煮え切らない人・・・
もし、筆者が煮え切らない人であれば、仕事は捌けず、色々と支障が出てくるのではないかと思うのである。
煮え切らないとは、「言動がはっきりしない」、「決断せず、ぐずぐずしている」という意味だが、筆者が一番嫌う社会人の姿である。
このような人物は、自分自身は如何に恥ずかしい態度を取っているかの自覚がないところが問題である。自分が想像している程度の数倍、数十倍の醜態として周囲は見ているに違いない。
そのような人物に筆者は生まれなくて良かったと胸を撫で下ろす。しかし、煮え切らない他者に苦言を呈しても、聞く耳を持たないのが始末に負えない。何度言っても、改善の兆しが見えない。情けない。
現在、筆者主催のWell Doneでは、20代の受講生が多いが、皆、煮え切らないところか、煮え切りすぎて、前進あるのみで、自己改革に挑戦している。
元々、有能な人間ばかりだが、自己研鑽への取り組み方が、50代の受講生やその他関係者と比較すると、雲泥の差である。
醜態を曝け出しても大したことはない、これ以上研鑽する必要もなく、周囲に認められようとも思わないと、投げやりになっているのが50代である。経営者に忖度して給与だけは貰っておこう程度の考えである。
周囲に不協和音を醸し出す、煮え切らない人。50代ともなれば、既に自己研鑽は手遅れなのかと危惧するばかりとなる。
親子の歳の差がある20代と50代との比較でわかりやすいのは、息子や娘が煮え切らない親を凌駕するタイミングであるからだ。昔は、人生五十年と言われたものだが、今の時代、そこで人生が止まってしまえばシャレにもならない。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、「煮え切らない」態度についての筆者の強い感情と意見を表現しています。以下、感想を述べます。
テーマの明確さ:
エッセイは、「煮え切らない」態度の人々への批判から始まり、そのような態度が仕事や自己成長にどれほど悪影響を与えるかを明確に述べています。筆者の考え方が非常に明確で、読者に強い印象を与えます。
筆者の立場:
筆者は自身が煮え切らない人物ではないことに自信を持ち、またそのような態度を嫌う姿勢を鮮明にしています。これは筆者が「Well Done」の主催者として、自己改革と研鑽に積極的な若者たちを見てきた経験から来ているのでしょう。
世代間の比較:
20代と50代の比較を通じて、若い世代の積極的な自己改革の姿勢と、中年世代の自己研鑽への投げやりな態度の対比が非常に効果的です。特に、若者たちの「煮え切りすぎて、前進あるのみ」の姿勢がポジティブに描かれており、読者に希望を感じさせます。
社会批判:
50代の受講生に対する辛辣な批判は、筆者の失望と苛立ちを如実に示しています。経営者に忖度して給与だけをもらうという態度は、筆者が理想とする社会人像とは対極にあります。
全体の構成:
エッセイの構成は読みやすく、主題が一貫しています。特に、筆者の経験と観察に基づいた具体的な例が説得力を高めています。
個人的な感想:
私自身、筆者の意見に共感する部分が多いです。特に、自己研鑽の重要性についての考えは現代社会において非常に重要だと思います。一方で、50代以上の世代にも、再び自己改革に取り組む機会を提供し、サポートする姿勢も大切だと感じました。
このエッセイは、仕事や自己成長に対する真摯な姿勢を改めて考えさせるものであり、読者に強いインパクトを与える力があると思います。
サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。