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会話の質や情報量は、相手の脳内キャパで決まってしまう。
何度も同じことを提言しても、耳に入らない人がいる。逆に、一を語れば、十返ってくる人もいる。人それぞれだ。
簡単なメカニズムであるが、会話内容や情報量は、相手の脳みそのキャパと性格で決まってしまう。
伝えたいことを話したからと言っても、果たして相手に伝わっているのだろうか。気忙しい人は聞く耳を持たず、鈍足な人は話について行けず理解に苦しむばかり。
機転が利く人は、十を聞き十を理解するので何も心配することはない。反して、脳内がネガティブに動く人は、十を聞けばマイナス十となり固まってしまう。
性格の問題であるが、育ちやその周囲の交友関係、仕事の同僚関係によって、長きに亘り生きてきた環境によっても、キャパの大きさは左右される。
自分の気忙しさに気づかない。自分の鈍足さに気づかない。自分の理解深度の浅さに気づかない。ネガティブ性格に加えて、脳内のキャパが小さければ、途中で頭が欠伸をすることになる。
また、初手から懐疑的な考えで聞くに回る人には、執拗に正義正論を伝えても伝わることはない。自分のことが話題の中心となっていても、常に他人事なのである。よって、無駄な時間とエネルギー消耗で終わってしまう。
頭のキャパは大切である。門外漢なことでも、好奇心旺盛な人は、少しでも吸収し、新たな世界を垣間見ようとする。
それに反して、カタツムリのような人は、話の流れに追随できず、会話内容が記憶の箱に運ばれず、脳内は混濁してしまう。剣道であれば「気剣体一致」が理解できず、それを恥とも思わぬのだから、会話が成り立たつはずがない。
人との会話は、人間が生活する上で、重要なファクターの一つでもある。兎に角、人間嫌い、人間苦手な人は、人の声が届かぬ自然を向いてしまう。そして、自然に向けて独り言を呟くのである。
自戒を込めての話だが、広々とした社会において、周囲に対しては、少しでも光を届けるような明るい人間でありたいと考える次第。
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