けんかの捉え方のちがい。
おととい、けんかをしました!
私たちのするけんかは、いつもワンパターンなんですよね。
私が相手を「そんな細かいこと言わなくてもいいやん!!」っていう風に怒らせてしまうパターン。そんなつもりじゃないんよ~
それで仲が悪くなったりはしないけど、何回も何回もだからしんどくて何とかしたい。
話して考えてみると、根本にけんかの捉え方の違いがあるねってわかりました。
「けんか」の捉え方2つ。
①相手(一言でけんかきらい・語弊あり)
お互いの嫌なこと・悪いことを言語化して指摘しなきゃいけないつらいこと。深刻な問題では話さなきゃいけないけど、軽いものなら流してなるべくけんかしたくないし、いちいちするべきでもない。
②自分(一言でけんかすき・語弊あり)
もっといい状態になるように、こうしたら解決やん!っていう方法を見つける話し合い・会話。そんな大層なものじゃなくて、相手の欠点を追求する目的じゃないから、溜めこむよりは気軽にしたらいい。
※言い方には全力で気を付けている。
決定的にちがいました。笑
根本的にちがう価値観
おもしろいですね。どっちが正しいもない、ただただ道徳の価値観がちがった。
この違いによって、
①けんか嫌いからすれば
「こまかいなーーそんなこといちいち言わないで流してよ!!」
②けんか好きからすれば
「あとで発展するかもしれない些細なすれちがい放っとくの!?」
といった感じ。噛み合わない。笑
1つの共通点で乗りきる
でもまだ今のところ耐えてるのは、考えがちがうことの枕詞に「まあ理解はできるけど、、、」があることだと思っています。
そもそもの価値観がちがうときは、これができないとしんどいなあって思っていました。
実際私の方は、毎回真剣モードでこまかいって言われると心にきます。笑
自分が神経質すぎるんかな、おかしいんかな?でも嫌なのには変わりないんだけどーって。
でもちゃんと話し合って、こまかいって言われる理由の1つにけんかの捉え方の違いにあるってわかって、理解はできるって言われて、少し心は軽くなりました。
「理解はできる」レベルまでに使うエネルギー
このお互いの考えの違いに対して「納得はできひんけどわかるっちゃわかるよ」レベルまで行くのにかなり体力を使いました。
そのためのエネルギーになるのは、お互い仲良くしたいと思ってるんだという安心感かなあと思います。
考えが違っても、「仲良くいたいんだけどねー」って言えば話し合いの雰囲気だけは明るくなることがあります。お互いに対して悪気があるわけじゃないって再確認すること。
↑このあたりが私なりに一番大切にしたいなって思うところです。
言葉に棘のあるthe喧嘩に発展すると、相手を論破したくなって、うすっぺらい理屈の武器まで持ちそうになるときがある。笑
でも向かうべき方向は、一緒に仲良くしてようよーっていうあほらしい平和な世界なんですよね。
これを日頃から忘れないようにしなきゃなって思いました。
解決策はまだない
こういうことでけんかは終わったけど、これからもまた同じようなことで言い合うことがあるんだろうねえ。
解決策の見つからない(今のところ見つけられない)問題って個人間でもあるんだなあと、国際関係を勉強している私、実感できた感じがします。
でも今回の考えの違いは、そのままにしておいてもまだ大丈夫なレベルでした。
でもどちらかに負担が偏って大きいのをそのままにしておいたり、
距離が近くなって頻繁にぶつかったり、
人生考えたときに無理って思うくらい深刻な問題で意見が分かれたり、
そういうときに社会人になると特に大変なんだろうなーって想像してます。
語ってしまった
21歳の経験も少ないやつが語ってしまった。のちのち恥ずかしくなるんやろうけど、それまでは公開にしておこう。
そしてこのアカウントはそのけんかした相手にも知られてる。恥ずかしいから絶対見ないでって言ったけどどうだろう?笑
長くて拙い文章ですが、読んでくれた方がいれば本当にありがとうございます!
(抽象的なこともわかりやすく文章にできるようになります、、、)