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ゆりかごと墓場

お盆前の帰省と、そのまま母方の祖父母の家への旅を終え、昨日東京に帰ってきた。

祖父母の家がある東北の超がつくほどの田舎で、その近くに住む年の近い従兄妹たちと遊び、食べ、楽しく過ごした。色々な場所にも行った。とても楽しかった。毎年夏のお盆の時期に合わせて関西にいる私たち家族が行き、数日寝泊まりしているのだが、会わない一年のブランクは一切感じられない。会ったらすぐに、まるで毎日会っているみたいに話せる。最近のこと、大学のこと、就活のこと、あれこれ話して過ごす。住む場所も境遇も、将来への方向性も全然違うけど、私たちは従兄妹というだけで、近い存在になれる。同い年の従兄は私と思考が似ているので深い話もできる。恵まれたと思う。

また来年、と毎年同じように手を振って、私たちはそれぞれの現実に帰る。
毎年楽しすぎて、猛烈に帰りたくないと思うのだが、いったん帰ってしまえばまたいつもの現実が手に落ちてくるだけである。

都会に出てみると、空は狭くなり、こちらを向く広告の文字は多くなり、言うまでもなく建物はその密度を増している。
どこか空気が違う。都会特有のせわしなさというか、私は何か窮屈なものを感じた。気のせいだろうか。

さて、今回はお盆でのある出来事について、自分の気持ちの解像度も上がったようにも感じるので、そのことを書いておきたいと思う。

お盆の日には祖父母の家に親戚が多く集まる。
お墓参りに行き、そのあとは家でついた出来立てのお餅を囲む。
毎年顔ぶれは同じで、私たち孫の世代は大きくなった大人になったと言われ、おじいちゃん世代は大きくなった私たちに感心した後、自分たちも年を取るわけだ、と言って互いに刻まれたしわの多さを笑うのだ。
おいしいごはんと、久しぶりの再会。
お酒が入ったじいちゃんの長すぎる話、じいちゃんの畑でとれた中身が時々ない枝豆、地元のスーパーのオードブル、話すのが好きなのか毎年恒例のばあちゃんの若いころの話、、、などなど。毎年繰り返される時間。
年に一度の、愛しい時間だ。

だが今年は、ここに新メンバーが加わった。
私の母の従妹、私の母の父の弟の娘さんが結婚し、赤ちゃんを連れてやってきたのである。

彼ら家族が車から降りてきた時から、抱える幸福の度数が、もう違っていた。
生後3か月というその赤ちゃんは、まるで柔らかな春の空気を身に纏っているように感じられ、歴史を刻んだ古い家に新しい風を吹き込んだ。

家族一行は歓迎と祝福の言葉と共に迎えられた。
母親の腕の中に柔らかな視線が注がれる。
名前は?誕生日は?といった質問が投げかけられ、子育てを一通り終えたいわば経験者の私の母や従兄妹の母は母親となった従妹に大変でしょう、とその愛おしさを含んだ苦労をねぎらう。
すべてが丸みを帯びていた。もはやこの世には、暴力や汚い感情などないのではないかと一瞬思った。そう思えてしまえるほど、そこには柔らかな何かが広がっていた。確かに存在する無条件の愛。
赤ちゃんが笑えば周りも笑顔になった。そこにあった小さな世界は、間違いなく彼女を中心に回っていた。

私はその空間に、ただひとりあった。

赤ちゃんの母親の両親の、その嬉しそうな様子が、ただただ印象的だった。
それが私を苦しめた。

自分の母が、孫を望んでいることなど、とっくの昔から知っている。
進路や就職など、好きにしていいと言ってくれている一方で、最終的には結婚や出産を選択してほしいと思っていることは、言葉の節々から感じていた。

だけどその期待に応えられないことは、自分が一番知っている。
現時点ではだが、私は結婚も出産も前向きには考えられない。

もちろん親の期待に応えることがすべてではないことなど、とっくの昔に知っている。だけど、応えたいと思ってしまうのだ。

これまで勉強や受験に関して、それが上手くやれれば親が見てくれたから一生懸命やっていたのだと「今だから」考えたりして、正直親を恨んでみたりした日もあった。だけど、そういう側面もあったけれど、ただ確かに、いろいろ経て最近になってようやく、私は愛されていたのだと思えるようになった。勉強ができる私でなくても、私はちゃんと見てもらえると、特に具体的な出来事はなかったが、最近になってようやく、思えるようになった。

期待に応えることがすべてではない。期待に応えることが自分の存在証明になるのでもない。自分を作るのでもない。それは分かる。
だけど、期待に応えたいと、親に喜んでほしいと、恩返しがしたいとも、一方で思うのである。

私には姉と妹がいるので、その二人が結婚や出産をして親に孫を、と任せてしまうこともできるのだが、そうなれば私はまた居場所を失うのではないかとも、思ったりする。期待に応えないからと言って見てもらえなくなるわけではないことを分かっていても、それでもどこかで、応えないと見てもらえなくなるのではという不安を、手放すことができない。

注がれる暖かな視線の中で、赤ちゃんが泣いてしまった。
私の母が、目を細めて愛おしそうにその姿を見つめていた。
見ていられなかった。
母の望みをかなえてあげられない自分に、心底絶望した。

そして気づいたことがあった。
自分が実家に帰るのが嫌なのは、親の期待に自分が応えられていないことを、実感させられるからなのだ、と。
帰るときに綺麗になるように日にちを調整して髪を染めてまつ毛パーマをしたりばっちりメイクをしたり容姿を気にして帰るのは、期待に応えられる数少ない部分の一つだからなのだ。
先に書いたように完璧でなくても大丈夫だと気づいてからはそこまで気にしなくはなったが、以前は過度なほどに、気にしていた。

色々辻褄があう。

その後お墓参りに行った。
お墓は落ち着く。自分は死があまり怖くないのだということを、再確認する。今私が死ねば父方の家のお墓に入ることになるが、希望すれば母方のこちらのお墓にも入れるらしい。骨は海にまいてほしいと思っていたが、みんなが毎年こうして来てくれるし、じいちゃんやばあちゃんも亡くなったらここに入るそうなので、ここなら寂しくないかもなとも思った。

一日の間で、この世に生を受けたばかりの赤ちゃんと、消えていった人たちの眠るお墓に行った。私は今その間を生きているのだなぁと考えたりした。でも私は常にお墓の方に寄っている。

期待に応えることがすべてではないことなど承知だが応えたいと思うこと。
応えたいけど、応えられない自分にひどく絶望すること。
ゆりかごと墓場の間で、そんなことを考えた。

赤ちゃんが帰る時、みんなでバイバイと手を振った。
どうか私のようにはならないでと、ただ願った。

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