なにが理想的だったの?ーー4
さて、みんなで家事をするのが楽しかったなんて書いたら、まるで私が大勢でわいわいするのが好きな楽しい人間みたいだ。でも実際はそんなことない。基本的には一人でいるのが好きな我がまま者です。趣味は読書や映画鑑賞。それぞれ一人でするものだし。
それならなぜ、一軒の家に12人も一緒にすむような暮らしが理想的だったのだろう。
東京ではごく普通に、家族で暮らしていた。夫、二人の子どもとの4人家族。新しく引っ越した地域で周囲に知り合いはなかった。それで公民館の子育てイベントに出かけたり、近所の公園に行ったり。そのうち、子どもを遊ばせるサークルに参加したり、ちょっと習い事をしてみたり。
でもまだずっと息苦しくて、何かがダメだった。
いつからキャンプヒル行きを具体的に考え始めたのか覚えていないけど、ある時から小さい子どもを2人抱えて、ぼちぼちと英語の勉強を始めたのだった。ラジオ英会話のテキストを買ってみたり、通信教育をしてみたり。
さて英語だって全然できない、学生のころは赤点で再試験というのを繰り返していた。久々の英語の勉強は大変だった。それでもキャンプヒルで生活してみたいと思った。
その時に望んでいたのはなんだったのだろう。
ひとつには、シュタイナー的な子育てを、無理に主張しなくても頑張らなくても、事前に実現できる環境だったのだと思う。
公民館の子育てイベントに赤ん坊を連れて参加しても、かなり大きな音で流行りの音楽が流れていたりする。赤ん坊に英語の録音された音声を聞かせるのもごく一般的だ。それを本当に楽しいと思って親御さんがしているのなら、その人にとっては幸せなことなのでそれでいい。親御さんが幸せにしているのが、まずは一番大事だから。
でも私はそういうことはしたくなかったし、楽しくなかった。生き方や子育て、人生観が共通する人たちが、子どもを連れて一緒に生活しながら働いているところがある。そこでずっと暮らしている日本人の家族もいる。どうやらビザもお金もなんとかなる。仮にキャンプヒルで暮らし始めてから、もし嫌になったとしたら、いつでも止めて帰国することもできる。止められないようなコミュニティではないことも確認済み。
私は、同じ価値観の人たちと一緒に子育てがしたかったのだった。シュタイナー教育的な子育ては、早期教育をしないとか、自然の中で遊ぶとか、私には当たり前に思えることばかりで、そのために東京の真ん中だと無理をしないといけないというのが、どうにも辛くなっていたのだった。