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墓標

僕そうめん嫌いなんですよね。
別に味や食感が嫌いなのでは無いんです。
じゃあなんで嫌いかって言うと、そうめん食ってる時、風邪ひいてる気分になるんですよ。

正確ではないんだけど、示準化石みたいなものだと思ってるんです、こういう食事の記憶。それを食べるとピンポイントで、自分の過去がよみがえってくるメニュー、皆さんにもありませんか?そしてそのメニュー、自らが思い起こした「その時」くらいしか食べてないんじゃないですかね。

ウチはもともと「麺冷やすのにアホほど汗かくのにアンタらが10分もかからず食い終わって皿出してきやがるのが不快たまらん」という母親の至極真っ当な方針により、夏でもそうめんが出ることってほとんど無かったんです。でも実は母親自身はそうめんやにゅうめんが大好きで、自分用に購入していた。だから普段絶対に食卓には上がらないが、台所には常にあるものだったようです。

僕がそれを口にしたのは、ある時夏風邪を引いて学校を休んだ時だけでした。エアコンのないリビングに寝かされて、冷えピタをおでこに貼って、普段は観ることのできない時間帯のテレビ番組を眺めていると母親が台所からそれをもってくる。重たい身体を持ち上げて、布団に包まりながら、テレビを眺めながら、ちまちまと食べるそうめん。

そうめんに関する僕の記憶はこのただ一点に尽きます。
夏風邪のだるさと、むあっとした空気と、そうめんの水気で段々と薄まっていく麺つゆ。どれもこれもなんだか「うまくいっていない」ような感覚を持っていたことを、今でも思い出します。


あるひとつの要素が、あるひと時の記憶と1対1で繋がっている時、その記憶は永遠に僕の脳から消えてくれません。なぜならその要素が絶滅することはなく、何年も生きていればそこここに現れるからです。簡単に言えば、そうめんはこの世から無くならない。
食べ物じゃなくたって、僕はRADWIMPSの『だいだらぼっち』を聴いたら、高校の寮に入る直前、3月末の22時頃を思い出します。音楽じゃなくたって、中村文則の作品を目にする度に、茨城から寮へ「帰省」する道中の、どこまでも続く田畑風景を思い起こします。あらゆる要素は僕の人生の記憶の欠片として遍在していて、僕は僕の過去から逃れることは出来ない。

嬉しかった記憶、楽しかった記憶はそれそのものとして箱にしまってあるので、いつでも取りだしてにへらとすることができます。だからこうやって、何かに紐づいてびらびら出てくる記憶ってのは、辛かったり哀しかったり寂しかったり、それでも誇りに思っていたり価値を見いだしていたりするものなのだろうと考えています。「その時」が特別だったからこそ、記憶の欠片を僕は世界の一部にしっとりと置いて、忘れないようにしている。きっとそれは思い出ではなく、棄て置きたいトラウマでもなく、ただ粛々と綴られた記録。自らが今ここまで辿り着くために無数に選んできた分かれ道の、文字通りの「大きな分岐点」の道標。帰り道を覚えていなくても、その日確かに死んだもうひとりの僕の墓標を頼りに、僕は人生を振り返ることができます。つまりこの世界には既に数多の死体があって、彼らを丁寧に埋葬してきたから今の僕があって、そういうことを忘れないように、彼らはこの世の何物かに凭れかかってそこにいるのです。
だからきっと、ゆっくり食べて美味しくなかったその時、僕の中で家族の見え方が少し変わった、家というものの性質を少し違った形で捉えるようになったから、その日そのことに気づけなかった僕を埋葬し、そうめんを墓標にしたのだと思います。


まだ24年しか生きていないのに、この世にはあまりに多くの死体がある。僕はそれだけの選択をしてきたのだと実感するし、これからも僕は死に続け、殺し続けるということです。
それでも最期に残ったひとりの僕が、殺していった僕たちのことをたくさんの物に託して覚えていれば、僕は僕として在り続けることが出来る。それは有難いことで、大切なことなのだと思っています。


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