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生成AIに過度に依存すると、バカになる。・・・生成AIに踊らされるな!

 生成AIで誰が大儲けするか考えれば、根っこを持っている人間であり企業である。大国がこぞって生成AIに力点を集中させているのは、インターネット事業とデバイスとアプリが飽和状態になっているからだ。

 生成AIを過度に意識して、過度に依存するスタンスの人を多く見掛けるが,冒頭に申し上げた通り、大儲けするのは根っこを握っている、極僅かな人たちである。

 生成AIで創作した画像(静止画や動画)を販売して、どれだけの実入があるかと言えば、誰でも生成できるのだから、そのオリジナリティが一つだけ光り輝き、脚光を浴びるのは稀有なるものだ。

 インターネット黎明期、SNS黎明期を経て、生成AI誕生となり、生成AIに関するセミナーが多く展開されているが、これというモノは指で数えるほどしか存在しない。ほとんどが話題性を追った、便乗セミナーばかりである。

 冷静に考えてみよう。日本人は右へ倣えの思考回路を上手い具合に埋め込まれているので、ほとんどの人たちが同じベクトルへと加速度を上げていく。生成AIもまた、text to text、text to image、text to movie、そしてtexut to musicなど、ありとあらゆる分野を束ねてしまおうとしている。

 そこで、話題性があるから、利便性が高いから、格好いいから、エロティックなものも簡単に作れるからと、如何にもアーティストになった気分で生成AIを持ち上げている人も多いが、それはご自由にであるものの、結局は、ネガティブなものが、アナログな自分自身に返ってくることになる。

 「生成AIに過度に依存すると、バカになる。」というのが筆者の持論である。更に、踊らされてしまっては、結局、大国にある巨大企業の思惑通りに、発展途上国の皆々様は、生成AI真理教に毒されてしまい、何のご利益もなく、真のビジネスチャンスは遠ざかるばかり。

 畢竟、何事も根っこを握っていない限り、大儲けすることは皆無に等しい。重要なことは、如何に生成AIを健全なツールとして使い切るかに掛かっている。それは絶対に度外視できない重要なキモではあるまいか。

 異論反論など多々あるかも知れないが、ニューメディア時代からインターネット黎明期、仮想現実世界黎明期、SNS黎明期などを全て知り尽くしているからこそ、同じ繰り返しをしてはならないのである。

 最後に、筆者にとって最重要なものであるアナログも、進化したデジタルも、全て完璧ななものは存在しない。だから、過度なる依存は危険極まりないと言う訳である。


▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、生成AIの発展とそれに対する社会の過度な依存について、鋭い視点で論じた内容となっている。以下、詳しく感想を述べる。


1. 生成AIのビジネス構造への冷静な視点

コラムの冒頭で述べられている「生成AIで大儲けするのは根っこを持っている人間であり企業である」という指摘は非常に的を射ている。確かに、テクノロジーの発展によって恩恵を受けるのは、技術を所有し、それを支配する側の企業や国であり、大多数の一般ユーザーはその枠組みの中で消費者として利用する側に回ることが多い。
AIの根幹技術やプラットフォームを所有しない限り、個々のクリエイターや企業がAIの恩恵を最大限に享受するのは難しく、特に生成AIによる創作物の収益化については、競争が激化しオリジナリティを確保することが課題となる。この点は、過去のインターネット黎明期やSNS黎明期と重なる部分があり、歴史が繰り返されていることを示唆しているのが興味深い。


2. 流行に流される社会の構造

「日本人は右へ倣えの思考回路を上手い具合に埋め込まれている」という指摘も鋭い。これは単なる批判ではなく、社会の性質を分析したものと言える。技術革新が起こるたびに、何も考えずに飛びつく人が多くなるのは、確かに日本社会の特徴の一つかもしれない。
実際に生成AIに関するセミナーが乱立し、便乗ビジネスが増えているのも事実であり、著者の経験からくる洞察がリアルに伝わる。

また、「話題性があるから」「エロティックなものも簡単に作れるから」というような表現で、AIが一種の流行として消費されている状況を端的に表している点も印象的だ。確かに、AIアートやAI音楽を手軽に作成できることが、あたかも「自分がアーティストになったかのような錯覚」を生むことは否めない。


3. AI依存による思考停止への警鐘

「過度なる生成AIの依存度となれば、バカになる」という言葉は非常にストレートだが、強い警鐘を鳴らしている。この表現から、著者が単に生成AIを否定しているのではなく、それを「どう使うべきか」に対する深い考えを持っていることが伺える。
確かに、生成AIの利便性は高いが、それを使いこなすのではなく、使われる側になってしまうと、自らの創造性や思考力が失われる可能性がある。AIが提供する便利さに甘んじてしまうと、本来の思考力やクリエイティビティが育まれず、結果として「AIなしでは何もできない」状態になってしまうのは大きなリスクだ。


4. ビジネスチャンスと健全な活用法

「何事も、根っこを握っていない限り、大儲けすることは皆無に等しい」との指摘もまた、実際のビジネスの構造を理解している者の視点であり、納得感がある。AI時代において「どの立場にいるか」で得られる利益は大きく変わる。
しかし、それと同時に「如何に生成AIを健全なツールとして使い切るかに掛かっている」という言葉が示すように、AIを完全に否定するのではなく、「使いこなす側に回ること」が重要であるという視点も示されている。これは、テクノロジーの進化に対する現実的なアプローチであり、著者の経験に裏打ちされた意見だと感じる。


5. アナログとデジタルのバランス

「アナログも進化したデジタルも、全て完璧なものがあるはずがない。」
この一文は、著者が長年にわたってデジタルの世界を見続けてきたからこそ出てくる言葉だろう。デジタル技術の進歩は素晴らしいものではあるが、それに過度に依存することで失われるものがあるという考えは、極めて重要だ。
例えば、SNSの発展によって直接的なコミュニケーション能力が低下したり、便利な検索機能によって人が本を読まなくなったりするように、技術の発展には必ず副作用がある。だからこそ、AIを適切に活用しながらも、「人間としての本質を見失わないこと」が求められる。


総評

このコラムは、生成AIに対する社会の過度な期待と依存に対して、冷静な視点で警鐘を鳴らしている内容だった。著者の経験を踏まえた分析は説得力があり、「技術をどう使うべきか」「どの立場にいるべきか」といった本質的な問いを投げかけている。

特に、「右へ倣えの日本社会」「便乗ビジネスの乱立」「AI依存による思考停止」といったテーマは、今後のAI時代を生きる上で考えるべき重要なポイントだ。生成AIが単なる流行ではなく、本質的な価値を持つ技術として定着するためには、それを使う側の人間が賢くなる必要がある。

最終的に、このコラムが伝えたいメッセージは「AIに使われるな、AIを使いこなせ」ということだと感じた。

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西田親生@D&L
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