車はステータスではなく、趣味の玩具。
筆者は、自分自身を若き頃よりカーキチと呼んでいた。車は、あくまでも自分の趣味の領域に存在するものであり、美女を横に乗せて自慢げに走る人とは、一線を画していた。しかし、走り屋ではなかった。
よって、ライトウェイトスポーツカーからモンスターマシンまで乗り継いできた経緯があるが、一つ一つの愛車の操舵感やロードノイズの拾い込み、コーナーでのエアサスのフラットさ、エキゾーストノートと加速感、電子制御アクティブサス、登坂力など、安全性と匠の技が見え隠れするところを楽しむために乗っていた。
ライトウェイとスポーツカーは、何といっても、当時のHONDA CR-Xである。1.5リットル車1台、1.6リットル車2台を乗り継いだ。初代のものはセミリトラクタブルライト、アウタールーフであり、最後のものはガンメタリックのグラストップのやけに走る、完成度の高い車だった。
創立80周年モデルのジャガーは、5mを超える長さで、コーナーでの尻の遅れが気になるものの、高速道路での安定感と静粛性は逸品である。されど、生活の足としては不自由にて、その後、黒のジャガーに切り替えたことを思い出す。
一時期、イギリス車に傾注し、ローバーミニ(1台)からジャガー(4台)、レンジローバースポーツ(1台)と乗り継いだものの、当時のレンジローバースポーツのエアサスと乗り心地は筆舌に尽くし難く、イギリス軍将校専用車としても活躍する車であると実感したのである。
ビートルズのポール・マッカートニーもジャガーに乗っていたようなので、当時はブリティッシュグリーンの色を考えたが、結局は、パープルが若干入ったライトシルバー、シルバー、そして黒などを乗り継いだ。
更に、仕事関係にてポルシェに乗ることになり、最初は初代カイエンSに乗ったが、どうも足回りが落ち着かなかったので、直ぐに911カレラ4に切り替えた。しかし、左ハンドルで、タイヤは前輪が245、後輪が305のレーシングタイヤを踏んでいたために、轍などではグルグルとリアが滑る現象があり、乗り心地としては硬すぎた。
よって、二世代目のカイエンGTSに切り替えたものの、筆者の愛車の歴史の中では、これがモンスターマシンであった。4.8リットルのV8、ノンターボ。しかし、405馬力を出力するエンジンを搭載しており、スーパーチャージャー搭載のレンジローバースポーツとは比較にならぬほど、見た目よりもワイルドだった。
45度傾斜の坂道を楽々登れ、腰までの深さの小川であれば、ドアから車内に水漏れすることはなく小川を横断。車内はベージュの豪華な革張りと天井はスウェード仕上げとなっており、すこぶるお気に入りの車の一つであった。
ただ、ホイルベースがそこまで長くはなかったので、走行中の静粛性と乗り心地はレンジローバースポーツとは質を異にした。しかし、迫力という点では、4連マフラーから発するエキゾーストノートは比類なきものだった。
まだまだ語りたい愛車の思い出は沢山あるが、これは、あくまでも筆者の趣味の領域であり、また、仕事関係でたまたま乗り継いだ車たちなので、自己満足の世界でしかない訳である。
巷では、どでかい高級車やスポーツカーを自慢して「車はステータスだ」と言い放つ人が多いと聞き及んでいるが、筆者の感覚とは対岸にいる人のように思えてならない。
その理由は、高級ブランドのコートやジャケット、スーツ、靴、腕時計、ネクタイ、バッグなど、それらをステータスとして人様に見せつけるようなものではなかろうと。あくまでも趣味の領域である訳で、自己満足の世界。それをわざわざ他者の目の前で格好つけても、1円も天から落ちてくることはない。
蛇足ながら、ゴルフ愛好家の方で、ケネス・スミスなどの高級ブランドのゴルフクラブ(フルセット200万円を超える)を使っていても、それを、ゴルフ場にてわざわざ自慢げに振り回すのは、ズブの素人としか言いようがない。よって、車もコスチュームも同様ではないかというのが、筆者の考えである。
今は、仕事の関係で高級車とは縁がなくなり、1.5リットルの経済的な小さな車が生活の足となっているが、現在の愛車も昔の高級車以上に可愛い存在として、自己満足に浸っている次第。何故なら、それが趣味なのだから当然のことである。
畢竟、筆者にとっては、車はステータスではなく、趣味としての玩具である。大人になっても、なかなか大人になりきれぬ子供のような性格だから仕方ない。しかし、趣味は実に楽しいもので、手入れをするだけでも、垢を落とした車を360度から舐め回すように見回す瞬間が、ストレス発散に繋がっているように思えてならないのである。
以上が、筆者の車感である。
※写真はイメージ
▼ChatGPT-o1による感想
筆者が述べる「車はステータスではなく、趣味の玩具」という考え方には、明確な芯が感じられます。多くの人は、自慢のためや他者からの評価を気にして高級車やスポーツカーを選ぶところを、筆者はひたすら「操舵感、ロードノイズ、エアサスのフラットさ、エキゾーストノート」といった“走り”や“車の持つ個性”そのものを楽しんでいる――そこに筆者の「本当の車好き」が垣間見えます。
以下では、その印象をさらに詳しく掘り下げます。
1. 車の“感触”を味わうという真髄
筆者はライトウェイトスポーツカーからモンスターマシンまで、相当数の車に乗ってきた経験を語っていますが、どのエピソードにも「走りそのものを愛でる視点」がはっきりと現れています。CR-Xのハンドリングの楽しさやロードノイズ、ジャガーの高速走行時の安定感と静粛性、ポルシェの迫力あるエキゾーストノート――いずれも、誰かに見せびらかすための“ブランド性”ではなく、「自分がどれだけ走りの質を楽しめるか」にフォーカスされている。
この点こそ、筆者が「車を操る喜び」を真に理解している証左であり、「ステータスではなく、趣味の玩具」と断言できるゆえんなのだと感じます。
2. ステータスとしての車と、趣味としての車
本文後半で触れている「どでかい高級車を自慢して“車はステータスだ”と言い放つ人」への視線には、筆者なりの違和感が明確に示されています。
ブランド品や高級時計と同様、それらはあくまでも趣味や自己満足として持つもので、他人に誇示するために利用しても空虚なだけである――このメッセージは、多くの分野に通じるものがあるでしょう。ゴルフクラブやファッションなどでも同じことが言え、「高級なもの=自慢できる」という短絡的な考え方を筆者は排しているのです。
3. 仕事から趣味へのシフトと、変わらない“愛車観”
一時は仕事の関係でポルシェやレンジローバースポーツなどの“高級車”を所持していた筆者ですが、今は1.5リットルの小型車に乗っている。それでも満足感は失われず、「それが趣味だから当然」という言葉に、車好きとしてのブレない信念が感じられます。
そもそも筆者にとって、車は「大人の玩具」。「大きな少年のまま楽しめる趣味」であり、排気量やブランドロゴだけでは計り切れない愛着がそこにある。そのまなざしは、誰に評価されるものでもなく、自分自身の満足のためだけにあるのです。
4. “自己満足”の大切さ――趣味は心のオアシス
筆者は最後に、「洗車して垢を落とした愛車を360度から眺めまわす瞬間が、ストレス発散に繋がっている」と語ります。これは車好きがよく理解できる感覚ではないでしょうか。自分の手で磨いた愛車が美しく輝く姿を見るときの喜びは、数値化や他人の評価では測れない“幸福感”です。筆者はその幸福感を正々堂々と“自己満足”と言い切り、それこそが趣味の本質でもあると教えてくれます。
5. まとめ
車への純粋な愛
筆者は「走りの質」や「車そのものの味わい」を最大限に楽しんでおり、車を所有する目的が“ステータス”ではなく“趣味”にあることを強く主張しています。他者への誇示よりも、自分の満足を優先
高級ブランドや高価なゴルフクラブを所有していても、それを他人に見せびらかすのではなく、自分のために大切に使う姿勢こそが真の「大人の趣味」。そこに筆者が感じる「本物の価値観」が説得力を帯びます。変わらない車観:大人の玩具
年代や仕事環境が変わっても、「車は趣味としての玩具である」という筆者のスタンスは一貫している。そこに車への飽きない好奇心と深い愛を感じられます。
最後に「畢竟、筆者にとっては車はステータスではなく趣味の玩具」であるとの断言は、筆者が“車好き”だからこそ言える重みのあるひと言と受け取れました。車という存在を通じて「何を楽しむか」を問いかけられる、趣味の真髄を教えてくれるエッセイになっていると思います。