避難指示を丸投げしても・・・
現在、熊本県南部も台風10号の暴風域に入りつつあるが、全県下に避難指示が次から次へ更新されている。「安全なところへ避難せよ」といえども、県南の八代市だけでも12万人の人たちが、全員が安全な場所へ避難可能かといえば、不可能だ。
親戚や知人友人を頼り、この暴風の中で、具体的にどのような手段をとって安全な避難場所へ移動できるのかと思えば、これほど当てのない、可能性が低い避難指示を出しても、全く意味をなさない。
報道では、これまでに経験したことのない猛烈な台風と言えども、30年ほど前の台風19号とは比較にならぬほどのものである。命の危険があるのは間違いのない事実であるが、避難指示箇所については、個々に条件も異なり、避難すること自体が危険を伴う場合もある。
或る人に聞いたが、避難場所へ移動してみたが、余りにも汚い施設だったので自宅に戻ったという。大都市部のオフィスビルでは、地下には災害時の食料や飲料、その他備品が2週間以上の物資を備蓄している。備品だけをみても、危機管理への認識の違いが露呈している。
従って、県内避難箇所の状況を聞いても、災害時備品を完備しているところは皆無に等しい。原則として駐車場はなく、避難は徒歩で行くことになる。高齢者避難指示を発令して、誰が避難場所までサポートするのか。
避難指示は重要なことであるが、個々に異なる環境を把握せずして、文字だけで自分の命は自分で守れと言っても、はて、行政の責任ある対応であるのか、首を傾げてしまう。
ハザードマップも完璧であるとは言い難い。近くの頑丈で安全な建物へ行けと言われても、事前指定されている公的施設ならまだしも、危険回避のために目の前の頑丈な建物に入ることは不法侵入になってしまう。
指示ばかり徹底して、後日、責任は果たしたという結論に至るのであろうが、その経緯の中で、あらゆる地域の現状を逐一基礎自治体やメディアとの連携にて、避難移動に安全な時間帯やルートを確保明示する必要があるはずだ。
災害はハザードマップ通りに塗り絵をすることはない。予測のつかない災害は、その時によって、複雑な条件の下にコロコロと環境が変わり、特に、避難場所への移動については、微に入り細に入り、個人の責任ではなく、行政の安全管理下において、リアルタイム情報の共有を徹底してもらいたい。
気象庁でも、「竜巻と推察する」というアバウトな表現を用いているが、監視カメラやその他被害地域の動画などを見れば、明らかに「竜巻」であると断言すべきだと考える。「推察」なんぞ言っても言葉の綾であり、住民にとって他人事のような冷ややかな言葉に聞こえてならない。
過去の災害を教訓にするのは鉄則であるが、現在の台風10号にせよ、これからいつどこで起こるのか分からぬ、地震や津波、山火事、土砂崩れ、川の氾濫による大洪水などなど、リアルタイムに可視化できる情報共有が重要となってくる。
被害を受けたものを撮影して、過去の被害状況を報道するのも良いけれども、これから起こり得る甚大な災害危険地域の「今」を徹底報道すべきではなかろうか。
どうしても他人事の距離感で報道される災害情報は食傷ものである。このデジタル社会において、如何に、日本国内の災害リアルタイム情報共有のシステムもメディアの情報発信手法も時代遅れであり、脆弱なところが端々に見え隠れしている。
※画像はDALL-Eがイメージした台風の目
▼ChatGPT-4oによる感想
このコラムは、熊本県に迫る台風10号に対する行政の避難指示とその実効性について、強い批判を展開しています。以下、コラムの主要なポイントとその感想を述べます。
1. 避難指示の実効性の欠如
コラムはまず、避難指示が現実的でないと指摘しています。具体的に、避難指示が出されても、それを実行するための具体的な手段やサポートが不足している現状を問題視しています。例えば、八代市の12万人の避難が可能かどうかという疑問や、避難場所にたどり着くための現実的な手段の欠如が述べられています。この指摘は、行政の避難計画が住民の実情や地域のインフラを十分に考慮していないことを浮き彫りにしています。
2. 避難場所の質の問題
また、避難場所自体の質についても問題があるとされています。避難場所が清潔でなかったり、必要な備品が備わっていないといった具体例が挙げられ、避難場所の環境整備が不十分であることが強調されています。これにより、住民が避難することをためらう状況が生まれ、避難指示の効果がさらに減少しています。
3. ハザードマップと避難指示の曖昧さ
ハザードマップの信頼性と避難指示の曖昧さも問題視されています。特に、「近くの頑丈で安全な建物に避難せよ」という指示が具体性に欠けるとし、緊急時に住民が不法侵入のリスクを冒すことなく安全な避難ができるよう、より明確なガイダンスが求められています。これは、行政が住民の命を守るための責任を十分に果たしていないという批判につながっています。
4. リアルタイム情報共有の重要性
コラムは、災害時のリアルタイム情報共有の重要性を強調しています。特に、現状のメディアや情報発信の手法が時代遅れであり、より迅速で具体的な情報提供が必要であるとしています。これにより、住民が適切な行動を取ることができるようになるという指摘は、非常に重要です。リアルタイムでの情報共有は、災害の規模や状況に応じて柔軟な対応が求められる現代において、不可欠な要素といえます。
5. 報道のあり方への批判
最後に、災害報道のあり方についても批判が述べられています。過去の災害の映像を報道することの意義は認めつつも、より重要なのは「今」の状況をリアルタイムで伝えることだとしています。この視点は、災害報道が単なる情報伝達に留まらず、住民の避難行動や安全確保に直接的に寄与するべきだという提言として受け取ることができます。
総合的な感想
このコラムは、災害時における行政の対応の不備と、情報共有の重要性について、鋭い視点から問題提起をしています。特に、避難指示の現実性や、住民の安全を第一に考えた具体的な対策の欠如に対する批判は、非常に説得力があります。今後の災害対応においては、行政とメディアが一体となり、より実効性のある避難計画と情報共有システムを構築することが求められます。このような批判を真摯に受け止め、改善に向けた行動を起こすことが、住民の命を守るために必要不可欠であると感じます。