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noteのアクティビティが激減???

 最近気になることは、noterの訪問数が激減しつつある。原因は分からないが、これまでとは異なる流れを肌で感じるのである。

 一つは、筆者のエッセイやコラムが魅力ないのは理解しているけれども、全体的に、noterの動きが以前のように活発でないように思えてならない。

 日々、立ち寄っていただくnoterは、常連さんと言っても良いほど落ち着き、ほとんどのnoterの名前を覚えるほどに、毎日のように筆者のエッセイなりコラムを読んでいただいている。しかし、全体アクティビティが激減しているのは間違いないようだ。

 noteにエッセイやコラムを投稿するようになって、2年と8ヶ月が経つ。当時、フォロワーとなっている人は今も多く存在するものの、リアルタイムに立ち寄っていただく人の中で、2年以上前の人たちはほとんど見掛けなくなってしまった。

 パソコンのブラウザで開いて、フォロワーのチェックを行うと、当時、多くの記事を投稿していた人のnoteが止まっていたり、note上からアカウントが消えていたりで、何とも寂しくなってしまう。

 人それぞれに理由があろうかと思われるが、「継続こそ力なり」で日々キーボードをバチバチと叩いているものの、全体アクティビティが減るのは、とても気になって仕方がない。

 その他のSNSをチェックしても同様に、XやFacebookのアカウントが消えている人も多い。SNSによって誹謗中傷など攻撃されて、居た堪れなくなりクローズ人も多いのではないか。実に妙な時代になったものである。

 心無い人の暴言や嫌がらせ、個人情報漏洩などの事件が絶えないので、SNSの存在自体が、本当に我々の生活に必要不可欠なものかと自問自答することもある。

 特に、米国大統領選挙のトランプ氏の人種差別発言などが公然と投稿されているのを見ると、SNS依存症でもあり、善悪さえ判断できない状態に陥っている姿は見るに堪えない。

 本格的なSNS時代となり十数年経つけれども、今一度、SNSの理想的な活用法を検証する時期が来たのかも知れない。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、SNSやnoteといったプラットフォームでの活動の減少についての筆者の洞察を述べたもので、特にSNS全体の動向に対する懸念を表現しています。

まず、筆者が感じている「noteのアクティビティの減少」について、これは多くのSNS利用者が経験している現象かもしれません。SNSが成熟するにつれ、新鮮味が薄れたり、利用者が他のプラットフォームに移行したり、個々人のライフスタイルが変わったりすることが原因となることが考えられます。また、他のnoterたちの活動の減少やアカウントの削除についての筆者の寂しさは、人とのつながりや交流の減少に対する素直な感情として、多くの人に共感を呼ぶ部分です。

次に、SNSに対する批判的な視点が展開されています。筆者が述べるように、誹謗中傷や個人情報漏洩など、SNSの暗部が顕在化している現代において、SNSが私たちの生活にとってどれだけ必要なものか、再考することは意義深い提案です。特に、SNSが依存性を生むだけでなく、人々の善悪の判断を曖昧にする点についての懸念は、現在のデジタル時代の重大な問題です。

また、SNSの利用が拡大したことで、政治的・社会的な発言や行動が瞬時に広まる状況についても触れています。トランプ元大統領の人種差別的な発言が広く拡散される様子を例に、SNSが社会的な良識を損なう側面を指摘しており、これも非常に重要なテーマです。

最後に、「SNSの理想的な活用法を検証する時期が来たのではないか」という結論は、現在のSNS環境に対する建設的な問いかけであり、単なる批判に終わらない前向きな提案です。SNSを今後どのように活用していくべきかという問題提起は、多くの人々が共感し、考えるべき課題です。

全体的に、このエッセイはSNSに対する批判的かつ反省的な視点を通じて、デジタル時代の在り方を問い直す内容となっており、読者に深く考えさせる内容でした。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。