
本当は、かなり不器用な人間なのかも・・・
筆者自身、幼い頃から器用な人間であると自負していたのだが・・・。
それは、幼い頃から年上の幼友達ばかりと遊びまわり、体力、機動力の訓練を受けて育ったので、体幹は強く、怪我することもなく、病気で倒れることもなく、自分自身のアクティビティには自信を持っていた。
また、アメリカの有名プロゴルファーのスウィングを見ては、それを自分の体格や筋肉量、体幹などをシミュレートして、そのスウィングを盗むことも結構得意であった。
ソフトボールの試合でも、盗塁を意識して、右投げ左打ちで臨んだり、ちょっと変わり者だったように思える。しかし、性懲りも無く、自分なりに器用な人間であると思い込んでいた。
しかし、仕事柄、乱視が酷くなり、2.0の視力にブレが生じると、今まで通りのアクティビティに、若干ズレが生じているようになったのである。
俊敏に動く人間であるが故のまさかの不器用さなのか。
例えば、靴箱から靴を取り出す初速が早すぎて、靴箱の板がささくれて、その細い針のように尖った木の針が、右手薬指の爪の中にぐさっと刺さったことがあった。
この場合、じっくりと靴箱を眺め、自分の靴をゆっくりと確認して取り出せば、ささくれた靴箱の板と喧嘩することもなく、怪我することも無い訳だ。
また、英文タイプライターで培ったブラインドタッチ。そのお陰で、パソコンを始めて手にした時には、違和感なくワープロで文書をすらすらと書けた。ところが、タイプライターはロングストロークの重いキータッチなので、その癖がついてパソコンのキーボードのリターンキーをパンパンと、叩き割ったこともある。
スラックスをやや短めにしたい時に、得意のまつり縫いで縮めるのだが、乱視が酷くなったこともあり、完成したスラックスを延そうとすると、何と、まつり縫いの糸が反対側まで縫い込んでおり、全部やり直しとなった。
そんなこんなを思い起こせば、「待てよ!自分は本当は不器用であり、これまで精神力と体力だけでカバーしてきたのか?」と自問自答したこともある。
しかし、かなりの負けず嫌いの筆者なので、心の中では「お前は器用なのだから、肩の力を抜けば、もっとスムーズに物事が動くんだよ!」と言い聞かせてい流のである。
以上、他人様にお話しするほどのものではないが、キーボードをパンパンと叩きながら、苦笑いの連続となり、この寒い深夜に冷や汗が流れ出した。
やっぱり、どう考えても、力技にて突進するばかりの不器用な人間なのであろうかと。(苦笑)
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、筆者自身の「器用さ」への自己認識とその揺らぎをユーモアを交えながら描き出しています。以下に詳しく感想を述べます。
1. 自己認識の変化が面白い視点を生む
エッセイの冒頭で、「器用な人間である」と自負していた自分が、実際には「不器用なのではないか」と疑問を持つようになるという自己認識の変化が提示されます。このギャップは読者に共感を生みやすく、誰しも経験する自己イメージと現実のズレを思い起こさせます。特に、「俊敏さゆえの不器用さ」という逆説的なテーマは新鮮で、印象的です。
2. 具体例がユーモアと親近感を与える
エッセイ中に登場するエピソードは、どれも非常に具体的で鮮明です。靴箱のささくれや、キーボードのリターンキーを壊した話、まつり縫いの失敗など、それぞれがユーモアとともに筆者の「不器用さ」を強調しています。これらの例は、単なる失敗談にとどまらず、「人間味」や「愛嬌」を感じさせます。特に、「靴箱の板との喧嘩」という表現はコミカルで、想像しやすく楽しい印象を与えます。
3. 「不器用さ」の捉え方がポジティブ
筆者は、自身の不器用さに対して悲観的になるのではなく、「精神力と体力でカバーしてきた」と振り返る一方、「肩の力を抜けばもっとスムーズにいく」と自己激励しています。このポジティブな姿勢は、読者に前向きなエネルギーを感じさせる要素です。また、「負けず嫌い」という性格が随所で感じられ、その芯の強さが文章全体に軽快さをもたらしています。
4. 「不器用」の定義を広げる哲学的要素
このエッセイは単なる失敗談ではなく、「器用さ」とは何かを問いかける哲学的な視点を含んでいます。例えば、単に作業が上手にできることだけでなく、周囲を観察し慎重に行動することも「器用さ」の一部であると暗に示しています。乱視や過去の成功体験による「思い込み」が失敗につながるというエピソードは、読者にも自身の行動を振り返る機会を与えるでしょう。
5. 筆者の文体と個性
文体は軽妙で、適度な自嘲を交えた語り口が心地よく感じられます。「キーボードをパンパン叩きながら、苦笑いの連続」という表現には、筆者のリアルな感情がこもっており、深夜に執筆する様子を想像させます。また、「(苦笑)」という括弧書きが文章全体にユーモラスなトーンを加えており、読者との距離感を縮めています。
6. 読後感
このエッセイを通じて、読者は筆者の人間的な魅力を強く感じることができます。「不器用」というテーマをユーモアとポジティブな視点で描くことで、共感と笑い、そして思考を誘発しています。特に「力技にて突進するばかりの不器用な人間」という結論に達する過程は、読者をクスッとさせると同時に、「それでもいいじゃないか」という安心感を与えてくれます。
全体的な評価
このエッセイは、日常の些細な出来事を通して自己洞察と共感を呼び起こす優れた作品です。筆者のユーモアや軽快な文体が、読者を引き込む力を持っており、日常の中で「不器用さ」を楽しむ視点を提供しています。
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