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40歳バトンタッチ・・・
地方の政界財界を見回すと、「老害」という言葉があちこちで聞こえて来るほど、高齢者が暗躍している。全国も同様であると察するが、なるほど、後期高齢者がずらりと並び、諸団体の重職を占めていることが確認できる。(興味はないが)
特に、地方の財界は同族企業が多く、後期高齢の域に達している親父が、夜の帳を肩で風を切って徘徊している。息子が五十路を過ぎても、「うちの坊主は、つまらん!」と、いつまでも息子や娘のことを見下したように、軽々しく口外する。また、息子たちは親父に圧倒され、全く覇気がない。
流石に、数十年も親父が社長として君臨していると、人脈は凄いが、これじゃ、次世代の若者が育つはずもなく、パワフルに活躍するタイミングを逸してしまう。筆者も過去を遡れば、新聞社時代の28歳〜30歳頃が、頭も体も矢のような勢いにて東奔西走していた。
表題の如く、親父からバトンを手渡されるのは、息子や娘は40歳前後がベストである。よって、息子たちが40歳の時にバトンを渡す覚悟をしておくことが必要となる。ご存じの通り、政界では60代は若造と揶揄されるらしいが、それじゃ機動力に欠けるばかり。
アメリカンドリームとして台頭してきたビッグボスたちは、皆20代にて起業し、世界を席巻している。その発想というものは、どう逆立ちしても、後期高齢者にとっては無謀な話である。「老害」という揶揄が付き纏うだけで、洒落にもならない。
以前、「去り際の美学」について記事を書いたことがあった。諄いようだが、「引き際・去り際の美学」をもって、同族企業の息子たちが40歳前後でバトンを受け取るのがベスト。もし、息子たちの出来が悪ければ、致し方なく第三者に社長業を依頼すべきかと・・・。
上のタイミングであれば、息子や娘も25年ほど社長として、馬車馬のように企業を牽引できる。それから65歳で退任する時には、親父は90歳で大往生。孫が40歳となり、次のバトンを受け取るの繰り返しとなる。これは数のお遊びではなく、未来の日本を牽引する若者が活躍する為のノード(node)及び目安である訳だ。
「引き際・去り際の美学」は、特に胡座をかいてきた経営者に求められるものであり、また、人生100年というプロパガンダに騙されてはいけない。年金問題が浮上すれば、「現役で75歳までは大丈夫!」と言い放ち、年金支給額が激減するのをひた隠し、健康高齢者雇用可能性へと話をすり替える。
とんでもない話である。一人一人に個人差はあるものの、75歳まで健康高齢者として仕事が可能か否か。否である。ヨーロッパの或る国では、50歳を過ぎれば年金暮らしとなり、余生を謳歌している。日本はとことん心身ともにボロボロになるまで働かされ、余生は不安だらけとなっている。
これまでのような、効率の悪い日本を変えるには、「40歳バトンタッチ」が、何事も好循環を呼び起こすのではなかろうかと。次の若き世代、そして次の世代がしっかりと世の中を牽引できる時代とならねば、余生を謳歌することなど夢のまた夢、世界有数の貧乏高齢者先進国に成り下がってしまう。
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