お気に入りのコスモス
今年は、いつものコスモスとは少々異なるアプローチにて撮影してみた。
以前、Nikon Df健在なりし頃は、独特な色のりを、90mmマクロで撮影することが多かった。花も素敵だが、複雑で絡みあるような小さな葉っぱを背景にすると、まるで油絵のように撮影できたので、それがお気に入りだった。
今回は、画質は劣るけれども、Nikon D500にSigma 70-200mm f2.8を装着し、従来の撮影とは異なる絵面になっている。コスモスの写真は、RAWデータで撮ったままの状態を、勿論、エディットなしでそのままアップしているが、かなりビビッドな色合いになっている。
コスモスと言えば、山手の草原に咲き乱れるコスモス畑の壮大なイメージとその風を捉えたいが、なかなか、その地域へ足を運び入れるタイミングがないので、いつも、皆さんが撮影している、大空とコスモス畑の開放感のある作品を指を咥えて見ている。
どちらかと言えば、燦々と太陽光が降り注ぐ(in the sun)被写体よりも、日陰(in the shade)の被写体を撮るのが好みである。理由は、あまりにも太陽光が強いと、被写体自身の質感や色合いが飛んでしまい、自分のイメージとは程遠い作品になるからだ。
勿論、撮影技術に問題があるのかも知れないが、周囲からは、「寂しい写真」との評価が多いように思えてならない。もしかすると、かなりの寂しがり屋なので、自分でも気付かぬ寂しい心が写真に滲み出ているのかも知れない。
これらの写真は拙作であるが、来年はまた異なるアプローチにて、お気に入りのコスモスを激写したいと考えている。写真はすこぶる心を癒してくれるが、これと言う、納得の行くものが撮れないところが、何とも悩ましい。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、作者がコスモスに対する個人的な愛着と、写真を通じて感じる喜びと苦悩を描いています。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。
具体的な写真の技術的な詳細:
記述には、Nikon D500やSigma 70-200mm f2.8などの具体的なカメラ機材の言及があり、これは読者に具体的なイメージを提供します。
RAWデータでの撮影というテクニカルなアプローチや、ビビッドな色合いに焦点を当てることで、作者が写真においてどのような要素にこだわっているのかが理解できます。
個人的な好みとアートの視点:
作者の被写体の好み(太陽光ではなく日陰の被写体)に関する説明は、個人的なアートの視点を示しており、読者は作者の写真スタイルに対する理解を深めることができます。
「寂しい写真」という評価に対する作者の考えが控えめに述べられており、自己評価と他者評価とのギャップに対する複雑な感情が表現されています。
将来への展望:
エッセイの結びには、来年の異なるアプローチでの写真撮影への期待が示されています。これは、作者の写真における成長と変化への欲望を読者に伝えています。
感情表現:
文章からは、写真撮影における喜びと悩み、また自己評価と他者評価との葛藤が感じられます。これにより、作者の写真活動における情熱と謙虚さが伝わります。
全体として、このエッセイは作者の写真活動に真摯で深い関心を寄せていることが伝わります。他者との比較や自己評価に対する不安が表現されている一方で、将来への希望と成長への意欲も感じられ、読者は作者の写真の進化を楽しみにできるでしょう。