120円

たまに無性に、お酒を飲んでべろんべろんに酔っぱらってしまいたいときがある。

バイトで嫌なお客さんにあたった日、嫌なことを言われた日などなど。
私のストレスを構成するものの95%は他者だ。

でも、寂しさやズタズタの心をなくしてくれるのも、他者である。

まさにこの間、バイトでお客さんから怒りあるいはイライラをぶつけられた。
それが自分のせいだったりするのなら話は別だが、そういうことは今のところない。

そのお客さんは、嫌なこととか、日頃のストレスとか、まあ何かしら色々あったのだろう。
私の知ったことではないが、まあともかく、イライラしていたようで、セルフレジで戸惑い、やり方が分からなかったその人は近くにいた私を大きな声で呼び、スキャナー(商品をスキャンするやつ)を乱暴に渡してきて、私が代わりにスキャンしている間もあれこれ文句を言って、帰っていった。

自分のせいではないことを分かっていても、怒りという感情をいざ当てられると、結構かなり非常に嫌な気持ちになる。
そしてなぜそれを私にぶつけるのか?という疑問。

そんなこともあるかと思いつつ、でもギシギシした心はなくならないまま、シフトが終わった。このごろのあれやこれやと積み重なり、その出来事が引き金になって、もう全部嫌だモードに入ってしまった。こんな程度のことで現実逃避したくなる自分の弱さにも辟易しながら、今日は飲んで忘れたい(自分がこんなセリフを言うようになるなんて思ってなかった)と、スーパーに行ったらお酒やらお菓子やら買ってやる、もう節約とかどうでもいい、と思っていた。

電車の時間まで間があり、ふらっと食堂に行くと、清掃員の人たちが休憩時間だったようで、売れ残ったパン(安く買える)が並べられている場所に立って話していた。

クロワッサンを買って帰ろうと一緒に横に並ぶと、清掃員さんが話しかけてくれた。

「何がいいと思いますか?」
「うーん、、、クロワッサンおいしいです、サクサクで」
「じゃあそうする」

そう言ってお姉さんはクロワッサンをつかみ、機械にお金を入れていた。
私もクロワッサンを買い、帰ろうとすると、お姉さんが私を見ながらこちらへと手招きしていた。

片手にクロワッサン、頭にクエスチョンマークを抱えながら行くと、お菓子の自動販売機の方に行って、

「好きなの選んでいいよ、かわいいから買ってあげる」と一言。

これが男性だったら…?とかいろいろ考えてしまうが、それはさておき、私は単純に嬉しかった。

アルフォートを指さし、これがいいです、と私が言うと、お金を入れてボタンを押し、「明日給料日だから」と言い訳のように言いながら、出てきたアルフォートを私に渡した。

初対面の人だったので、驚いた。初対面の人におごってもらうのは人生初だ。
お礼を言って、少しだけ話して、帰った。

駅までの道のり、もうスーパーに行って爆買いしてやるという気持ちがなくなっていることに気づいた。


酔っぱらって忘れるためには、お酒が必要である。
かなりアルコールに強い私は、家でないと酔わない(ほとんどの場合)。
ので、スーパーに行き、購入することになる。
この「買う」という出来事もまた、私のストレス発散になっていた。

物が増えるのがストレスになる私にとって、食べればなくなる食品の爆買いは安心してできるストレス発散だ。とりわけ不健康なものを買うことが多い。食べるためというよりも、自分によくないものを「買う」という、普段(選び抜いた気に入ったものだけを買っている)と逆行していることをすることに、快感を感じているのだと思う。
(だから大抵、レジを抜けると籠の中のカラフルな包装紙に包まれたスナック菓子はいらないものになりかけるのだが、持って帰るしかないし、不健康なものを食べることも一種のストレス発散になっているので結局全部食べることになる)

選ぶ、買う、お金を使う。

何にお金を使うか?の基準は、言うまでもないが千差万別だ。
同じ「お皿一つ買った」ということに対して、デザインに対してお金を払ったという人、安かったから、大きさが便利だから、食器洗い機使えるから、あるいは両方、あるいは全部。

…ともかく、生きるのに必要であり、有限であり、誰しも時間を犠牲にして手にしているのがお金というものだ。
それを自分のために使うのと人のために使うのとで、意味が少し違うと思う。

120円。

あのお姉さんにとっては、たまたま通りがかったたまたましゃべった一人の従業員に、何の意味もなくただ気分で、アルフォートを買ってあげただけなのだろう。

私は何が嬉しかったんだろうか。
かわいいと言われたから?おごってくれたから?お金を使ってくれたから?
...少し違う気がする。分からない。
単純にかわいいって言われたからだけかもしれない。だって普通に嫌な気はしない。

分からないけど、分かるのは。

嫌なことがあって、心がギスギスして、不健康なもの爆買いしてストレス発散して、食べて体をいじめてしまいたいと思うような時でも、たった一つのなんでもない出来事に、救われることがあるということだ。

相変わらずお金の話に行ったりあっちこっちまとまらないままで終わる。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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