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難聴の私が強迫症の治療を受けて思うこと

私は、社会人3年目で強迫症を発症しました。
思い返せば発症までにも、一度失敗したら同じ失敗を恐れてしまうことは時々あったと思います。幸いなことに当時は自然と消えてなくなっていたのですが、白黒つけないと気が済まずグレーの曖昧な状態が許せなくなっていたのかもしれません。

保育園時代に、身体測定で並びトイレに行きたかったのですが、途中でトイレに行ってはいけないと思い我慢していました。恥ずかしいとかではなく、行ってはいけないと思っていました。列を乱してはいけないと思いました。子どもなのに空気をよんでいるようなかわいくない子どもだったと思います。でも失敗してしまったのです。
その時に保育士に「どうしたの?」と言われましたが、自分の気持ちを言うことができなかったので、モジモジしてうつむいていました。頭が白くなり自分のことをすぐに説明することはできず、そのあとも周囲の大人が聞いてくれる機会はありませんでした。
ですが、私の中で整理されないまま強烈に頭に焼き付いており、以降は「失敗したらどうしよう。」がありました。

私は大人になった今では、何か辛いことがあれば「○○があり辛かった。」と気持ちを整理して問題解決ができます。また、人間関係が絡むと周囲に説明することが必要にもなります。
小さいころはそれがうまく言語化できず、漠然とした不安があり、かつ人に聞いてもらい問題解決した経験が少ないと「相手に言っても仕方ない。」と思ってしまいました。
保育園の時は言語化できないだけで、本当は色々考えていたので苦しかったのかもしれません。なぜかというと、今の自分がとても恵まれていると感じるからです。noteに記載しているように言語化して、周囲と分かりあえるから。

そのような状態で保育園の失敗以降、不安がある時はトイレ問題がついてきました。

・保育園の遠足で雨の中、カッパを着ていて状況が分からない時(帰りにトイレに寄りたいけど言えず・・ついでに水筒も蓋を閉め忘れたので鞄の中がお茶が漏れて大変なことになっていた。茶色だからしばらくトラウマだった。ちなみにトイレは大丈夫でした。)
・難聴学級の小学校低学年のバス旅行でバスに乗る前に心配でトイレに行く→出発して不安になりまたトイレに行く(ソワソワしている時に難聴学級のお姉さんが声をかけて先生に言ってくれたので、お姉さんが大好きになった。周囲は気にかけてくれていたのかもしれないなぁ。)
・小学校中学年の社会科見学で説明が分からず上の空になり、トイレに行きたくなるが言えず。(図書館の司書による案内だった。社会科見学は1度も聞こえたことがないし、質問もできない。ただ見て覚えるかたちだったなぁ。他の同級生や講師を観察してばかりいた。ホクロがあるとかリュックとか姿勢とか、もしくは地面とか。)
・小学校高学年で修学旅行や親戚の家での出先で夜不安になりトイレに行く。(友人がいなくて、いつも一人でフラフラしていた時。本と漫画が友達。女子同士のおしゃべりが苦手だったので一人が好きな時期でした。)

中学になりトイレ問題は自然と無くなりましたが、社会人になり強迫症を発することになりました。因果関係があるかは分かりませんが、現在はもう大人になり話せる友人や夫がいるので気持ちは説明下手ですが、工夫して言えるようになっています。
ですが、強迫症の治療で主治医から指摘されているのは白黒つけようとしないことです。「例えばベルトが緩くないから大丈夫。」とか白か黒で判断するのは辞めましょう。ということです。境界線をつけないということです。世の中は不確定なものに満ち溢れているので完璧を求めると破綻してしまいます。

小さいころから気持ちを言えたら、少し違った方向になったのかなぁとも思います。でも、それでも私は今ここまで頑張った自分は好きです。過去を恨む気持ちはもう無いけど、それでも淡々と過去のこと含めて今後綴っていけたらと思います。

同じように辛い思いや悩んでいる子どもや大人に私の日常に共感してもらえたら嬉しいです。うまく言えないけど、いつかは悩みに寄り添えたらと思います。


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