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再就職に向けての活動について

私は昨年12月から就労移行支援事業所に通所しはじめた。思うことは、聴覚障害って意外にも理解されにくいのかなと。
ただ、これは私の場合の困りごとなので、一つの例として捉えてもらえたらと思います。

私が就労移行支援事業所に通所したいと思った理由は?

まず就労移行支援事業所に通所したいと思った理由を振り返ってみる。
私は、前職場でちょうど10年間勤務したけども、次第に職場で緊張するようになってしまった。強迫神経症という症状が出てからも、石の上にも三年ということばを信じて、勤務し続けた。もはや三年でもなくずるずと引きずって十年だったけど。
頑張れば仕事が認められる!頑張ろう!頑張ろう!という考えで、方向転換することができずにいた。
そして結局、楽しい期間を除き、いつまでたっても業務を周囲と同じようにこなせないという引け目が相まって退職することになったのです。ズーン・・

退職してしばらくは心身ともに休め、そして昨年秋ごろから少しずつ、働くための方法を探し始め、
その中で、一般向けのスクールやハローワークの訓練だと、技術を身につけるだけなので集中して取り組める自信がなかったのと
聴覚障害があるため、情報保障が必要なこともあるという条件、金銭的な負担、勉強時間や就職活動のことまで考えると、最終的に興味のあったHP制作の勉強ができる就労移行支援事業所にたどり着きました。

一番大きかったのは、漠然とした不安があり、働いて収入を得ないといけないけれど、働くことに対して怖い気持ちもあるのです。

そんなこんなで、表向きは就労移行支援事業所に楽しく通所して技術を磨き、自分に合った職場環境で働けると良いな、ということになっていますが、しばらくは誰かの助けを借りないと就職活動への道を歩けない、という気持ちもある。
本当に情けないけどそんな状態です!!

なんでもない話題がしたい!!

そんなわけで、今の就労移行支援事業所に通所しはじめたのです。
普段の訓練は個々のペースで学習するスタイルなのだけど、昼休みや面談やレクリエーションなどの、コミュニケーションの練習なども兼ねた場もあり、これは興味はあったので早速参加することにしたのである。
その上で早速、少しずつ不安になったことは、参加する際の手話通訳依頼、UDトークを用意したり、を私が自分で考えて実行していることである。

自分のこのやり方で場違いになっていないか、間違っていないか、うまく参加できるかどうかを考えることはだんだんしんどくなってきてしまって。
実際に仕事したら、職場での情報保障については自分から働きかけないといけないこともあるだろう、と頑張ってきたのだけど、そもそもの頑張りの方向が間違っているかもしれない。
また、その抱えている気持ちの揺れを就労移行支援事業所のスタッフは理解してくれているのだろうと疑問に思ってきた。

実際に通訳依頼をしても、私個人が依頼したものだと、スタッフの方も通訳との関係はあいさつ程度になってしまい、通訳側としても、その場に入ってなにが起こるか分からないという大変な状況になっていたと思う。
私はというと、「どうしてプロの通訳なのにただ通訳するだけで、この場を繋げてくれないんだろう?」とスタッフではなく、派遣元と通訳にイライラの矛先を向けてしまった(実際は心のなかで思っているだけである)。

もちろん、スタッフに事情を伝えたことがある。「他の利用者が挙手もせず、一斉につっこみや発言をするから、私が発言できなかったりついていけなくなる。通訳がいても不足が出るから、私は大変だ。」というようなことだ。その時点では、そもそもの根本的な原因(就労移行支援事業所が情報保障について考えることが合理的配慮)に思い至らなった。

私は、コミュニケーションが苦手かと言われたら、苦手な方だけど、こういった背景も絡まってますます、コミュニケーションに困難が生じてしまう。
それでも、私は「お肉が大好きなんですよね。」という自分のことを話すだけでなく、「ほんとにやっていられないわ。」とか「昨日はオムライスの卵が包み切れなくて・・」とか、当たり前にしているどうでもいい話題も周囲としたいのである。
そこに至るまでのプロセスに時間がかかり、その間、自分の中で抱え込むのはとても孤独感を感じることになる。
ただ、周囲の人には、その大変な負担感を理解してもらえるかそうじゃないかで、大分私の気持ちが変わると思うのだ。


情報保障を整えることは特別扱いすること?


就労移行支援事業所のプライバシーのため、細かには記載できないけど、私はスタッフに前述のことが起きた時に、不安に思ったことを相談したところ、「情報保障については私たちも考えていきたい。」という話はあまりなかった気がする。情報保障と簡単にまとめてしまったけど、つまりはその場に「参加」できるようになりたいのである。
私は補聴器をつけていて話すことができるので、かつ私から相手に歩み寄る姿勢が習慣になっているので、「ゆっくり話せば聞こえるかな?」ということを言われた時は、よく分からない不安感が出てしまったりした。
「手話通訳を私からではなく、事業所から依頼して欲しい。」という考えを言うことができるようになった時には通所してから、4か月ほど経っていた。
こんなに遅くなったには理由がある。簡単にまとめると、「周囲とのバランスを考えて、特別扱いはできない。」といった主旨のことを言われたからである。見出し画像はそういうことを思い出しながら選んだ。
色々な利用者が就労移行支援事業所に通所している中で、「特別扱いはできない。」と言われました。そして実際の困りごとは見えづらいですが、可視化すると、そのような状況で自分だけ他の利用者と同じように、空を見ることができなかったら、どうするのでしょうか?
他の利用者が陰になって見えない(物理的な問題)、とか悲しくて空が見えない(心理的な問題)とか・・
※合理的配慮の図でグラウンドだかの試合を見られるように、背の低い子には台を用意するというのがありますが(間違えていたらごめんなさい)、今回は猫と空に例えました・・

このことについては、「誰も排除しない情報保障を整えることが大切」というアドバイスを、知人からいただいたのでそのことばでまとめさせていただきます。
その場にいる全員で話し合うのが一番良い方法だと。


そもそもどうして理解してもらえないのか?理解してもらうためには?

と思ってしまうのである。
「合理的配慮だから情報保障を整備してくれ。」と私からも、専門家からも言っても、あまりスタッフ側は動いてくれない雰囲気があるような気がする。むしろ、「これ以上はできません!」と言われるのがオチかもしれない。
これは前職場にいた時も同じことで、たとえば「朝会での内容を要約するのは周囲にとって負担だと思うんですよ。」と言われたことがある。ゆえに、(仕事に関係することは大事なことなので、きちんと伝えるけど他のことについてはね・・)という最低限のものになってしまいがちだと思う。このことについて、良い解決案が思い浮かばない。
友人に相談したが、「聴覚障害者は聞こえないことで生じるリアルな影響を語るのがあまりうまくない。」と言われてしまった。聞こえないことの影響・・?前職場で10年間勤務してきたので、事例はいくらでも挙げられる気はする。
ただ、マイナスのことだけでなく聞こえないけどこういうことはできます。というのはアピールできたら良いかなと思う。前職場で取扱説明書を作ったけど、自己肯定感が低いので見返すと辛い。
仕事で成功体験がないと、良いことをアピールすることは難しいと思うので就労移行支援事業所なり、一緒に考えてくれる人が欲しいと思う。

人との繋がりを感じるとは?~難聴の私が抱える生きづらさについて~

そんなこんなで時々、前職場での経験を思い出してしまう。
聴覚障害は精神障害や発達障害と同様に見た目では分かりにくい障害である。もちろん、見た目で分かりやすい障害の人もそれぞれ、本人にしか分からない悩みを抱えていると思う。
通所してから、時々、他の利用者やスタッフの方と気持ちをなかなか共有できないもどかしさが出ている。

聞こえる人と聞こえない人というかたちで世界が切り離された気分になる。
同じ就職を目指す仲間なのになぜだろう?
スタッフの人も一生懸命対応してくれているのは分かるけど、どうして私は納得できないのだろう?支援者として共に歩んでくれるという姿勢を感じることができない時がある。

相性の問題だとか、障害があるから距離をおかれるのはプライベートなら構わないけど、仕事や就労を支援する場では切り分けて欲しいと思う。
ただ私から、相手に働きかけることや、自分なりの仕事での工夫がうまくできなかったこともあるので無理のない程度に引き続き、模索していけたらと思う。

色々記載したけど、表向きでは訓練は頑張っているし、他の利用者やスタッフとお話はできている。ただ、根本の部分では解決できていない面もあると感じていたのを、このnoteで少し整理することができたので、
場合によっては、就労移行支援事業所にしがみついていないで、辞めることもありかなぁ・・と思います。
けど、自分なりに考えが整理できたので、スタッフにお話しはできたらと思っています。
色々と批判的に書いてしまったのですが、闘わずに相手に自分の考えを理解してもらえたらと思います。
そして本来の目的を見失わずに、前に進んでいけたらと思います。HP制作の勉強は時にはしんどいし不安だけどがんばる・・!

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