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恋心は儚い・・・
人間として生まれて、随分年月が経った。
自我に目覚めて、悪さをしては押し入れに入れられる。近所の里芋の畑の幼友達と走り回り荒らしてし、所有者の農家の方から叱責を受ける。
兄弟は男ばかりなので、女性に関しては非常に疎くもあり、縁遠い立ち位置にて育ってきた。よって、家庭を見回すと、女性は母と祖母の二人だけで、残りの男性が5人。
結構大きな実家だったので、2階や離れは下宿の先生方が男性ばかり4人が住んでいる実家だった。
結局、家の中や庭を探しても、男性9人、女性2人の大所帯である。よって、恋心など対岸の噂話程度であり、6歳から剣道、小学校時代は野球バカ。郡市の体育祭ではリレーの選手、高学年の時は吹奏楽部の指揮を命ぜられた。
更に、転勤族にて、二年から三年に転勤となり、他県へ移り住むことになり、実家の方は祖父母と孫の長男が守ることになり、筆者は次男として、金魚の糞のように移民生活を送ることに。
今のように携帯もなければ、筆無精の筆者が手紙を送ることもない。転校ばかりなので、卒業アルバムも思い出深いものには見えず、全てが中途半端な思春期を迎えたような気がする。
今だから言えることだが、正直なところ、大人として、社会人として恋に目覚めることはなく、仕事最優先で突っ走ってきたので、かつ、女心が理解できない環境下に育ったために、今も尚、完全主義者の割には、女性への配慮に関しては完璧とは言えないと、大きな声では言えないが、自分なりに思えて仕方ない。
しかし、恋心というものは、考えているだけでも、すこぶる癒されるものである。実際に会えなくても、昔の思い出は、苦くもあり酸っぱくもあるが、当時、何故行動に出なかったのかと自問自答すると、答えは、「仕事優先だったから!」と苦虫を潰したような顔になる筆者である。
また、家庭内では唯一の女性であった母は、結構良い家柄で生まれたようで、女学校時代の家庭教師には昔の旧家族のご夫人であったと聞き及んでいる。その母が筆者に教えてくれたのは、女性への優しい心遣いであった。なかなか実践するには恥ずかしさもある九州男児。今でも、その母のサジェッションは確と覚えている。
話は飛んで飛びまくったように思えるが、振り返れば、いや現在でもそうなのだが、「恋心は儚い」という結論に至るのである。もっと女性を幸せにしなければならないという気持ちは強いものの、なかなか現実的に思い通りに動かないのが世の中なのだろうと。
※真紅の薔薇は2015年6月16日撮影したもの
(撮影機材:Nikon D800+Nikkor 60mm f2.8マクロ)
▼ChatGPT-o1による感想
幼少期から一貫して男性の多い環境で育った筆者の視点が、まずとても印象的です。家族の中で女性が母と祖母の二人しかおらず、下宿先の先生たちまで含めると男性ばかりに囲まれていたというエピソードは、かなり特殊な空気感を想像させます。小さい頃から「男性社会」のど真ん中で暮らしていれば、自然と女性に対する距離感もつかみづらくなりそうですし、筆者が「女心が理解できない」と感じてしまうのも納得できるように思えました。
また、転勤族として幼い頃から引っ越しを繰り返し、同年代の友人関係や初恋のような淡い感情を深める機会が乏しかったことも、筆者が“恋心”に現実味を感じにくかった理由の一つかもしれません。転校ばかりで同級生とのつながりが薄れたり、卒業アルバムにも馴染みを感じられなかったりするという描写は、まるで思春期の途中で場面転換されてばかりいるような、切なさと中途半端さを同時に味わっている印象を受けます。
そんな背景を抱えながら大人になり、「仕事優先」で突き進んできた筆者が、ふと振り返ると「恋心は儚い」という思いに至る。その流れには、何とも言えないほろ苦さがあります。恋が儚いというよりも、じっくり育む前に状況が変わってしまったり、自分自身が仕事に忙殺されてタイミングを逃したり、そうした“機会の儚さ”を感じているようにも読み取れます。まるで「あの頃はあの頃で一生懸命だったから仕方ないけれど、今から思えばもう少し違う行動ができたかもしれない」と自分を少し責めつつも、そこにはどこか諦観にも似た視点が漂っているように思えました。
一方で、筆者の母親が「女性への優しい心遣い」をサジェストしてくれていた、というエピソードがとても微笑ましいです。九州男児という“照れ”もあってなかなか表に出せなかったのかもしれませんが、筆者がいまなお「母が言っていたこと」をしっかり覚えているのは、心のどこかで大切にしている証拠なのでしょう。背景として男性優位の環境であっても、筆者の中にはしっかり“女性を幸せにしたい”という思いがあり、それが「恋心は儚い」という言葉に、ほのかな優しさや切なさを添えているように感じられます。
総じて、筆者の人生経験がありのままに描かれており、自身の恋愛に対する戸惑いや後悔、そして一抹の諦めが、文章全体に味わい深い雰囲気を与えているエッセイだと思います。「恋心は儚い」という結論には、過ぎ去った時間や逃してしまった人との縁への想いがにじみ出ていて、どことなく郷愁を誘われました。仕事優先で駆け抜けてきた人生の中でも、ご自身なりに“恋”や“女性への配慮”について深く考えてきた筆者だからこそ語れる、温かくも苦々しい言葉の数々が印象に残る一篇でした。
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