なにが理想的だったの?ーー3
キャンプヒルの紹介でもしようかと思ってnoteを書き始めたのだったが、それよりも、自分にとっての理想的な生活とは何かを書くシリーズとなりつつあります。
さて、キャンプヒルでの私の仕事は、おもに「家事」だった。それだけなら東京での生活と同じだ。違うのは、いわゆる毎日の家事が12人分であること。そして知的障がいのある人たちと一緒に働くこと。
私が最初に暮らしたキャンプヒルでは、彼らはまずは半年ごとに職場を変わって、いろんな仕事を体験しようというところだった。3年くらいで自分の職場をひとつ決め、その後はまた数年、今度はひとつの職場で働きます。家事というのが、そういう職場のひとつという設定で、私は半年ごとに違う人と一緒に、その時々のハウスの、掃除、洗濯、買い物、食事作り、そういうことを担当していた。
こう書くと、私が家事が好きだったり得意だったりすると思われるだろうけど、全然違う。家事も料理も全然好きでもなんでもない。やってできなくはないけど、特に情熱があるわけではない。私の仕事場が家事だと決まったのは、私が希望を聞かれた時に、なんでもいいですと言ったからだった。
そう、職場の中で一番人気がないのが家事だったのです。
だってそこのキャンプヒルの職場には、有機農場、牧場、織物工房、焼き物工房、敷地管理(雑木林や芝生の手入れ、薪割りなど)、蜜蝋キャンドル工房、木工所、などがあった。どれも楽しそうでしょう?一番ウケないのが家事なんだよねえ。
さて、そんな情熱のない家事だったけど、キャンプヒルで12人分の家事を障がい者と一緒にするのはそこそこ楽しかったのだ。たぶんそれは、客観性があるというか、風通しがいいというか。
普通に家族だけで暮らしているときの家事って、どこまでも内向きで、すごい料理を作っても自画自賛か、今ならせいぜいネットに上げるくらいかな。
掃除も洗濯も、きれいになったら嬉しいけど、それを自分一人でするのではなく、一緒に働く人がいて、自分ではない誰かの洗濯ものを毎日最低2回はして、一応仕事なので、全体としてどのくらい時間がかかって、何がどうなってということを、客観的に把握して話すことになる。それを複数の人達と共有する。無理がある部分があったら、スタッフを増やすか、仕事を減らす。あちこちで手分けをする。
東京で家族だけで暮らしていた時の家事は、私にとって徹底的に孤独な作業で、それは特に楽しめなかった。キャンプヒルで毎日わいわいとする家事は、ちょっとイベントの作業に近くなるのかなあ。週のメニューを考えるのさえ、イベントのように楽しんでいたのかもしれない。