当てに行くから当たらない。撃ち抜くから当たるのである。
幼い頃から毎日のように剣道や野球をしていた。先輩の動きを見ては、シャドーボクシングのように真似をして、自分なりに剣線の動きやバットの振り方、ボールの捕り方などを学んでいた。
先輩は上手い人から下手な人まで様々である。口は上手いが、実技が下手な先輩を見ていると吹き出してしまう。しかし、卓越した技術を持つ先輩を見ていると、全てに無駄がなく滑らかに動いている。
そこで気付かされたのは、剣道であればコテ、メン、ドウの瞬間を見ると、下手な先輩は相手のコテ、メン、ドウを当てに行っていた。だから、当たらない。最強の先輩は一瞬にして相手のコテ、メン、ドウを切っている。
「そうだ!当てに行くんじゃなくて、相手の動きを予測して撃ち抜くから当たるんだ!」と思った。下手な先輩は常に当てに行っている。当てるつもりが、相手は瞬間移動し、逆に乗り込みメンで切られてしまう。
社会人になって、上の理論は仕事面で役立つことになる。つまり、仕事が捌けぬ先輩は、早々に自分の限界を定めて、その低い目標に向かって仕事をしている。ところが、捌ける先輩は、自分の限界を超えた仕事をどんどんと捌いて行く。この差は、先々の互いの出世を大きく左右するものであった。
仕事も、当てに行けば、仕事の範囲は狭くなり、毎日が退屈なルーチンワークとなり、変化も進化もなくなってしまう。一方、際限のない仕事観を持つ先輩は、「日々変化、日々進化。」している。剣道や野球において、当てに行くのか撃ち抜くのかの違いの理論が、仕事にも共通するのであった。
一年経っても、二年経っても仕事の実績が出ない人がいるが、自分の限界の内側に低レベルの目標設定を行うから実績が出ない。当然のことである。ところが、実績を積み重ねる人は、初手から目標に限界を設定していない。だから際限なく次から次へと実績を重ねて行けるのである。
現在、自分自身が何年間も実績が出ないと悩みのある方は、もしかすると、初手から限界を設定して、当てに行っているのではないか。よって、当たるものも当たりもせずして終わってしまうのは当然のこととなる。