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息子とアイスと交番の思い出

子どもが生まれると、父親という視点がひとつ増える。今まで見えていなかったことが見えるようになり、それは新しい発見や貴重な体験につながる。例えば、ベビーカーを押していると、街はけっこうデコボコなのだなということに初めて気がつく。今まで目にとまらなかったオムツなどの情報も入って来るようになる。

そんな体験が面白くて、息子1号が生まれた頃は、よく連れて歩いた。20数年前のことだから、若いお父さんが幼子を連れて歩くことなどほぼ見られない時代。慣れた手つきでミルクをシャカシャカと水道水で冷ましていると、通りがかりのおばちゃんに言われたものだ。

「あんた、がんばりなよ。いまにきっといいことがあるから」女房に逃げられ、男手ひとつで子どもを育てる苦労人と思われたのだ。それくらい、若いお父さんが幼子を連れ歩くのが珍しかった。当時、自分は会社を辞めてフリーランスとして独立したばかりで、やたらと時間が余っていた。

ある日、子どもをベビーカーに乗せて、友人の家に遊びに行くことになった。途中の乗換駅で、便の大きい方をもようしてしまった。当時は駅やデパートの男子トイレに、おしめを替える台や子どもを坐らせておける椅子などなかった。しかも、駅の便所はほぼ和式だった。

おれは苦慮の末、息子1号のわきの下に手を入れて抱きかかえたまま、大を敢行したのであった。まるで大関朝潮の土俵入りである。そのいつもと違う奇怪なおれの様相を目にした息子1号は、抱きかかえられたまま、「きゃっきゃっ」と奇声を上げながら喜び、おれの頭をぴしゃぴしゃと叩くのである。

その「きゃっきゃっ」と「ぴしゃぴしゃ」という和合音が便所内に響きわたり、
何やら怪しげな空気を漂わせ、周囲にあらぬ誤解を招きやしないかと、おれを焦せらせるのである。

池袋に行ったときの思い出深いエピソードもある。その日は、夏の日差しが怒ったように照りつける真夏日。息子は2歳くらいだったと思う。

当然、水分補給は怠らず、息子のリクエストに応えてアイスクリームも食べて、万全の暑さ対策。ところが、ほどなくすると息子はまたアイスを食べたいと言い出した。胃腸が弱い息子を慮って、おれはだめだと言い放った。すると、火が付いたように泣き出したのである。

都会の真ん中で、泣き叫ぶ2才児とおれ。さっき食ったアイスクリーム屋の方へ行きたがるその手を引っ張り、反対方向へと引っ張る。ちなみに当時のおれは、花柄のシャツに同柄のバンダナを巻き、薄い色付きのレンズを少々独特のフレームでまとった眼鏡をかけ、いわゆるヒッピー・ヤンキーな出立ちなのであった。

そんなおれたちに、善良なる都民の方々は黙っていなかった。たちまち交番に通報され、直ちに巡査が現れてご同行願いたいとの通達。交番では、巡査たちが涼しい目をして、おれを見つめる。こいつはおれの息子だと主張するのだが、ひらりとスルーされ、息子に満面の笑みを浮かべて問うのだ。

「ぼくぅー、この人はきみのお父さんなのかなあ♡」

すると、息子はアイスクリームを食わせてもらえなかった腹いせで、思いっきり叫ぶのだ。「ぢがう~~~~」

その瞬間、巡査共はいっせいに立ち上がり、ある者は柳沢慎吾演じる刑事のように、無線で「えー、こちら池袋○○交番、ぷしゅー」みたいな。「はい、そうです。ヒッピー風の男が2歳児を連れて」「はい。どうみても親子ではありません」などと、熱いやりとり・・・。

そんな息子1号も、今では180cmをゆうに超える体躯をきしませて、おれの前を無言で通りすぎる。アイスは今でも好物のようである。

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