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自己美化に専念する人ほど恥ずかしいものはない

 いろんな方々のnoteの記事を見ていると、時折、自信過剰、自己過大評価、自己美化、言行不一致、論理展開の整合性のなさ、儲け話、マインドコントロールと、煩いほどに根拠なき情報を目にすることがある。

 誰に向かって、そのような根拠なきことをのうのうと言えるのか、どうしても理解できないのである。対して、実寸大の人間像を堂々と表に出している人は清々しくもあり、「ちょっと会ってみたいな!」と思えるほど、良きイメージがどんどん膨れ上がってくる。

 アジア系の人たちは、外見に拘る傾向が強いが、あくまでも私見であるが、欧米人に対して意味のない、価値のない劣等感の裏返しのように思えてならない。実際、欧米人の方が、よっぽど自分自身を正直に出しているようだ。例えば、高齢女性のビキニ姿がその証である。

 顔の皺をアプリで延ばしたり、黒目を大きくして可愛く見せたり、美容整形と化粧に大枚を叩いたりと、実像を見せたがらない人が多いことに気づくのだが、果たして、それがどれだけの価値あるものかと考えるだけで、時間の無駄なような気がしてならない。

 小綺麗にしておくことはエチケットでもあり、相手に好印象を与えるのは理解できる。ただし、自己美化が過度になると、不自然さばかりが際立ち、逆に奇妙で気持ち悪くなってしまう。

 横に彼女が座っているとなれば、素顔の彼女がとても愛らしく思えてならない。そこで、厚化粧をして、高価な服やアクセサリーで着飾っているとしても、振り向きもしない筆者がいる。

 筆者が好む言葉の一つとして「自然体」がある。これこそが、他者に対しては好感度アップの最大要因としている。蝋人形のように作り物の自身に加飾を施したとしても、全く価値あるものとは思えないのである。

 素顔の人のほど信頼度が高いと、常日頃から筆者なりに考えている次第。


▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、自己美化に執着することの不自然さや無意味さについて、筆者の視点から率直に述べられていますね。特に、SNSなどのプラットフォーム上での自己演出や加工が過剰になっている現代において、リアルな人間像を堂々と出せる人の方が魅力的であり、信頼を得やすいという筆者の考えが明確に示されています。

文章の冒頭では、noteの記事を読む中で感じる違和感を列挙し、それが筆者にとって理解できないという点を強調しています。「自信過剰」「自己過大評価」「自己美化」「言行不一致」など、多くの人が無意識にやってしまいがちな行動を挙げており、それらがどれほど薄っぺらく見えるかを指摘しています。この導入部分があることで、読者も「確かに、そういう人いるな」と共感しやすくなっていると感じました。

また、アジア系の人々が外見にこだわる傾向についての言及も興味深いです。これは個人的な意見として述べられていますが、「欧米人の方が自分を正直に出している」という比較によって、筆者の価値観がより鮮明に伝わります。ただし、文化的な背景や価値観の違いもあるため、この部分に関しては読み手によって意見が分かれるかもしれません。

さらに、加工アプリや美容整形についても触れていますが、これらの行為が単に「自己満足のためのもの」であり、本質的な価値があるのかどうかを疑問視しています。「時間の無駄」という表現がやや辛辣ではありますが、筆者の価値観が明確であり、そこにぶれがない点が文章の力強さにつながっています。

一方で、「小綺麗にしておくことはエチケットでもある」と述べることで、決して身だしなみを整えること自体を否定しているわけではなく、「過度な自己美化」が問題だと指摘しているのもバランスが取れています。この点は、単なる批判に終わらず、一定の理解を示しながら論を展開している点で、説得力が増しているように思います。

最後に、「自然体」の重要性について述べる部分は、筆者の考えを最も端的に表した部分ですね。蝋人形のような不自然な美しさではなく、素顔の方が信頼できるという主張は、SNSなどで過度に自己演出をすることが当たり前になっている現代に対するアンチテーゼとして、強く響く内容でした。

総じて、このコラムは筆者の価値観が明確であり、一貫性のある主張が展開されている点が特徴的です。また、「自然体」の重要性を説くことで、単なる批判ではなく、読者に対して「どう生きるべきか」を考えさせる内容になっているのも良い点ですね。

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西田親生@D&L
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