『仲良しこよし』の盲点。・・・今も尚、熊本市内に存在する『高校閥』。
前職(新聞社)に入社した頃に、或る重役から「君はどこの高校だったかな!?」と問われたことがあった。
「ん?」、『どこの高校』って、そんなに大事な個人情報なのかと、瞬間的に、その問いかけ自体に違和感を持った。
実は、父が国家公務員で転勤族だったので、二、三年に1回は、必ず、引っ越しをしなければならない金魚の糞が筆者だ。
父へ、転勤先を希望することはできず、言われるがまま、なすがままの状況にて、小中高と転校を余儀なくされた。
入学したり転校したり卒業したりを繰り返し、小中高は二校ずつが履歴となっている。よって、一般的な『母校』というイメージの学校が心に存在しない。
『どこの高校』と問われると、その質問が極めて重要な問題なのかと、違和感を持つのは当然のことであった。
そこで「県外の□□高等学校へ入学し、卒業は県内の○○高等学校です。」と答えると、「おお、この会社の重役ばかりの○○高校だね。わかった、わかった!」と。
当時、新聞社には顔写真付き社員録という小冊子(現在は発刊されていない)が全社員に配布されていたが、筆者の卒業した『◯◯高等学校』出身者は、確か、筆者を含めて28人だったと記憶する。
社員録を開いて見ると、『◯◯高等学校』の先輩たちは、本社重役や関連会社の社長、会長ばかりであり、筆者は久しぶりの上から28番目の『◯◯高等学校』卒業生らしい。
社主の出身地でもある『◯◯高等学校』。なるほど、熊本市内の『高校閥』というものの存在を、その重役との遣り取りで知ることになった。
一部上場企業への就職先においても、『大学閥』が存在しているように、先輩が後輩を引っ張る仕組みが昔からあるようだが、それと同じことなのだろうと。
しかし、転校生であった筆者には、その『高校閥』はとても違和感があり、熊本市在住の『◯◯高等学校』OB会なるものも存在し、或る日突然、その総会に参加しなければならぬ状況に陥った。
会場に足を踏み入れると、若い先輩たちが受付を行い、相当数の『◯◯高等学校』OBが、会場のあちこちに輪を作っている。ソファーでは、多種多様の企業の重役になっている先輩たちが鎮座して談笑している。
先輩諸氏には大変失礼であると思ったが、次の総会からは一切足を運ぶことはなかった。在学中で顔見知りの近しい先輩、後輩ならばまだ良いが、見ず知らずの『先輩ヅラ』する人たちには、とても溶け込めなかった。
「履歴としては先輩後輩だろうが、何故、そこで後輩諸君が見知らぬ先輩諸氏へペコペコ頭を下げる必要があるのか!?」と、理解に苦しんだのである。
勿論、声を掛けられ、可愛がって頂いた先輩も数人いるが、入社したばかりの筆者は、先ずは自分の『仕事』をしっかりと捌く必要があり、仕事に関係のない方々と『先輩後輩』としての接触は不要と判断した。
学生時代を振り返れば、すこぶる『母校愛』はあるものの、同級生であっても、『なーなーの関係』で、『同級生だから信頼できる』という根拠なき『高校閥』には染まることができなかった。
全国を見ても、高校の数だけでも、相当数(約5000校)が存在する訳で、田舎の狭い熊本市内の地域において、『高校閥』の価値がどうしても見出せない。
下手すれば、『高校閥』の中で『先輩後輩』の『仲良しこよし』の関係性で、人事や仕事が左右されるのならば、これは、『依怙贔屓』、『差別』としか言いようがなく、新人諸君の中でも、『できる人間』の登用が阻害される可能性も多々あることになる。
街中のシティホテルに足を運べば、『高校閥』が看板となっている会合や会食、宴会が絶え間なく続いている。それはそれで良いことだが、筆者にとっては、全く関心のない『高校閥』となっている。
グローバルに考えれば、とても狭い領域にて、上下関係を保持してすることで、先輩諸氏にはとても心地良い社会になっているのだろうと、思うばかり。これは各人の『価値観』の問題なので、それが善い悪いの判断はできない。
以上は、『高校閥』を全面否定するものではないが、筆者にとっては『無関係』なものとして受け止めている。まあ、全国各地、特に、地方においては、同様のものは昔から沢山残っているように思うが、それはそれ、これはこれとして、一つの『社会現象』として受け止めている次第。