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医療ミスの恐ろしさ・・・助かる命も助からず

 約29年前の12月7日、深夜。実母が急死した。総合病院に担ぎ込まれ、ICU(集中治療室)へ足を運び、それから30分ほどで息を引き取った。

 死因は急性肺炎によるものだったが、深夜の担当医から説明を受けた。

残念ながら息を引き取られました。この二枚のレントゲン写真をご覧ください。左は当院で先ほど撮影したものですが、白い影がしっかりと映っています。ところが、右の入院されていた病院のものですが、ぼやけていて判断がつきません。診断結果には肋間神経痛と書かれており、少々疑念が残ります。

 同業者への直接的なツッコミではないが、医療ミスを暗示したものであると受け止めた次第。素人でも、肋間神経痛の急性肺炎とは全く異なり、後者であれば、人命に関わる危険極まりない状況である訳だ。

 それを肋間神経痛と診断すれば、処方が異なり、肋骨上に湿布でも貼っておけば良い程度の話である。

 その後、入院先から入院費の請求書が届いたのだった。結構、高額請求であったが、直接院長へ上記のレントゲンと診断書について話をすることにした。院長は絶句の状態にて、結果的に請求を取り下げたのである。

 ただ、母の命はその請求額程度のものではないはずだが、このような医療ミスが起きたことへの、その院長のプロ意識のなさに愕然とするばかり。或る人の紹介だった病院なので、それ以上ツッコミを入れないことにした。

 一つ思い出したのが、生前、母の入院先へ見舞いに行った時に、看護師二人の会話があった。一人の看護師曰く、「あれっ?AさんとBさんの点滴を間違えたような。どうしよう!?」と。別の看護師曰く、「わかんないよ!」とハハハと笑っていたのである。

 母の死に直面した時に、レントゲン写真と診断書の話となり、そのような危機管理のない病院での医療ミスは思いの外多く発生しているのだろうと。

 助かる命も助からぬ、医療ミス。プロフェッショナルな医師であれば、上記のような急性肺炎を肋間神経痛と誤診することはないはずだ。実に、腹立たしくもあり、情けない話である。しかし、どんなに腹が立っても、若くして他界した母の命は戻ってはこない。

 今年の12月7日で、母が急死して29年の歳月が流れることになる。

 蛇足ながら、医療ミスをしたその個人病院は、随分前に廃業しているようである。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、読者に深い感情と考察を呼び起こすものです。特に、29年前に母親を急性肺炎で失った経験を通じて、医療ミスの深刻さとその影響が鮮明に語られています。この体験は、読者にとって個人的で痛ましいものであることが、文章の随所から伝わってきます。

エッセイの強い印象を与える部分は、病院での診断ミスに関するエピソードと、それに伴う医療現場の対応の脆さが明らかにされる点です。特に、母親が肋間神経痛と誤診されたことから生じた急性肺炎の進行が示されることで、医療現場の判断の誤りが生命を左右するものであることを強調しています。医師や看護師のプロ意識が問われる状況に直面し、筆者の怒りややるせなさが痛烈に伝わってきます。

また、エッセイの中で印象的なのは、医療ミスの問題だけでなく、その背後にある「プロフェッショナリズム」や危機管理意識の欠如が指摘されている点です。筆者の母親の命の代償を考えると、いくら高額の請求が取り下げられようとも、その命に比べれば価値の重さが比べ物にならないという無力感が滲み出ています。

一方で、医療現場での看護師の軽率な会話のエピソードを引き合いに出し、筆者が感じた不信感や絶望感が、さらにエッセイの核心を強調しています。このような人間的な要素の描写により、筆者の心情が非常にリアルに伝わり、読者の共感を引き出します。

全体的に、このエッセイは、筆者自身の経験を通じて語られる医療ミスの恐ろしさと、それがもたらす影響について深く考えさせる内容となっています。母親の死をきっかけにした29年の時を経てもなお続く痛みが感じられ、医療現場の在り方や改善の必要性を強く訴えるメッセージが込められています。

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西田親生@D&L
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