長し、次世代を生むが、寝椅子はみずから成長せず、次世代の寝椅子を生みもしない。つまり、寝椅子は、寝椅子としての運動変化の始原を、自分自身のうちに本来的にもってはいない。木材であるかぎりにおいて、落下したり腐ったりする運動変化の始原を付帯的にもっているだけである。その意味で、寝椅子としての寝椅子は、ピュシスによって存在するものではない。
26. 他方で、木材のような重い物体は、土としての性質を備えていて、土の本来の場所である下方を目指す運動の始原を自分自身のうちに持つ。つまり木材のような固体は、土質のものの本来の場所である大地へと向かう運動の始原を備えている。同様に、水(液体)、空気(気体)、火(固体、液体、気体のいずれでもないもの)は、それぞれその本来の場所に向かって、あるものは上り、あるものは下るという傾向をもつ。というわけで、土・水・空気・火もまた、ピュシスによって存在するとされる。
27. ピュシス(下の引用では「〈自然〉」)の定義をアリストテレスから引いておく。
「〈自然〉とは、それ(動と静止の始原・原因)が付帯的にではなく直接的・自体的(本来的)に内属しているようなものにおいて、そのものが運動変化したり静止したりすることの始原・原因となっている何ものかのことにほかならない。」(「自然学」192b20)
入り組んでいるが、これでもアリストテレスの定義としては分かりやすい方である。寝椅子には、落下や腐敗の始まりをなす原因が「付帯的に」属しているが、それは「本来的に」――寝椅子が寝椅子であることにおいて――属しているわけではない。だが、一般に動植物や固体、液体、気体、炎などには、それ自身のあり方を実現する運動変化の始まりが、本来的に属している。自然(ピュシス)とは、運動変化の始まりをなすこの何ものかのことである。
28. 次いで、アリストテレスはピュシスの構成を問題にする。アリストテレスの考えでは、一般に、なんらかの素材に形が与えられることによって、あるものXができあがる。ピュシスは、Xの生成に、素材として寄与するのだろうか、形として寄与するのだろうか。素材は「ヒュレー」、形は「エイドス」と呼ばれる。
29. 「エイドス」が「形相」と訳されることはすでに述べた。「ヒュレー」は、通常の用語法では、樹木、木々、木材といった意味であり、ここでは素材一般をいう。英語では「matter」と訳される。要するに「材料、物質」だが、アリストテレス用語として「質料」が定訳となっている。
30. ピュシスは、自然物の質料(素材)なのか? 形相(形態)なのか? がアリストテレスの次の問いとなった。アリストテレスの答えは、ピュシスは質料という要素もあるが、形相の要素が重要だ、という両義的なものである(前掲書193b)。ピュシスの検討は、このあと、可能態と現実態、四つの原因性(質料因、作用因、形相因、目的因)といったアリストテレス哲学の基本的な枠組みを用いながらまだまだ続く。だが、煩雑なので立ち入らない。
31. アリストテレスの考えのなかには、ちょっと納得してしまいそうな説明と、とても納得できない説明が混ぜこぜになっていて、現代の読者は呆然となるだろう。さしあたり、アリストテレスはこんな風に考えたのであり、ここから始まるピュシスの学(アリストテレス的自然学)が西洋世界を長く支配したということを、歴史的事実として呑み込んでおくしかない。ちなみに、自然学にとどまらず、アリストテレスの思想は現代でも西洋知識人の思考枠組みを深く支配している。たとえば、日本でよく取り上げられる20世紀フランス思想には、アリストテレス哲学とキリスト教が合流して形成されたアリストテレス-スコラ的な世界観を、根底から拒絶するという意味がある(その19:4.300~4.304)。
6.力の外在と内在
32. 事物を作り上げる究極の力とは、あるものXをXたらしめている根本の原理である。そういう原理は、プラトンの場合、イデアおよびデミウルゴスとしてこの世界の事物の外に在る。これに対し、アリストテレスの場合は、ピュシス(自然本性)としてこの世界の事物の内に在る。
33. プラトンと新プラトン派の哲学は、上述のとおり、初期のキリスト教の教義の形成に寄与した。もともと、ユダヤ-キリスト教の天地創造論(創世記)とデミウルゴスの説話とは通じるところがあるから、これは不思議ではない。ただし、デミウルゴスは一種の職人としてイデアを模倣して事物を造るだけだが、唯一神ヤハウェは、みずからの意志によって全世界を無から創造する。これは神の位置づけの決定的な違いである。とはいえ、いずれにせよ、全世界を作り上げる力が世界の外に在ることに変わりはない。
34. アリストテレスの哲学は、一部を除いて12世紀頃まで西洋世界に知られていなかった。12世紀以降、当時の先進文明だったイスラム世界の文献の翻訳を通じて、アリストテレスの全体像が中世のキリスト教世界に伝えられた。事物を作り上げる根本の原理は事物の内に在る、という哲学が新たに到来したことになる。
35. 神は全世界の外に在ってこの世界の事物を作り上げる根本の原理である、というユダヤ-キリスト教(およびプラトン)の考え方と、根本の原理はピュシスとして事物の内に宿っている、というアリストテレスの考え方は相容れない。だが、アリストテレスの学問体系の説得力は大きかったので、中世の学者たちはアリストテレスを研究した。そして、トマス・アクィナス(1225~1274)の『神学大全』によって、キリスト教の教義とアリストテレス哲学のすり合わせが大々的に行なわれ、ユダヤ-キリスト教(およびプラトン)とアリストテレス哲学とを折衷したいわゆるスコラ的な哲学的神学の壮大な体系が築かれることになった。
36. こうして13世紀に成立したキリスト教の神学体系には根本原理(イデア)の外在と内在をめぐる対立が仕込まれることになった。この対立は、それ以後の文明の大きな変革を引き起こすひとつの誘因となる。
7.前途瞥見
37. もう7千字を超えてしまった。打ち切らないといけない。でも、この話どうなるんだ?と怪訝に思う読者も多いにちがいない。上の対立の作用を簡単に述べておきます。
38. 神は全知全能である。神は全ての真理(イデア)を知っており、全てのことを為す能力がある。そして、神はイデアに沿って世界を創造した。超感覚的なイデアの世界でも、感覚的な被造物の世界でも、1足す1は2である。
39. では、数学的真理のイデアは、神さえ従わねばならない根本原理なのだろうか。もしもそうだとすると、神は、イデアを知っているという意味で全知ではあるが、イデアに反することはできないという意味で、全能ではないことになる。神が真に全能なら、神はみずからの意志によってイデアさえ作り変えることが出来るのでなければならない。
40. 西洋近代文明は、神の全能性を重視する考え方から生まれてくる。すなわち、神は根本原理(イデア)を作り変えることができる。神の全能をもってすれば、自然法則も、数学や論理学の真理さえも改廃可能である。すると、この世界の根本原理は、カトリック教会の権威の下で疑問の余地なく真理とみなされてきたアリストテレス-スコラ的な学問体系とはまったく異なっていることが十分ありうる。この洞察は懐疑論を生みだすが、同時に、さらなる探究をうながす。こうして、16世紀から17世紀にかけて、宗教の革命(宗教改革 reformation)と学問の革命(科学革命 scientific revolution)が起ることになった。
41. 近代日本との関係を付け加えておく。日本は、19世紀後半に、近代の政治経済の体制と科学技術の体系を、神学上の対立も懐疑論も抜きで移植した。すでに出来上がった制度として、神学も懐疑もすっ飛ばして近代を受容したことから、さまざまな問題が派生したと考えられる。というわけで、西洋哲学史と近代日本のかかわりに注目する次第。
次回以降、あらためて神学的対立の辺りから考えます。