他人軸で生きる、をやめてみる
最近、ちょっと考えたことがある。
このごろ、好きな人とLINEをすることが多い。
予定を決めるためのものもあれば、どうでもいいことを話したりとか。
LINEは人によってスタンスが違う。
絵文字を使って感情表現豊かに送ってくれる人もいれば、絵文字などを何もつけず、文面だけ見ると淡泊に感じられるようなものを送ってくれる人。
私は前者とのLINEが安心する。絵文字があると相手の感情が分かるし、文章も大体長めで丁寧で、主語述語があって分かりやすい.
相手はそうじゃないのに「怒ってるのかな?」とか考えてしまう余地がないので、疲れない。めんどくさくない。
だが彼のLINEは後者だ。!マークはよくつけてくれるが、たいてい返しが短く、文面から感情が読み取りにくい。「これは前向きな感じなのか?それとも逆なのか?」とかあれこれ考えてしまう。よって正直疲れる、めんどくさい。これが恋愛がらみだから、より一層めんどくせぇぇ!と思ってしまう。だから私はそういう人とは電話がしたい。でも彼はルームシェアをしていて、しかも仕事を掛け持ちしてて忙しい様子なので、なかなか電話しようと言えないのが現状ではあるけれど。
直接会って話していると、LINEみたいな淡泊な感じが全くなくて、あれやこれやと総合的に判断して、そういうLINEのスタンスの人なのだと理解した。それからはいくらか楽になったが、最初は「どういうつもりなん?」と困惑していた。
とはいうものの、やはり疲れてしまう。LINEのたびに自分の感情がかき乱されて、家にいるのに安心できないような感覚。ドラマを見ていても、頭の片隅で考えてしまうみたいな感じ。一人でいるのに一人でいないみたいな。落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
それであるとき、ふと思った。
「いや、普通におかしくない?この状況」と。
LINEのたびにあれこれ考えてはぐらぐらして、心の平和が保てなくなっている。彼のたったひとつのLINEで、こんなにもぐらぐら心が揺れ動かされてしまう状態というのは、いったいどうなんだろうか、いったいどれだけ自分の軸は弱いんだろうか、と思ったのである。そしてそんな自分に急に怒りが込み上げてきたのだ。
それが恋だよ、という意見もあるかもしれないが、そんなものが恋なら私はしたくない。しない方が圧倒的に幸せだと断言できる。
私にとって恋は、ドキドキであふれたものよりも、心が安らぐような、穏やかなものであってほしい。
そんなこんなで、一晩めっちゃ考えた。
まず、これってLINEだけの問題じゃないな、と気づいた。
そしていろいろ考えて、他者と自分の関係性についての考えに至り、
先に結論を言うと
「他人軸で生きるのやめよう、誰かの期待に応えるのやめよう」
になった。
そしたら楽になりかけている。
やっと本題に入る。
私がLINEや日々の会話、人付き合いの中で、考えなくてもいいことまで色々考えてしまうのは、きっと「嫌われたくない」が私の軸になっているからだ。
嫌われたくないから、他人の望む私の姿になろうとする。
だから他人の顔色を窺って、他人の感情をくみ取ろうと必死になる。
相手の期待に応えようとし、認められるとそれはそのまま私の自己肯定感につながる。
他人軸である。
そこに「私」はいなくて、「望まれる私」がいるだけ。
他人に認められることで自己肯定感が形成されるようになると、自己肯定感を自分で生み出すのが難しくなる。他人からの評価=自分の価値。
他人に認められることでしか自分の価値を見出せなくなるから、結果私は承認欲求の塊になる。
でもそれによって形成された自己肯定感や自分の価値って、ものすごく不安定で脆い。
なぜなら、それらの起点が自分ではコントロールできない他者にあるから。
勉強の偏差値やテストの点数みたいに、基準が明確で画一的なものとは違って、自分に向けられる評価は、その評価を下す人によって基準が違う。だから絶対なんてものはないし、場合によっては相手の勝手な都合で変わりうるものだ。
つまり何が言いたいかと言うと、
私は幸せや自己価値の起点を自分にしたいのである。
他人の顔色を窺って認められようと動くのではなく、自分がいいと思ったように動きたい。気を使って時には嘘をついたりするのではなく、正直でありたい。
他人軸で生きるのをやめたい。
なんで自分はこうも他人の顔色を気にしすぎるのか考えてみた。
多分、家族と私の関係性から生まれたんじゃないかと思う。
「勉強ができる」という両親の期待に応えたら、褒めてもらえた。いつしか家族の中での自分の存在価値みたいなものを、勉強で褒められることでしか見出せなくなっていた。
親の「期待に応える」ことで初めて、私はあの家に存在できた。
別に親や家族のせいにしたいわけじゃない。
ただ、今でも私は実家に帰るのが怖い。
実家に帰ると、いつも自分のすべてが家族に評価付けされているように感じられるから。
今好きな音楽は?はまってるものはあるの?大学はどうなの?彼氏は?
離れて暮らしている上に、SNSはやっていなくて、LINEも家族とはほとんどしないこともあり、久しぶりに会ったとき質問攻めになる。
それらに対して答える私のすべてに、点数が付けられているような気がする。どうしてかは分からない。いつからこうなったのかも、分からない。
分からないことばかりだけど、分かるのは、多分苦しいということ。
他人のために私を作るのは苦しい。「いい人」と言ってもらえるけど、それって私じゃない。私が私で作り出した、私。
とりあえず他人軸で生きるのをやめたい。
他人からの評価で、自分の存在価値を決めてしまうのをやめたい。
自分は自分だと、胸を張って生きていきたい。
自分の軸を自分で支えられる人でありたい。
そうなれたら、顔色を窺いすぎたり、自分を見失ったりすることもなくなるんじゃないだろうかと思う。彼とのLINEも、気負わず楽しくできるようになるんじゃないかと思う。
思えば、彼との会話だって、嫌われたくないばかりが先行するから、続かないわけで。話す前に、これは違うかとか考えすぎちゃうから。かえって空回ってる感めっちゃある。
気を使いすぎるのをやめようと思っても、やっぱり癖がついてしまっていて、なかなかすぐには変われないけれど、少しずつ、なりたい私になっていけたらいいと思う。
気を使いすぎず、私のなりたい私で。
彼とのLINEで振り回されすぎてる自分に気づき、そんな自分の脆弱さに怒り、彼に嫌われたくないがゆえに考えすぎているから疲れるんだと考え、そして嫌われないようにと顔色を窺いまくっている日常生活に気づき、そんな自分にまた怒り、家族との関係性とかいろいろ考えて、もういい加減やめよう、と思った話でした。自分で考えていても難しくて、きちんと文字にできたかどうか自信がありませんが…
最後まで読んでいただきありがとうございました。また。
大屋千風