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猫を飼うまでと動物と我が家①

自己紹介の後、初めての記事。
とりあえず、ここまでの動物とのかかわりを書いてみようかなと。
取り留めなく書くので、オチなかったらご愛敬…💦


ここまで一緒に暮らした動物たち①

幼少期に暮らした動物たちについて書いていこうと思います。

自己紹介でも書きましたが、私はすでに半世紀を生きたおばちゃんです。いや、友達には、すでにおばあちゃんと呼ばれる人もいるので、”おばちゃん”でいいのかどうか悩むところですが、一応まだ私の子供が結婚もしていなければ子供もできていないので、いちおう”おばちゃん”ってことで💦

今までたくさんの動物がいたのですが、思い出に残っていて、ちゃんと名前を憶えている子たちの話を少し。

【親分】は私の先輩


今は、保護した猫16匹と、友人から譲り受けた犬1匹と暮らす我が家ですが、私が生まれてからこの年になるまで、ずっと動物と一緒に暮らしてきました。
まず、私は、母のおなかにいるときから、すでに小鳥と一緒に暮らしていた…らしいです。というのも、そういう写真が残っていたからです。
母の大きなお腹(私が入ってる)の上に、文鳥の【親分】(←名前です)が乗っている写真です。
黒と灰色で、真っ赤なくちばしの文鳥さんで、迷い文鳥だったとか。
その当時暮らしていたアパートのベランダに、ある日突然やってきて、いついてしまった子でした。
私という個体ができた時からのお付き合いでという意味では、【親分】が一番最初でした。
実は、母の話からすると、父は、結婚前から一人暮らしの部屋にインコの番を2組飼育していたらしく、嫁入り道具ならぬ婿入り道具?は、その4羽だったと。
見合い結婚だった母は、その4羽にびっくりしたとか。そりゃそうだ、新婚家庭に、すでに既婚の2夫婦同居(笑) 今まで動物の飼育をほぼしていなかった母はどうしたらよいのか…と思ったらしい。まあ、父は農学部畜産科卒だったので、ある意味動物大好きさんだったので、ある意味必然だったのかもですけど。牛でなかっただけマシ(牛の専攻だったのです)

【親分】は写真が結構残っていました。
ほぼ放し飼いで、家の中を自由に飛び回る生活だった【親分】
母が台所で皿を洗えば、手のひらで水浴びをしたり、料理を始めれば、野菜の端っこをもらったり。賢い子だったと聞いています。(私は赤ちゃん過ぎて覚えていません(笑))
母にも父にも記憶に残る子だったようなので、写真に写る【親分】のお話は、よく聞いたものです。可愛いよね、文鳥。
…しかし、どこからか逃げてきたのであろう【親分】は、開けっ放しの我が家から逃げなかったのはすごいことです。たぶん自分で、「ここは家」と決めたんでしょう。

金魚とハムスターとジュウシマツ

【親分】の記憶は、写真で知っている程度でほぼ残ってないです。
というのも、私の記憶に残るまで生きていなかったからです。

私の記憶に残っている最初の子たち。
それは、金魚とハムスターとジュウシマツです。
名前を付けていたかどうかは、正直覚えてません。けど、たくさんいたことは記憶に残っています。
最初の記憶は、ジュウシマツ。つがいで飼っていたと記憶してます。
次は金魚。最初は屋台の金魚すくいの金魚。大きくなったら、父の会社の池に移して育ててもらったと思います。金魚はその後、入れ代わり立ち代わり沢山いました。リュウキンとかランチュウとか。我が家は大きくなりすぎる傾向にあったので、大きくなり過ぎたら、人に譲ったり(というか家が小さいアパートで、大きな水槽が置けなかったからです)していました。

中でもハムスターの記憶は強烈です。
こちらも番で飼っていたのですが、ある時、子供が生まれたのです!
ハムスターのゲージは、マンションみたいなゲージで、3階建てみたいなものでした。
ハムの赤ちゃんが生まれるとき、「みちゃだめ」ということで、毛布を掛けて、覗かないようにしていたのですけど…
まあ鶴の恩返しと一緒で、覗きたいですよね。みたいですよね。
産まれてから、しばらくして、家族で覗いてしまったのです。
そしたら、お母さんハムが、頬袋に子供を詰めてしまい…(衝撃)
まあ、泣きましたね。本当に。まだ小学校の低学年でした。何日も、悲しくて後悔して、泣いた記憶があります。

…長くなりすぎるので、②へ続く!

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