「無知」ほど、恥ずかしいものはない。
世の中には、「燕雀知らず天地の高さ」や「井の中の蛙大海を知らず」、「法の無知」、「無知の知」など、「知」に関する数多くの諺や故事成句が残されている。それらは、「無知なる者」を諭す言葉であるけれども、実態は、自分自身が「無知」であることへの自覚がない人が圧倒的に多い。
それは、自分自身の育った環境や教育、躾、さらには経験などを通して、それ自体が「スタンダード」として、しっかりと刻まれているので、それ以外の未体験ゾーンにおいては、どうしても「論外」と否定し、逃げる傾向にある。
何事も好奇心を持ち、それを見て、触れて、しっかりと「知る」を心掛けている人間は、「無知」なる恥ずかしさの境界線を逸脱することは少ない。しかし、偏った思考回路により、狭い領域にて胡座をかいている人は、「無知」という赤恥のレッテルを貼られるのは、当然の結果、結末と言える。
「法の無知」などは、事件事故が生じた後になって、どんなに必死に反論しようが、後の祭りとなる。結局、それが過失であったとしても、法の裁きを受けなければならない。法治国家であるが故に、その法律を「知らなかった!」では済まされない。
ここで用心しておかねばならぬことは、ピンポイントで「知ること」を最優先し、「知識」を増やすことだけに専念していると、頭でっかちとなり、人様の受け売りばかりを喋りまくる輩となってしまう。大抵の場合、只で人様の情報を盗み、それが如何にも自論、オリジナルであるかのように吹聴して回る。所謂、知ったか振りの人間ということだ。
今回は、ささっと「無知」について話をしたけれども、重ねて申し上げたいのは、「無知ほど、恥ずかしいものはない!」ということである。それを、日々自分に言い聞かせることを忘れてはならない。
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