情熱弁当ができるまで⑧最後の最後まで悩んだこと
超不定期連載「情熱弁当ができるまで」。
もう、いいんじゃない?
次は最終回だから。
前回までのお話し。
>>>【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り
>>>【情熱弁当ができるまで】②店長への道のり
>>>【情熱弁当ができるまで】③新人店長の苦悩
>>>【情熱弁当ができるまで】④そして奇跡は起きた!
>>>【情熱弁当ができるまで】⑤仕事の意味を見失う時
>>>【情熱弁当ができるまで】⑥無職で自由にはなったけど
>>>【情熱弁当ができるまで】⑦本当にやりたい事はなんだ?
情熱弁当のキッチンは、自宅の一階部分をきれいに磨いて使うことに。
15年ほど前、母がやっていたお好み焼き屋がそのまま残っていました。
3年間であっという間に潰してしまい、倉庫として放置してあった部分に、再び息を吹き込みます。
母が二階の住居部分で寝たきりなので、緊急時にいつでもいけるという配慮でした。
専門業者による工事はせず、ホームセンターで買った木材などのDIYにて自分で仕上げました。昔飲食店だったという事もあり、保健所の検査は一発合格。
人は雇わず、ボク一人でスタート。
仕入れも調理も配達も一人でしたが、不安は全くありませんでした。
誰からも邪魔されず、自分の意思で進めたい。
全責任は負うので、やりたいようにやりたかったのです。
キッチンには、炊飯器が一台と家庭用冷蔵庫が一台。
壊れた2台のノートパソコンを、ばらして再組み立てしてニコイチに。
本当にシンプルなスタートでした。
◆最初の商品はたったの2つ
起業当時、積極的に学んだランチェスター戦略。
弱者らしく、一点集中一点突破でいこう。
ずっと練習していた、発芽玄米を武器に
お弁当は1500円の一種で日替わりで作り込む。
あとは、150円の味噌汁だけ。
昭和区と千種区内は1個からお届けをする事にしました。
そこから、法人や会議需要などに広げていこうと思いました。
当初は1個1200円の予定でしたが、ギリギリで1500円にしました。
後から考えると大正解でしたね。
◆どうやって情熱弁当を知ってもらうのか?
なにせ、知名度ゼロ。誰も知らない店です。
最初に、チラシの作り方を専門家に学びに行きました。
生まれて初めて作った情熱弁当のチラシ。
数十時間かけて、何度も何度も作り直しました。
こんな手書きのチラシでも、ポスティングでお弁当が60個ほど売れたんですよ。
(表面)
(裏面)
ボクの頭が柔らかかったのは、「美味しい料理を作ること」「それを多くの知ってもらうこと」が、別だってことに早くから気づいていたこと。
職人気質の人ほど、「良い物さえ真面目に作っていれば、いつかは売れる」と思ってるものなんですよね。
お客さまに買っていただくためには、料理作りと別の努力が必要。
なので開業の少し前から、当ブログもスタートしています。
当時のタイトルは「戦う弁当屋のブログ」
現代の食と戦う弁当屋だったんだよね。
また、同時進行で情熱弁当ホームページも自分で作りました。
ホームページビルダーは高くて買えなかったので、Windowsのテキストと、無料FTPソフトでの完全手作り。バカじゃないの。笑
独学でしたが、HTMLの基礎を学べました。
素人だって、死ぬ気でやればできるんだってば。
◆最後の最後まで悩んだ事
それは、お店の屋号でした。
国産食材をメインに使う店の屋号が、英語表記というのはやっぱり変。
見たら一言で業態がわかるもので、覚えやすいもの。
ならば、四字熟語がいいなと思いました。
大相撲の昇進時、力士が四字熟語を発表するのを見て「これだ」と思いました。
また、大手にはどうしても検索で負ける。
なのでSEO対策として、オンリーワンの名前をつけようとも考えます。
「生産者の情熱を、流通業者の都合で薄めてしまわず、ボクの情熱を足して熱いままでお届けしよう!」
それで「情熱弁当」という名前を思いつき、
正式には「玄米と大自然の恵み 情熱弁当」に。
覚えやすく、一度聞いたら忘れないインパクトになりました。
デパ地下の中食業でのアルバイトも、社員に開業準備のためと話し、いろいろ親切に教えてもらえました。
この頃は、開業資金稼ぎで複数のアルバイトを掛け持ち。
パソコンのハード組み立てが得意なため(趣味が自作PC)、深夜のショッピングモールでレジに非接触型決済端末を取り付けたり、スーパーのPOSレジ取り付けや撤去、百貨店のPOSレジHD交換など、ハード関連のバイトをいろいろやっていました。
コンピューター系の派遣は時給が良く、まさに芸が身を助ける形となりました。
肝心のオープン日は、占い師の3月12日をちょっとすぎ(笑)5日後の17日に決定。いろいろあって、バタバタしちゃった。
本当に、今までに無いいろんな事があって、
でも、お金はなくて。笑
勤め人の時に知らなかった事も、ひとつずつクリアして。
大きな海のど真ん中に浮かぶ自分。
見渡す360度が海で、上には空だけ。
どこへ行くのも自由。
自由だからこそ、どこへ行こうかと悩むよね。
それでもボクは、自分の正しさを信じて生きたかった。
誰にも遠慮せず、人や食材と向き合いたかった。
給料の金額云々よりも、やりたいことをやってみよう。
組織で使い捨てより、自分の居場所を見つけたかった。
人生は、一度きりだからこそ。
そして、2008年3月17日。
その朝が来ました。