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事故にあいかけて
午後からスタバに行き、ソイラテを片手に明日のゼミの発表のレジュメを作り、マクドナルドによって三角チョコパイをふたつテイクアウトして、バスの時間を気にかけながら、切らしていた食パンを買おうとスーパーに寄り、丁度木曜日でパンが2割引きだったので少し嬉しくなり、いつも通り込み合ったバスに乗って、いつものバス停で降り、横断歩道の前で立ち止まって、目の前の信号が青になったので渡ろうと2,3歩歩きだしながら、大きいエンジンの音が聞こえるなと思ったので右を見ると、こちらに向かって大きなトラックが突っ込んでくるところだった。
トラックが来ているな、と思った私は、そちらを見ながら2歩くらい下がった。そして前を向いて目の前の信号の色を確認した。青だった。
信号無視かよ、と思った。
トラックは横断歩道の端に差し掛かったあたりで私を避けようと反対側にハンドルを切った状態で一瞬止まった。そしてトラックは方向修正をしてそのまままっすぐ進んでいった。私も横断歩道を渡った。
トラックが来ているな、と思ってからは一瞬。気づいたら目の前の横断歩道の上にトラック。
その横断歩道から家までの100歩くらいの間で、状況を考えて「あれは危なかったんじゃないか?」と思った。大きな工事現場にあるような、曲がるために前半と後半で車体が二つに分かれているような、長くて重たいトラックだった。
そして、この高かったけど超かわいいジャケットが自分の地で染まってしまうのは嫌だな、とか、玄関のごみまだ収集場にもっていってないのにな、とか、まだレジュメ完成してないのにな、とか、そういうことを考えて、なるほどゴミはちゃんと捨てておかないと、と思った。死んだ娘の暮らしていた部屋のドアを開けたら足元にゴミ袋、なんて格好がつかない。とか、考えた。
そして、「もし?」を考えた。
トラックは横断歩道の上でハンドルを切った状態で一瞬止まった。
もし反対側に歩行者がいたら、その人は確実に轢かれていた。いや、逆に、もし反対側に歩行者がいて、トラックの運転手が私じゃなくそっちに先に気づいてこちら側にハンドルを切っていたら、私は確実に轢かれていた。
もしもう少し運転手が気づくのが遅かったら?
私を避けようとハンドルを切った先で、反対車線にいた信号待ちをしていたバイクの人を轢いていただろう。
もし?もし?もし…
今回は事故にならなかった。誰も死ななかった。けがもしなかった。今回は。
一通り考えた後、こうやって人生が終わることもあるのか、と考えた。
いつも通りバス停を降りて信号を渡ろうとしたら、そこで私の人生が終わっていた、なんてことが、本当にあり得るのだと、本当に知った。
家に帰ってシャワーを浴びながら、今日スタバ行ってよかった~と思った。やるべきことをしてきたという達成感があった。だからあの時死んでいても、まあ一日中何もできなかった日よりは満足感をもって死ねたかもな、と思った。
で、白菜を切り、大根を切り、そのまま鍋にかけてキムチ鍋を作りながら、今のこの現実って夢の可能性もある?とか考えた。もしかしたら今本当の自分は病院に運ばれているかも?意識なくてそのまま何事もなく家に帰った場合の夢を見ているだけかも?とか。
ぐるりぐるりと冗談交じりに考えながら、思ったのは。
やりたいこと、行きたいところ、食べたいもの、会いたい人、などなど、本当に、やれるうちにやらないと、と思った。
言い訳をつけて先延ばしにしたり、だらだら過ごしたりするのもいいけれど、もしかしたらこれが最後の一日になるかもしれないのだ。
なるほどなぁ、こういうことかぁ、とストン、とこのことを理解した。
キムチ鍋が出来上がりそうだ。冷蔵庫の上にパソコンを置いて、ぐつぐつ煮えている音を聞きながら書いている。半分はタッパーに入れて、明日食べるために作り置いておくつもりだ。今日はこのまま残った鍋に冷凍うどんを入れて、煮込んでしまおうと思う。食べ終わったら、3日前くらいから食べたかった三角チョコパイを頬張るとしよう。
明日食べようとタッパーに入れるキムチ鍋も、明日また食べるために2個買った三角チョコパイも、冷蔵庫にあるあれもこれも、読むために借りた図書館の本も、全部全部、確実にそうなるとは限らないのだなぁとふと思う。
三角チョコパイを食べ終わったら、コーヒーを飲みながら、イギリスへの旅を計画しようかななんて、思ったりする。
生きているうちに、やっておかないとね。