マラウイでは「宗教教育」が道徳!?
「宗教教育」と「聖書知識」
日本では道徳の時間にあたるのだと思うが、マラウイの小学校には「宗教(Religious Education)」もしくは「聖書知識(Bible Knowledge)」の授業があり、学校ごとにどちらかを選択している。
マラウイ人はキリスト教徒が圧倒的多数派だが、一定数(1~2割)イスラム教徒もいて、さらに伝統宗教を信仰する少数派もいる。だから、キリスト教の「聖書知識」を一律で学ばせるわけにはいかないのだ。
キリスト教の団体の援助を受けて設立された学校の場合は、もちろん「聖書知識」を採用している。一方、政府系の学校の場合は、PTAとの話し合いにより地域の実態に合わせて決定される。イスラム教徒もある程度いる地域では「宗教」が選ばれることが多い。
ちなみにリロングウェTTC附属小学校では「宗教」を選択していた。
驚きの「宗教」の授業
どんな内容を学ぶのかと、小学5年生の授業を見学させてもらったことがある。1教室に200人以上の児童がひしめきあう中、教科書は10人に1冊程の割合だ。先生は、授業開始後すぐに「教科書に載っている、様々な宗教に関わるシンボルや物のイラストをノートに描き写しなさい」と指示を出した。
ここで問題が起きる。教科書を持っているのは10人に1冊、いやもっと少なかったかも知れない。近くに教科書がない児童は、ただひたすら何もせず待っている。つまり、ほとんどの児童がその状態だ。描く子は描き、待つ子は待つ。だれも文句は言わない。
しばらくすると、先生は絵が上手な子を選び「黒板にチョークで同じ絵を描いて」と指示を出し、どこかに行ってしまった。
その子は教科書のイラストを見ながら、黒板に描き始めた。教科書に掲載されている手描きイラストも、どことなく素朴さが残るタッチ。それを見て描く、コピーのコピーだから、端から見ると元の絵が何なのか、テーマを知らなければ判別するのは至難の業だ。
それでも、その上手な子が黒板に描いた絵を見るや、教科書が近くにない子はその絵を自分のノートにやっと写し始めることができた。コピーのコピーのコピー。もはや、原型を留めていない。先生が次の指示をしに教室に戻ったのは、およそ1時間経ってからだった。半数以上の子は、原型を留めていないその絵を必死に描き途中。
図工か?いや、これは「宗教」の授業だ。
次の指示で野外へ
その日は風が強く、砂ぼこりが舞っていた。コンディションが悪いのにも関わらず、先生の「外に行きましょう」の一言で、いきなり野外授業に切り替わった。次は何の科目を勉強するのか、と思いきや、先ほどの「宗教」の続きが始まった。先ほどの1時間の間に書いてきたのであろう、先生は自信満々に何やら書かれた模造紙を手にしている。
そこには問題が3つ書かれており、それをグループに分かれて話し合う展開。そう聞けば、「おー、マラウイでも話し合い活動をやっているのか」と思われるかも知れないが、単純に感心されては困る。問題は、
1 キリスト教、イスラム教、伝統宗教それぞれのシンボルを述べなさい。
2 「人工物」とは何か説明しなさい。
3 次のシンボルはどの宗教に関係しているものか答えなさい。
(例)十字架 他
の3つである。
少し考えれば分かると思うが、これらの問題に答えるのに話し合いは必要ない。知っているか知らないか、だ。知らなければ、時間はただ過ぎていく。
この問題を答えるためのグループ話し合いと全体での答え合わせで1時間かかっていた。多分、教えてしまえば3分で終わる内容。それをひたすらグループで話し合わせている。
風が強くて、木にテープで貼ろうとした模造紙が破け始める。授業改善のアドバイスをしようにも、つかみどころがなさ過ぎる。せめて何か手伝いができないかと、はがれた模造紙の片側を押さえてあげることしかできなかった。
こうして2時間に及ぶ「宗教」の授業見学は終わった。
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