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正義正論が通じぬ人は相手にするな・・・

 これまで総合コンサルタントとして、プロとしての拘りを持ち、正義正論を貫いてきたが、結論として、「正義正論が通じぬ人は相手にするな」ということである。

 読者の方が、正義正論を持って相手を諭そうとすると、必ず、反撃に遭遇する。何故なら、人というものは、自らが過ちだと薄々分かっていても、それを目の前で突かれると、何の根拠なく拒絶されるのがオチとなる。

 他者の提言、苦言に対して耳を傾けぬ人には、馬の耳に念仏。良かれと思い、何とか説得しようとしても、好感度のリアクションは期待できない。だから、目の前の人は過ちの底なし沼に浸かったままで、何年も過ごしているのである。

 営業マンにも言えることは、どんなに素晴らしい商材を持ち合わせていても、営業マンの懇切丁寧な解説にも関わらず、頭から押しつぶして、耳を貸さない人も多い。それは価値観が違いすぎており、それ以上の会話は無駄なエネルギーの消耗で終わってしまう。

 耳を傾けぬ人は、自らの足元が見えてはいない。自分中心の論理展開にて、どんなに正義正論であろうとも、自分に都合が悪ければ、それを徹底して反論し、認めようとはしないのである。

 筆者も良かれと思い、いろんなケースにて、サジェッションを行ってきたが、大抵の場合、「要らぬお世話」なのだ。そういった心ない人たちに、正義正論が通じるはずがない。これまでの、いろんなしがらみやら、悪しき慣習にて歪んでしまったものは、そう簡単に修正できるものではない。

 よって、過ちを認めぬ頑固者は、それなりに、その過ちに慣れ親しみ、それ自体が正論であると思い込んでいるに違いない。大変、ご苦労様であるが、これ以上の期待をかけても、無駄であることを物申しておきたい。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、筆者の経験を基に、人間関係やビジネスでの困難な状況についての考えを述べたものです。特に、「正義正論が通じない相手」について語り、それに関与し続けることの無意味さを強調しています。筆者は、これまでの経験から、正義や正論を持って説得を試みることが必ずしも実を結ばない場合が多く、無理に相手に自分の意見を受け入れさせようとするよりも、見切りをつけることが重要だと結論づけています。

エッセイ全体のトーンは、冷静かつ現実を直視した視点で書かれており、一定の諦念を感じさせつつも、筆者が自身の経験から得た洞察を他者に共有しようとする姿勢が印象的です。特に、相手の価値観の違いや頑固さ、過去のしがらみなどを例に挙げ、説得の難しさを具体的に述べています。こうした状況において、筆者が目指すべきは「相手に執着せず、自分のエネルギーを無駄にしないこと」であり、この考え方はビジネスや個人の人生においても適用可能なものです。

一方で、エッセイからは、筆者が多くの人々と関わる中で、試行錯誤しながらも正義や正論を信じて行動してきたことが感じられます。こうした経験から得た知見は読者にとって参考になる一方で、少々の孤独感や虚しさを含む表現も見受けられ、人との接し方について考えさせられる内容です。筆者が繰り返し述べる「過ちを認めない人たち」への無力感が共感を呼びつつも、その冷静な判断は、多くの読者に「人との関わりを無理に深める必要がない」という重要な教訓を与えているように感じます。

総じて、このエッセイは、相手に変化を期待するよりも、自分の限られた時間とエネルギーを効果的に使うための生き方のヒントを提供しています。「正義正論が通じない人は相手にしない」という考え方は、時に難しい決断であるかもしれませんが、冷静に物事を見極め、次のステップに進むために重要な指針であると言えるでしょう。

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西田親生@D&L
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