沖縄返還50周年
皆さまおはようございます。チコ旦です。
既に2日過ぎてしまいましたが、一昨日の5月15日は沖縄が本土に返還されて50周年でした。
本土にいるヤマトンチュウ(大和人)にはピンと来ないかもしれませんが、
大戦中唯一本土上陸をされ、小さな島国ゆえの苛烈な戦火に見舞われ、
さらに日本軍からも米軍に対して戦うか自害を迫られる、という悲惨な体験をし、さらにそこから米軍の支配下に置かれたウチナンチュウ(沖縄人)の方々にとっては感慨深いの一言では済ますことができない感情かと思います。
もっとも、いわゆるZ世代のウチナンチュウもピンと来てないかもしれませんね。。。
さて、オイラはパン焼き人と結婚して半年で沖縄に住みました。
オイラの転勤で。
1997年5月5日に行ったので、返還25周年もあったと思うのですが、正直記憶にありません。
97年は7月1日の香港返還のインパクトが強烈過ぎました。
今思えばあれが香港の終わりの始まりだったんですね。
沖縄は例年GW後に梅雨入りするのですが、梅雨入り前から日差しはもはや真夏並みです。
当時はまだパン焼き人もOL(死語!)だったので、オイラ単身で沖縄に住み始めました。
まだ、引っ越し荷物も届いていない中、夜は既に熱帯夜に近かったので窓を開けて畳の上で寝たんですね。
日の出は遅くて6時前なんですが、何せ東からの朝陽がスゴ過ぎて、窓から逃げるように布団のない畳の上をゴロゴロと押入れの方面に向かって転がったのを覚えています。
そして、速攻でホームセンターに行って扇風機を買いました。
その時に気づいたのが、鉄道がなく公共交通機関が未発達で、暑い沖縄で徒歩は厳しい!
完全に東南アジアと同じですね。
その週末に、那覇の南に位置する糸満の中古車街道に行ってマツダを買いました。
たしか36万円也!
沖縄は結局1年半しか居なかったのですが、それはそれはエンジョイしましたよ。
パン焼き人は7月に退職し、合流したので、最初から週末は海に行く毎回でしたね。
シュノーケル道具を買って、満潮時間を調べて、今日はあそこに行こう、明日はあそこって感じで。
オイラ達のオキニは「ゴリラチョップ」
そして、真栄田(まえだ)岬
オイラの上司がBBQ好きで、事務所の仲間と一緒によくBBQやりました。
不思議な光景ですが、道具を持ってきて、セットして、火起こしするのは上司。
女性&オイラは買い出しとあとは飲み食い。
当時、大〇省の銀行接待汚職事件で社会は大揺れに揺れていて(ノーパンしゃぶしゃぶ!)、たまたま〇蔵省から出張者が来たんですよね。
かねて役人嫌いだったオイラの上司は平然と、「夜お供しますが、しゃぶしゃぶが良いですか?ビーチBBQが良いですか?」と。
まあ、BBQと言うしかないですよね。
そしたら、ビーチBBQにスーツを着てきたんですよ。
上司含めてオイラ達は短パン&アロハのビーサンなのに。。。
TPO…
チコパン×クゲヌマ(Instagram@chikopankugenuma)がお世話になっている某銀行が同じ商店街にあります。
支店長さんとも懇意にさせてもらってますが、いつも海岸商店街でスーツはダメでしょ!って駄目出ししてるんですが。。。
沖縄の話は、いろいろあって尽きないんですが、食事が本当に思い出の一つです。
ブヨブヨの熱帯魚の刺身以外はどれも美味しくて、パン焼き人もよく沖縄料理を作ってくれました。
まだインターネットが普及してなかったんで、分厚いレシピ本を片手に。
パン焼き人のジーマーミ豆腐、ラフテーは絶品ですよ!
そんな中で、ザ・B級グルメですが、好きだったのがタコライス。
特にキングタコス(キンタコ)
本店が、那覇から50キロ離れた金武町。
米軍キャンプ・ハンセンがあり、町の60%が米軍基地の町。
完全に異国情緒漂う雰囲気は一見の価値あります。
そんな、キングタコスのタコライスに思いを馳せて、
この日は初めてタコライスを作ってみました。
作ってみるとまあ、簡単で、
タコミート(挽き肉をピリ辛に炒める)とトマトサルサ(ピリ辛トマトのマリネ)を作って、葉物(マイクローブさんのルッコラ)とアボカドと
チーズをご飯に乗せるだけ。
オイラは、より濃厚にするのに、トマトソースも作りました。
沖縄は一昨年、「Go to トラベル」を使って、パン焼き人が行きたいと言っていた、パン屋さんを尋ねに行きました。
そして、夜は県庁の近くにある「ふくぎ」さん。
めちゃめちゃ美味しかったし、お母さんがパン焼き人のお母さんそっくりで!
ふくぎ - 県庁前/沖縄料理 | 食べログ (tabelog.com)
あっ、最後に、だけなん情報
沖縄在住時のオイラの髪形はスキンヘッド→GIカットでした~