プロフェッショナルを自認する全ての人へ
民間企業や公的機関における不正・不祥事のニュースは絶えることがありません。犯罪的営利行為、非倫理的行為などの原因は組織ぐるみのものもあれば、一従業員や一管理者、一経営者によるものもあります。しかし根っこは一職業人の中の職業倫理欠落(あるいは欠陥)によって引き起こされます。
倫理・道徳などというのは、経済がますます利益獲得ゲーム化する中では、抹香くさいテーマとなり敬遠されがちになるものですが、働くことを考えるうえではここを避けて通ってはいけません。特に自身を「プロフェッショナル」と自認する人にとっては、です。なぜなら、「倫理を誓う」ことが「プロフェッショナル」の原義だからです。
厳かな誓いを伴う職業がプロフェッショナルである
「プロフェッショナル」という言葉は、現在では拡大解釈され、いささか大安売りされている感がありますが、もともと「プロ」と呼べる職業はきわめて限定的でした。
ジョアン・キウーラ著『仕事の裏切り』(原題:The working Life)によると、プロフェッショナルという言葉は、もともと“profess”=宗教に入信する人の「宣誓」からきていて、やがてそこから、厳かな公約や誓いを伴うような職業をプロフェッショナルと呼ぶようになったといいます。
中世に存在した数少ないプロフェッショナルは、聖職者や学者、法律家、医者でした。彼らの仕事の特徴は、仕事における個人や組合・協会の自律性と、私欲のない社会奉仕精神・公約の精神です。プロフェッショナルの仕事は無報酬を理想とし、お金を稼ぐために仕事をするのではなく、仕事をするために必要な経費だけを頂戴するという意識でした。
その意味から、社会学者のタルコット・パーソンズは、「(こうしたプロフェッショナルの厳格な定義に照らすと)企業管理者は決してプロになれない」と主張しました。なぜなら企業におけるビジネスマンは、基本的に利己的な利益獲得行動に走らざるをえないからです。
『ヒポクラテスの誓い』は社会奉仕の喜び
欧米の医学会では、いまでも医師になるときに『ヒポクラテスの宣誓』を行なうしきたりを残すところがあります。
ヒポクラテスは、紀元前400年ころに活躍した人で、ソクラテスやプラトンと同世代のギリシャの偉人の一人です。「人生は短く、学芸は永し。好機は過ぎ去りやすく、経験は過ち多く、決断は困難である」との有名な言葉は彼のものです。ヒポクラテスは、当時の医術の発展に多大な貢献をしただけでなく、後世の医の倫理の礎を築きました。
彼は多くの著書を残し、そのなかの一つで「誓い」と題された短文があります。これが世に言う『ヒポクラテスの宣誓』です。彼はそこで医師の戒律・倫理を明言します。
『ヒポクラテスの宣誓』は、冒頭、医神であるアポロン、アスクレピオスらに誓いを立てる文面からはじまり、医を志す際の師弟の誓い、そして医師として患者第一とする利他的で我欲を排する誓いをする内容です。
こうしたみずからが進んで利他の精神を誓い、みずからの能力を社会奉仕に使うことを喜びとする専門職業人こそが、本来の意味での「プロフェッショナル」なのです。その観点からすると、現在、どれほどのプロ自認者が厳密にプロと呼べるのでしょう。
精神のない専門人と心情のない享楽人
利益追求や利己主義は一方的に悪いことではありません。むしろそういう動機があってこそ現代の資本主義経済は回るようにできているし、さまざまな創造や革新も起こります。欲は善にも悪にもなりうえるものです。
マックス・ヴェーバーはいまから100年以上も前に、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)の末尾において、資本主義の興隆で跋扈し、うぬぼれるのは「精神のない専門人と心情のない享楽人」であると予見しています。
精神のない専門人が、プロフェッショナルとして多量になりすぎると、ビジネスは単なる「利益追求ゲーム」へと成り下がり、その果ては、「圧倒的な富を得る1%の勝者」と「十分な富を得られない99%の敗者」をつくりだす社会にしてしまう危険性をはらんでいます。そこでは、経済が本来、“経世済民”として持っている「民を救う」という使命・目的が喪失されることになります。
欲望をエンジンとして回り続ける自由資本主義というシステムを、今後も持続可能にするためには、欲望の自制とそれを賢明に活かす英知が不可欠となります。そのとき、『ヒポクラテスの宣い』は新しい光をもって多くのプロフェッショナルたちに見直されるべきものであるといえます。
厳密な意味で「プロフェッショナル」は、胸中に誓いを抱いた徳を行じる職業人です。単に高度な知識・技術を持つ専門家なら「エキスパート」という呼称があります。
さて、あなたはプロフェッショナルでしょうか、それともエキスパートでしょうか?───胸に手を当てて、誓いがあるかないかを自問してみましょう。
執筆者:村山昇 キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
*本記事は、「GLOBIS知見録」からの転載です。
【参考書籍】
『働き方の哲学』
村山昇(著)、ディスカヴァー・トゥエンティワン