現実が夢を侵食しきる前に
昨日、昼の12時丁度に目が覚めた。
月曜日は午後から授業がある。急いで準備して、12時過ぎに家を出ても間に合うけれど、授業が始まる前の丁度いい頃に大学に着くくらいの時間なので、バスはものすごいぎゅうぎゅう詰めになる。
土曜日曜とバイトで疲れた身体は言い訳となり、また布団にもぐりこんだ。
大学を休んでしまった日は、罪悪感で嫌な気分になる。
ぬくぬく温かい布団の中で、そんな気持ちをかき消すように大きな音を出しながらインスタのリール動画を目的なしにただ見ていた。
もう11月。クリスマスが近い。
私は昔からクリスマスディズニーに憧れていた。関西に住んでいたので、ディズニーはいつも春休みや夏休みに行っていた。回数で言えば春のイベントのイースターが一番多いと思う。クリスマスイベント開催期間は学校の長期休みにかぶらないので、絶対に行くことはできない。幼い私にとって、きらきら光るロマンチックな世界はずっとカギのかかった宝石箱の中にあった。
上京してきてもう3年目。ディズニーは近い場所になった。
去年も行こうかと思っていたのだが、なんだかんだで行かずに終わってしまっていた。やりたいソロ活のひとつに「おひとり様ディズニー」もあったので、今年こそはと思い、インスタで色々情報を見ていたら、おすすめ投稿はいつの間にかディズニーばかりになっていた。赤と白、ミッキーの写真が並ぶ。
そして朝、右手の親指を動かしてリール動画を見ていたら、毎朝舞浜駅前の混雑状況を紹介しているアカウントの動画が流れてきた。今はハロウィンとクリスマスの間の何もイベントが行われていない時期で、ガラガラだ、という内容だった。
私は混雑が好きではい。大衆迎合しているような気分になるのだ。
3連休の中日はショッピングセンターや観光地などはどこも混む。考えていることは人間誰でも同じなんだなぁと、どこか斜めに見てしまう。
私はきっと、みんなが右に行くなら左に行きたいと思うような人間なのだろう。みんなと同じは嫌で、自分は特別でありたいという思いが根底にあるんだと思う。
特別なんてなれやしないのに、なろうとするのをやめられないのはどうしてだろうか。
さて、ガラガラだという情報を目にした私は、クリスマスイベントが始まると激混みになることを知っていたので、行くか、と決めてしまった。
何か非日常性が高い予定が先にあると、そのことばかり考えてしまって目の前にある嫌な現実が手につかなくなってしまう癖があるので、早めに終わらせてしまいたかったという気持ちも手伝った。
17時から入園できるチケットをとり、朝昼ごはんのトーストを食べながらyoutubeでディズニーの動画を流す。大学だと動かないくせに楽しいことには素早く行動するんだから、自分だってそういう大多数の怠惰な人間のひとりなのだということを自覚する。結局one of themだ。分かっている。
いつもより少し長めにアイラインを引いて、ラメも少しだけ多めに瞼に乗せてみる。髪もなみなみに巻いて、すこし薄暗くなり始めた空の下に出る。
念願のソロ活。
日が落ちると同時くらいに入り、頭にみみのついたカチューシャ、肩にはくまのプーさんのぬいぐるみをつけて、のんびり歩く。
数日後に始まるクリスマスイベントに先駆けて、グッズやフードはクリスマス仕様になっている。装飾もあちこちにリースやポインセチアが飾られていて、クリスマスを楽しむには十分だった。
ワッフルを食べ、なんともかわいいクリスマスグッズを見、ビールと肉巻きおにぎりをほおばりながらベンチで雰囲気をのんびり味わい、散歩を楽しんだ後、大好きなハニーハントに並んでは乗りまた並びを3回繰り返した。3回目が終わると丁度閉園時間の21時になって、出口に向かう途中、ベイマックスのノリノリになれるアトラクションを一回分だけ眺めてハピネスをもらい、帰路についた。
非常に楽しく、4時間と短い時間だったが、空いていたのもあって十分に満喫できたと思う。
ディズニーに行く度、どんどんその存在が「夢」でなくなっていくなぁと思う。昔はずっと、もっと、遠くて、幸せで、きらきらしていて、一日があっという間に終わってしまって、その日が過ぎても輝く記憶として私の中に存在するような、まさに「夢」のような場所だった。
ディズニーそれ自体がどうこう、ということでない。
私が変わったのだ。ただ単に大人になったというだけなのだろうか。
以前友人とディズニーに行った時、彼女も同じことを言っていた。
「現実が夢に近づいてるんじゃなくて、夢が現実に近づいてるんだよね」と。
「夢が現実に近づく」というのは、夢が実現する、ということを意味するのではない。私たちは夢として見ていた存在の中に、現実を見るようになったのだ。
現実を手放して夢の世界に没頭できなくなった。
昔は現実と夢の国との間にちゃんと明確な境目があった。だから「帰りたくない」という言葉が口から出た。
行く度にだんだん、というか年を重ねるにつれて、夢の国にいても、頭の中には現実がしっかりと詰め込まれていて、夢が入り込んで私を陶酔させてくれるような隙間がなくなっていっている。
きっと、隙間を作って、いっときの幸福に酔いしれてしまえば、戻ってこれなくなりそうで怖いのだろう。
保身は時に、私を退屈にさせる。
次は、いつか、私の中で現実が夢を侵食しきってしまう前に、まだ隙間が少しでもあるうちに、現実なんかクソだと思いっきり手放して、ミッキーたちに無邪気に手を振って、音楽に合わせて全身で踊って、楽しいねと笑顔で言ってくれる人と一緒に行きたいものだ。
その時はきっと、私も現実を手放せる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また。