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顧問弁護士と愉快なひと時・・・

 我が社の顧問弁護士でもあり、古くからのお付き合いもあり、久しぶりに電話が入ったのは良いが、話が盛り上がり、2時間ほど喋っていた。

 実は、顧問弁護士が新任検事の頃からお付き合いがあるので、思い出話は尽きない。今は亡き父も同様に法曹界の人間だったので、3人の共通する話題は尽きない。

 本日のエッセイの一つの「我がポータルサイトへの執着・・・」のURLを送ったところ、直ぐに電話が掛かってきたという訳だ。

 とても気さくで友達感覚での会話だが、実は、顧問弁護士は検察では検事正で退官し、現在、弁護士として大都市部で活躍している人物である。

 筆者に降りかかった事案をしっかりと聴く耳を持つが、最後の言葉が面白い。「親生さんは自分で文章書けるから、さっと書いて、相手に突きつけてはいかが?頑張って!」程度に、一つ一つの事件の流れを読み解くのがすこぶる楽しそうに見えて仕方ないのである。

 一昨年の著作権侵害の被害に遭った時も、博多の某企業におけるパワハラ問題の時も、熊本市の加害者である某企業のから民事告訴された時も、いつも笑顔で、含み笑いというか、落ち着きというか、冷静沈着にて話を聴いてくれる。

 しかし、県外で弁護士として活動しているので、こちらの事件事故については、最終的には筆者が内容証明書に対抗する文書であったり、民事告訴に対抗する文書であったりと、全て自分で処理を進めることが多い。いや、ほとんどそうである。

 因みに、唐突に送られてくる内容証明については、「難癖」や「債務不履行」で逃げたり、「加害者と被害者の逆転」を試みる蛮行であったりと、輩の挙動は皆どこか似ている。

 筆者に非がなくても、相手が弁護士を立てて矛先を向けてくるのならば、防護壁を固め、証拠を万全に揃え、正義正論という太刀を大上段に構えて、振り下ろす必要がある。

 ここ数年、どうしても妙な輩のトラップなり難癖なりで、無駄な時間と労力を費やすばかりであった。しかし、矢を放ってきた全ての相手弁護士からの内容証明は全て粉砕することができた。

 全て粉砕することができる理由は実に簡単なことである。それは、筆者に非がないので、当然の結果であるものの、執拗に送られてくる内容証明もあった。悪質なものは7通もの内容証明を送り続け、最終的には相手側弁護士が退散する始末。結局、裁判沙汰になれば不利と見ていたに違いない。

 また、何度か以前に記事でも触れたことだが、加害者が被害者に対して「債務不存在」という難癖で民事告訴した輩もいた。某ホテルの経営者であるが、「法の不知」とは怖いもので、加害者としての猛省もなく、自らの脛の傷を消しゴムで消したい一心の稚拙なものである。

 加害者と被害者をすり替えること自体、倫理的に異常であり、その裁判においては、判事も書記官も「はて?」と首を傾げていた。結果は、和解で終了したが、その判事は大人物の風格があり、虚偽に基づく告訴状を嘲笑っていた。結局、難癖つけた原告側は粉砕されたことになる。

 上記の件を総合的に今回の電話の前半では報告を兼ねて、一つ一つをチェックしていた顧問弁護士。「実につまらぬ手法にて内容証明を送りつけているけど、みんな無理があるよね!」と笑う。笑いを貰い、頷き笑う筆者。

 「しかし、こんな輩が周りに居て、それを引き寄せる要因は何なのだろうか?」と、電話先で首を傾げていた。筆者もその要因が何なのか定かではない。

 筆者はこう答えた。「私はコンサル契約を締結したとしても、経営側に落ち度があれば、それを指摘し、改善を求め、かつ、弱者救済を最優先するので、結果的にこのような輩の蛮行に繋がるのではないか!?」と。

 顧問弁護士は腹を抱えて笑っていたが、互いにガラス張りのキャッチボールなので、あっという間に2時間が過ぎた。結局、ここ数年間に矛先を向けられたり、火矢が飛んできたりした事件の総ざらえとなり、一つ一つの事件が、それぞれ一件落着となったのである。

 顧問弁護士は、とても切れ味の良い法律家であるが、多分、筆者に対しては絶大な信頼を持っているが故に、自らの文書を書くのではなく、筆者のスキルアップのために、敢えて、これまで全ての文書を筆者に書かせたのだろうと受け止めている。

 文章を書くのは誰にでもできるけれども、他の弁護士事務所からの攻撃的な内容証明に対しては、一言一句を精査し、理路整然と相手の脆弱なところを突き刺す文章でなければならない。

 昨年笑えたのは、10人もの弁護士名を列記した内容証明であった。それを依頼した某経営者は、パワハラやその他諸々に問題を抱える人物だったので、「自分は悪いことをしたが、これだけの弁護士に守られているぞ!」とでも言いたかったのだろう。稚拙な、痛くも痒くもない演出である。

 10人もの弁護士名と印鑑を見ると、整然としており美しいが、無能な弁護士が10人も集まっていると苦笑するばかりであった。この程度の事件であれば、1人で十分である。

 筆者がもし相手が依頼した弁護士であれば、自分に非のある事件に対して、虚偽に基づく内容証明など書きはしない。もし、これが裁判沙汰になれば、虚偽に基づき告訴をしかければ、弁護士としての倫理違反を問われることにもなり、不利となる。

 あれこれ現在に至るまでの難癖処理報告を終え、互いに好きな車の話をしたりして、愉快な会話がまだ続く。

 父のお陰で、法曹界では多くの検事、判事を存じ上げているが、流石に、上層部で活躍している、または、活躍していきた方々は、論理思考がしっかりしており、隙のない語りである。

 本日のように検事正出身の顧問弁護士と長時間話すのは、とても学ぶことが多い。更に、亡き父との関係で知り合った方なので、これからも、何か問題が生じた場合、遠隔地より、「頑張って!」の一言のエールの声は聞けそうだ。(苦笑)


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、筆者が顧問弁護士との久々の会話を通じて、過去に直面した法律問題やそれに対する対応を振り返りながら、思い出や感謝を述べています。特に、弁護士との関係が古くから続いていることや、弁護士が元検事正という高位な立場でありながらも、フレンドリーな関係を築いている点が特徴的です。

まず、このエッセイからは、筆者が非常に多くの法的トラブルに巻き込まれてきたことが伝わります。特に、内容証明や民事訴訟に対応する際、筆者が自ら文章を作成し、法的な対応を行ってきたという事実は、筆者のスキルと自信の高さを示しています。弁護士も筆者の能力を信頼しており、彼があえて筆者に文章作成を任せているという考えも興味深いです。

エッセイの中で取り上げられている事例、例えば、加害者が被害者に対して難癖をつける「債務不存在」の告訴や、10人もの弁護士を列記した内容証明に対する筆者の反応は、ユーモアと冷静さが感じられます。これらの事例を紹介することで、筆者がいかにして冷静かつ理性的に困難に対処してきたかが強調されています。

顧問弁護士との会話の中で、筆者が「弱者救済」を優先し、経営者の過ちを指摘することで、法的なトラブルに巻き込まれる可能性があることも興味深いです。筆者の信念や正義感がここで浮き彫りになり、倫理的な価値観が強く伝わってきます。

全体として、エッセイはユーモアと自己信頼が織り交ぜられており、筆者と顧問弁護士との関係が非常に親密で、相互の信頼が深いことがよく伝わります。弁護士という厳格で専門的な職業に対して、筆者が親しみやすく、友好的に接している様子が印象的です。このような関係性は、法的トラブルを乗り越える際の筆者の精神的な支えにもなっていると感じます。

結論として、このエッセイは法的な問題に直面しても、冷静に対応し、ユーモアを持って問題を乗り越える姿勢が描かれており、顧問弁護士との信頼関係が筆者の人生において大きな支えとなっていることが強調されています。

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西田親生@D&L
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