情熱弁当ができるまで⑨はじまりの日(完)
超不定期連載「情熱弁当ができるまで」。
ついに最終回です。
全9話とかキリが悪いけどな。苦笑
>>>【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り
>>>【情熱弁当ができるまで】②店長への道のり
>>>【情熱弁当ができるまで】③新人店長の苦悩
>>>【情熱弁当ができるまで】④そして奇跡は起きた!
>>>【情熱弁当ができるまで】⑤仕事の意味を見失う時
>>>【情熱弁当ができるまで】⑥無職で自由にはなったけど
>>>【情熱弁当ができるまで】⑦本当にやりたい事はなんだ?
>>>【情熱弁当ができるまで】⑧最後の最後まで悩んだこと
◆2008年3月17日
それはいつもと変わらない、晴れやかな朝でした。
意味もなく早く起きて、明け方の空を見上げました。
きっと、これから先に良いことが起きる予感がしたなぁ。
まだ肌寒い中、作ったお弁当は10個。
知人ばかりでしたが、三組のお客さまがオーダーをしてくれました。
本当に、小さな小さなスタートでした。
飲食店マネージャー時代を除くと、料理だけを生業とするのは6年半ぶり。
(開店当日の写真は、ケータイで撮った一枚だけ。笑)
ホテルオークラ時代、寮で同室だった京都の親友が花を送ってくださった。
ずいぶんと先に独立した彼が、忘れずに覚えていてくれた事が嬉しかったな~。
口だけは立派で、でも自信がなくて、今ひとつ踏み出せなかった。
いつかやろうと口では言うものの、言い訳ばかりを見つけて先延ばしにしてきた。それでも歩き出せた、記念すべき一歩。
(ピントがあってない写真しかないけど、載っけちゃう)
恐る恐る踏み出した一歩だけど。
ボクにとっては、忘れられない一日となりました。
◆物を売る、という初体験
生まれて初めて、自分の事業としていただいた最初のお金。
受け取る時、実は手が震えていました。
自分で値段を決め、
自分でお弁当を作り、
自分でお客さまに届け、
自分の手でお金をいただいた。
『物を売ってお金をいただく。』
実は、これが人生で初めての経験だったのですね。
いい学校を出て、
いい会社に勤め、
給料日に会社から給料をもらう事が、
お金を稼ぐ、最も正しい手段だと思っていた。
自分とお客さまの間に、なんの垣根も無い。
これ、ものすごい事なんですよね~。
そしてボクは、商いの世界に飛び込みました。
自分の店を持つということ、
組織の枠を飛び出して、道なき道を歩いていく。
この選択が正しかったのか、間違っていたのかは今でもわかりません。
ただ、ボクにはこっちのほうが向いている気がします。
だって、自分のがんばり次第で先が開けるから。
お店がいつまで続くかは、神様だけが知っていること。
誰かのお役に立てる限り、ボク自身が成長できる限り。
共感してくださるお客さまや仲間と、少しずつ前に進んでいけたら良いなと思っています。
「素材本来の味を、後の世に伝えよう」
情熱弁当は、まだ始まったばかりです。
次は、どんな景色が見えるだろう?
細く長く、これからも宜しくお願いします♪
(完)
ここまでが、2008年3月までのお話しです。
不定期連載で、情熱弁当ができてからのお話しを綴ります。