2日目 糸魚川
まず松本が決まって、そこからどこに向かうのかについては、さらにひと悩みする必要がありました。なにせ28年も生きているというのに、この小さな島国日本のどこにも行ったことがないと整理するに等しいほど、偏った地域で過ごしてきたからです。
たとえば、松本からバスで高山へ抜けることが出来ます。南へ下り、飯田を通って豊橋に向かうことも出来ます(この場合は6時間半同じ鈍行列車に揺られることになりますが)。日本の交通網は、これだけ廃線減便になってもまだまだ立派なもので、感心します。
そうやってうんうん唸っている時に、ふと、白馬から糸魚川に向かう「代行バス」が、今年の6月から増便になるニュースを見たことを思い出しました。こういう記憶の発露は、とにかく天啓だと思うことにしています。業務の都合上北陸新幹線のことについて調べることが多かった時期に、一方その頃東日本では、と言った感じで見つけた記事でした。つまり長野の山奥から東京に出る時に、糸魚川を回って新幹線に乗りなさいと、その接続を良くするためのバスなんですね。
こういう「施策」っぽい動線に俄然興味が湧いてきましたので、行先は糸魚川に決まりました。
1日目に痛めた脚はまだ万全ではありませんが、朝5:00に風呂に入り、気が狂うほどに解してからは少しマシになりました。とにもかくにもこの日は快晴でお出かけ日和、70cmの黒い雨傘を持ちながら歩くのが奇妙なくらいです。
5:56発の信濃大町駅行なんて、もちろんガラガラです。僕と同じように変なひとり旅をしているだろうおじさんが2人と、これからどこへ向かうのか分からない学生、そして咋にハイキングをしに行く格好のおばさん。最近の京都は朝6時から外国人が練り歩いていますから、こういった落ち着いた朝の風景は僕にとっては貴重です。そういえばこのへんは自動改札すらありません。紙の切符を買って、駅員に印を押してもらう。これだけでノスタルジックな感傷に浸るのは、都会で生きる僕らの無自覚な優越感かもしれませんし、それはつまるところ僕らの方が滅亡までの距離が近いことを示しています。
冬の嵯峨野線よろしく、ドアの開閉にはいちいちボタンを押さなければならない車輌に揺られながら、だんだんと日が高くなっていくのを感じます。ボックスシートの二つ前の席に座るおじさんは頻りに車内の右から左へ、左から右へと移動し、スマートフォンを窓にくっつけて写真を撮っています。僕は前日の疲れが取れ切っていない躰をシートに預けながら、意識を近くにおいたり、外に遣ったりしています。人も少なく、見るべき車窓も閑散としている。日常に比べて圧倒的に、雑多な情報が少ないことに、居心地の良さを覚えます。しかし他方、普段からこの町で生きる人たちにとっては、その静けさ自体が退屈で、都会こそが現在の在るべき姿だと思うのでしょうか。そうして地域格差だとか、本当に言い始めるのでしょう。
あの忙しないおじさんはどこから来たのだろう、この長閑で穏やかな非日常を切り取って、どこへ表出させるのだろうか。
白馬へ向かう列車に乗換えるために降りた終点・信濃大町駅は、2002年に放映された『おねがい☆ティーチャー』の聖地・木崎湖に向かうための最寄駅です。そうだった、マツコの知らない世界で「聖地巡礼の秘境駅」として紹介し、秘境ではないと一蹴されていたな。膝を叩いて、偶然の出会いに得をした気分になります。後で調べてみれば今年の6月8日に20周年の大きなイベントを開催したそうで、それではほんの3週間前には、今乗ってきた列車に歴戦のオタクたちが勢揃いしていたのかと思うと、それこそ非現実的な光景だろうなと感慨に耽ります。
確かに木崎湖は良い眺めでした。宇宙船が不時着し、みずほ先生が降りてくるに相応しい、処女的な清廉さがありました。
南小谷行の列車は時間帯のおかげか、先程乗った車輌よりも多くの人間を載せて走ります。途中、私服の女子中学生がSTUSSYの袋を手に乗ってきました。こんな町にもSTUSSYはあるのか、と現実に引き戻された感じがします。こんな所でも、同じになってしまう。
とにかく現代は多様化したように見えて、価値判断の基準がのっぺりと均質化してしまいました。全てを許している風に装って、自分たちの主張を頑なに曲げない左派の気持ち悪い笑みが思い起こされます。彼女たちは都会の真似をして、現代の均質性の、恩恵を受けていると思っているのでしょうか。そして一方で、こんなクソ田舎、と唾棄しているのでしょうか。地元の馴染みの洋服屋で買った派手派手しい服を、後生大事に着続けているうちのばあちゃんの方が、よっぽど多様で自我同一性を保っているように思えます。
白馬駅に降り立つと、外国人の集団がいらっしゃいました。これから山を登るのかと思いきや、僕と同じ、糸魚川行きの代行バスを待っているようです。つまり彼らは既に旅を終え、行政が意図した通りのルートで北陸新幹線に乗るのでしょう。そして白馬からこのバスに乗ったのは、僕と彼らだけでした。
8:30発のバスは8:15頃には到着し、小太りの運転手は停留所の向かいの理髪店の店主とタバコを吹かしながら談笑しています。田舎でモーニングを提供する喫茶店の店内と同じような雰囲気です。相変わらず空は高く、空気は清々しい。5分10分の遅れに御意見をいただくようなウチのバスを運転してくれている方々に敬意を表しながら、白馬糸魚川間に生きる人々との時間の流れの差に、少し力が抜けた感触を覚えます。
代行バスですから、基本的には各JRの駅を通っていきます。道は平坦でも直線でもなく、運転には相当の技術が必要に見えます。先程まで隠居後の爺さんみたいな雰囲気だった運転手が、目の色を変えて山道に挑んでいく姿は格好よく、壮観でした。
途中駅から乗り、途中駅に降りる人間もいくらかおり、大きなプロジェクトの恩恵に預かっている対象も幾許かは存在するのだなぁと思いつつ、しかし、やはりこれだけの大型バスを転がすほどの経済効果は出ていないであろうから、これもひとつの福祉なんだろうな、と結論づけるに至りました。
田舎のバスは本数が少ないため、予定どおりの到着後、糸魚川駅にて幾分の空き時間が発生しました。まずは荷物をコインロッカー(この日はコインが必要でした)にぶち込み、身軽になってからバスを待ちます。土曜の10時だというのに時が止まったかのように車1台の動きもなく、頭の密度を極限まで低くして疲れを取ります。
糸魚川の市営バスは、乗客数に対して停留所が多すぎて、運転手が行先案内の更新を忘れがちな、雰囲気の緩い乗り物でした。おかげで僕は降りたい停留所から3つも離れたところで慌てて降車ボタンを押し、よく分からない民家の前に降り立ちます。昨日からお世話になっているGoogleマップくんに現在地を表示してもらうと、成程15分は余計に歩かないといけないようです。あの野郎、僕が気づかなかったらいつまで行先案内を更新しなかったんだ? すでに気温は30℃近く、これから向かう「翡翠園」は坂を登らないといけませんから、幸先が悪いなぁと思いました。せめてこういったハプニングによって偶発的に起こる出会いでもあれば良いのですが、そもそも人っ子一人歩いちゃいない。と思っていたら、GoogleEarthの撮影車が辺りを巡回しておりました。こんな所まで撮りに来ているんだなぁと当たり前のことに感激しながら、しかし同時に、何の変哲もない田舎道の風景に突如、ビビットな水色の車が走っていることに本能的な危険感を覚え、不思議な感覚になりました。
暑い。結構な坂道を上り、玉の汗が頬を伝うのを自覚した頃に到着。先客には妙齢な御夫婦がいらっしゃって、ゆっくりと歩いて見回っているようです。
受付の小屋にはおじさんと姉ちゃんがいて、ここの仕事はどうやって成り立っているんだろうと不思議に思いながら、つとめて無表情に入場を申し込みます。
どちらからお越しに?と問われ、京都からと応えると、「そんな遠くからありがとうございます」と返されました。糸魚川の人間にとって、京都が「そんな遠く」であることに吃驚して、「ま、まぁこの辺を巡ってまして」と、なんだか悪いことをしている人間の言い訳めいた口調になってしまったことを反省しながら中に入ります。
この翡翠園と、この後向かう玉翠園はいずれも、足立美術館の庭園で有名な中根金作の造った庭園です。正直、庭の善し悪しはよく分かりません、あまり数も見てきておりませんで、どうだろう、兼六園やら後楽園やら、そういったバカデカいものや、龍安寺の枯山水みたいな、ブランドが付いてしまったものは観たことがあるのですが、こうして本当に趣味の領域で作られた庭には明るくありません。それでも、「ここから観るべき」と設定された縁側に腰掛けてみると、なるほど、近くにあるもの、遠くにあるもの、さらにその奥にある、造られていない自然とが、不連続なんだけれども溶け合っていて、ひとつの構成物として情報処理される感覚に驚きました。
特に、奥にある自然を景観の一部に取り入れる「借景」の感覚が見事で、決して大きな庭では無いのですが、この手法によって、かなりのスケール感を生み出しておりました。
ここには1日に何人来るんだろうと要らぬ心配をしながらぐるりと苑路を巡ると、しっかりと刈込されているのだなぁと確認することが出来ます。さっき受付の小屋にいた2人が管理をしているのだろうか、その見事な仕事ぶりに感服し、堪能しました。
帰り道になにか無いかとキョロキョロしていると、五百羅漢堂というものがあるようなので立ち寄ってみます。暑いですが、こうして予定から外れた行動をしたい欲望は涸れていません。
昔は立派に立っていただろう説明の看板の脚が折れ、この画角の外、左脇に捨て置かれています。それによれば作られたのは天保のころ、10年はかかっただろうとのことです。ここには説明書きがありませんが、五百羅漢とは、釈迦の入滅後はじめての結集に集まった500人の弟子がモチーフになっており、「自分に似た顔が必ずひとつある」といわれます。僕もちゃんと探しましたけれども、もともとタレ目で仏像顔なので、明確に自分らしきお方は見つかりませんでした。兎に角、こんな人っ子一人いない町に500人もいる可笑しさというか、不均衡さに破顔しながら、そして打ち捨てられた看板に妙な愛着を覚えながら、次なる目的地、谷村美術館まで歩きます。
こちらの受付には誰も居ませんでしたが、辺りを見回していると、若い女性スタッフがスミマセーンと言いながらガンダッシュして来ました。アツイナカスミマセーンと甲高い声で言うのですが、凄い汗をかいているようでそちらを心配してしまいます。そして翡翠園の受付と同じに、「どこから来られたのですか?」と聞かれました。僕もつとめて同じ答えをすると、「そんな遠くから」と言われました。これは定型文なのかもしれません。
美術館の中はとりあえず涼しく、人もおりません。なんだか、異国情緒の漂う気温、湿度、そして音楽が流れています。シルクロードの沙漠を想定し、一つ一つの像が設置された窟と一体になって存在感を示しています。中は撮影禁止なのでお伝え出来ませんが、日本の片田舎に大陸文化としての仏像が置かれているという不安定さを丸ごと覆い尽くすような、圧倒的な存在感と優しさを湛えた建物と空間造りは、ここでしか感じられない様相でした。
谷村美術館の庭園は、建物の中から見るスタイル。ここでは恐らくお茶を頼んで語らいながら、何の気なしに眺める程度の温度感が適切なのでしょうが、あいにく語る相手もおりませんので、とかくぼぉっと日本の初夏を眺め続けるだけです。こちらも借景が見事ですね、奥の小高い丘まで含めてひとつの景色になっています。かなりの奥行を感じさせますが、こちらも規模としてはかなりこじんまりとした庭園です。天気が良かったことも、一層この庭の水や草たちを輝かせました。
駅に戻ろうにもバスの本数が少ない。立っているだけでも汗ばんで来ますが、仕方ありません。意識レベルを半分くらいまで落としてそれを待ち、昼は魚を食べたいなあと思いながら駅まで揺られます。このあたりは観光客用に「ジオパーク丼」というよく分からない企画をやっているから、その辺りを巡れば何かあるだろうと思ってそぞろ歩きをしていると、今にもラストオーダーを迎えて昼の暖簾を下げようとしている店を見かけました。
ここにも観光客向けの豪華な海鮮丼があったのですが、他の客がみな日替わりを頼んでいるので、釣られて頼んだら出てきたのがこれ。メダイとアンコウの海鮮丼と聞いていたのに、南蛮漬けやらあら煮やらツブ貝やらが盛りだくさんで1,200円。味噌汁の中にもアラが入っていて、今年いちばんの味噌汁でした。これが疲れていない日であれば堪らず日本酒を貰っていたところでしたが、如何せん暑さにやられていましたので自重しました。どれもそつ無く、非常にコストパフォーマンスの高い食事になりました。
ゆっくりと散策しながら駅に戻り、今度は内陸の方へ向かいます。これまた今回の旅の目的である、フォッサマグナミュージアムに向かうためです。糸魚川と言えば糸静構造線!フォッサマグナ!となるのが、いわゆる王道と言うやつです。京都に来て清水寺に行くようなもん、つまりはミーハー心の消化ですね。
バスで山を登るって辿り着いたのですが、なんと家族連れの多いことか。雰囲気としては、勝山の恐竜博物館に近いですね。なぜ男の子の方が恐竜やら化石やらの地学系に興味を持ちやすいのかは分かりませんが、とにかく男児がはしゃいでいる。そこにツアーできた御老人が交じっている、といった感じです。
しかし展示はかなり堅くしている印象で、この地の特徴、なぜこの街がこの街になったのか、なにがこの街をこの街たらしめるのか、というアイデンティティを一生懸命に説明しているように感じました。ということはつまり、寝不足のじじいにはキツいということです。何やら昔習ったことをさらに詳しくわかりやすく説明しているようなのですが、暑さと疲れで頭がパァになっておりますので、何にも入ってきやしません。映像で説明されているものには何とか食らいついてそれを鑑賞し、後は化石にキャッキャしながら巡ります。もっと元気な時に来るべきでしたが、次に糸魚川に訪れるのが何十年後になるかは分かりません。
ツアーの集合時間に遅れそうなのに、「せっかく来たんだからゆっくりちゃんと見ないとね」と呑気にしている紫頭のご婦人を横目に、分かったような気にもならないまま写真をパシャパシャ撮った後は、いよいよ本旅の最終目的地、富山への移動です。
相変わらず日が高く、空も明るいまま、つまりずっと暑かった。糸魚川から富山もかなり距離があるのですが、ボックスシートに腰をかけたあとの記憶がございませんで、しっかり昼寝をかましてしまいました。この路線、かなり海沿いを通るので、車窓から海が見えてとても綺麗だったはずです。スマホのカメラロールを見返してみると、なにやら記憶のない海の写真が数枚ありましたので、無意識のうちに撮って居たのでしょう。
本日することはもう美味い飯を食うだけなので、ここは体力の回復をして正解だったまでありますね。
富山駅には17時頃につきましたが、何をする元気も残っていないので、路面電車を眺めながら涼しくなるのを待ちます。糸魚川に比べると随分と建物がたくさんたっていて、県庁所在地の力を感じます。それに先ほどはほとんど見なかった「学生」が、ちょうど下校の時間だったのか、通りがかっては目の前のスターバックスに消えていきます。学生がスタバなんか行ったら破産するだろとは思うのですが、それが現代を生きる必要経費なのかもしれません。
やっと太陽がビルの後ろに姿を隠し始めた頃に、重い腰をあげると、なるほど、昨日の足の痛みがぶり返して来ているようです。つくづく軟弱な身体に辟易としながら、今晩の晩酌に向かいます。
大衆割烹あら川は、その名の通り大衆に愛される、しかし毅然としたプライドを持って仕事をされる佳い店でした。ほかの料理はもうインスタに挙げていますから、ベストショットのみの掲載ということで。
隣のにいちゃんはずっとビールで1本筋を通している。その隣のカップルは気の大きい男が女を一生懸命口説いている、端に座った僕はキッチン奥のテレビ番組を眺めながら、チビチビと日本酒を呑んでいる。その全てを、闊達な空気が包んで、どこまでいってもこれは日常の中の一コマであるというところから離れない、だけど確かな気品というか、上品さがある世界で、とても好感を持ちました。こんなところに通い詰められるような大人になりたいなぁと思いつつ、一方で京都のこういう店って、敷居が高い感じがしてしまうんだよなあと、いつも住んでいる街の方を遠く久しく捉えてしまいます。それは結局僕が、京都の者では無いからなのでしょう。もう小牧から出て15年になるけれど、真に京都という街に馴染むには、人の寿命は短すぎるのかもしれません。
今日は部屋のあるホテルに泊まります。思えば木曜の夜は夜行バスの中で過ごし、昨日はカプセルの中で過ごしました。風俗街の真ん中にある古びたホテルですが、それでも自分の部屋があることを幸せに感じるくらいには疲れました。
窓を開けると、無料案内所の看板が目につきます。疲れすぎて、風俗に行く気にもなりませんので、なんとか部屋風呂で汗を流して、最終日に備えることにします。
松本から糸魚川、富山までの大移動は、良い天気に恵まれながら、徐々に乾涸びていく心地良さに充足しました。
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