見出し画像

愛するということ=愛されるということ

こんばんは、chikoです。

最近このnoteを書くようになってから余計に感じることが一つあって。


自分のことを大事に扱って、好きになっていけばいくほど

周りにいる人達の存在も大きくなってもっと大好きになって

愛情を示したら応えが返ってくる。『愛情』で返ってくる。

そしてその愛情を受けて、もっと自分のことを愛おしく思えるようになってきた。もっと自分と、周りも大事にしようって思えてきた。


不思議なのは、これ、この感情って10代・20代のときにはほとんど感じてなくて。私の場合。

周りにいる人を「大事に思っている気」でいた。

でも、実際は自分の気持ちを押し殺して、感情を周りの空気に合わせて

空笑いしてた。

誘われれば、呼ばれれば、どんなに遠くても、お金がキツくても、

できる限りその「輪」の中にいようって必死だった。

でも今になって思えばそれって全然健康的じゃないよね。

自分に「嘘」ついて

自分の「感情」無視して

ただ周りに合わせて、それが私にとっての「大事」にする方法だった。

「『自分』のことは大事にしてなかった」のに。

まだまだその時は気づかなかった。

自分を顧みないやり方で、それがどんなに自分思いじゃない行為だったのかってことに。

結局誰とも心からつながっている気になれなくて、そういう人達からは離れられたり、自ら距離を置くようになったり。

その結果「今」があるわけだけど。

座右の銘じゃないけど、本当に心からその通りだな、って感じるのは

「人は自分の写し鏡」

だっていうこと。

これ、本当にそうだと思う。

自分が誰かのことを「苦手だな」って思っていたらそれは不本意であったとしてもその人にも少なからず伝わってしまうし、

逆に「この人のこういうところ尊敬するな、こんな部分が好きだな」って感じていたらその人もあなたに対して同じように感じる。

なんでかって、そういう感情は「表情」や「声色」で表れるからだと思う。

苦手な人の前では声が小さくなったり、好きな人の前では表情が柔らかくなったり。

もしあなたに苦手だな、って思う人がいたら、その人のことをよく観察して、真摯に話を聞いて出来る限りの誠意で対応して見て欲しいな。

そのうちに「心がほぐれていく」のを感じるから。お互いに。これって本当に不思議。

まずは自分が歩み寄っていく、相手の出方を待ってても変わらないし、人のことは変えられないから。でも「自分」の態度や感情・表情は変えられるよね。

「自分」を味方につけていれば大丈夫。

ちなみに、これは極端かもしれないけど、

どんなにあなたが努力しても相交われない人ってどうしてもいるから

そんな時はどうか「自分」をちゃんと擁護してあげてください。守ってあげてください。

「自分」を一番大切な存在として扱えば、そういう人間関係のモヤモヤも「自分基準」で考え羅れるし、その関係を続けるも終わりにするのも

「自分で決めていい」んだから。

鏡の中の「あなた」は何を思ってるのか、よく話を聞いてあげてください。

そうすれば自ずと答えは見えてくるから。


「自分」を愛して、「自分のことを大事にしてくれる人」を愛しましょ。




いいなと思ったら応援しよう!