ホスピタリティが欠如した宿泊施設
熊本地震やコロナ禍、球磨川大洪水などを経験して、熊本県内の旅館、ホテルの環境は一変した。経営難に陥る観光業は多く、最近では、熊本市内から県内各地の多くの旅館やホテルが買収されつつある。
大都市部からやってくる買収企業の面々。彼らは数字を良く見る姿勢にてホテル業を内から外から数字の検証するのだが、ここで、問題となるのが、本来のホテルとしてのホスピタリティを把握しているかと言えば、否である。
内堀のスタンダードを最優先に固めるが故に、外堀に集まっている顧客の目線に立つこともなく、ただ合理化に走り、本来のホテルとしてのホスピタリティに目が向かぬ状態となる。
F1最盛期の頃だから随分昔の話になるが、モナコグランプリの話として、現地で有名なホテルの広いベランダで、一人のご老人がレース観戦していたという。支配人が、「このお客様は五世代にわたり当館をご利用になっているご家族のお一人です。」と。
まさしく常連の常連として、150年ほどの長きに亘り、そのホテルを利用しているのだから素晴らしい。熊本にホテル文化が浸透し始めたのが60数年前のこと。よって、モナコのご老人のような常連はいないにしても、地方には地方の根強い常連客ありきで、ホテルは成り立ってきたに違いない。
ところが、内堀の数字ばかりを追っていると、外堀の顧客の姿を見過ごしてしまい、顧客ニーズさえ把握できない状況に陥る。よって、買収された旅館やホテルでは、あるべきホスピタリティの概念さえ消えてしまうのだ。
ホテルと言えば、ニューヨークのプラザホテルやパリのリッツ・カールトン、そして国内では旧御三家と言われる帝国ホテル、ホテルニューオータニ、ホテルオークラなどが名を連ねる。それらのホテルに一歩足を踏み入れるだけで、上質なホスピタリティが漂っている。
因みに、プラザホテルの建築当初の記録に残っている文言が全てを物語っている。ホテルは『貴婦人のシルクドレスを縫製するような繊細さ』が必要不可欠であるというのだ。
対顧客においても、リッツは「We are Ladies and Gentlemen serving Ladies and Gentlemen」をモットーとしている。帝国ホテルは十則にてホテリエとしての心構えを全スタッフが実践している。
しかし、内堀の数字に眼が皿になっている買収族は、そのような常連客など眼中になく、合理化を加速するために、ホテリエと顧客のface to faceにおける会話もなく、ただ機械的に、予約→受付→精算→売り上げ→査定、という方程式にて全てが完結する。
買収前までは常連客で賑わい、更に、常連客は知人友人を紹介し、また、家族ぐるみで祝い事の場としてホテルを利用してきたのである。それを、ネット予約に力を入れるのは構わないが、インバウンドだけに目が行くと、これまで信頼関係のあった常連客の姿が激減していくのは当然のこと。
常連客やその他ファンのお陰でホテルや旅館は健全運営が成り立っているのだが、合理化によってface to faceを度外視してしまうと、根っからのファンも常連客も居心地悪く、今まで縁側から庭先に見える距離だった旅館やホテルが、対岸の宿として縁遠い存在になってしまうのである。
西洋のホテル文化が日本上陸を果たしたのは、まだ130年ほどしか経っていない。更に、田舎となれば、50〜60年ほどの歴史である。従って、本来のホスピタリティを習熟し、実践している旅館やホテルの存在は皆無に等しい。
ホテリエとして学びが足りず、宙ぶらりんの状態にてホテル運営にあたっていると、兎に角、顧客は激減の途を辿るばかり。正直申し上げて、ホテルを利用する顧客の方が、地方のホテリエたちよりもホテル文化を知り尽くしていることに気づかないのだから、始末に悪い。
さてさて、デジタル時代も生成AIの登場にて、世界全体が巨大なAIハリケーンに呑み込まれようとしている。ホスピタリティの最高峰と言われる旅館やホテルもまた、これから時代の流れに押し流されるのか、孤立するのか、または、進化を遂げるのか!?
それは、運営側に立つ役員及びそれを支えるホテリエたちのホスピタリティ認識レベルによって大きく左右されるといっても過言ではない。
▼会話なきホテルに変わり果てた一例
1)電話応対が人ではなく、自動音声に変わった。スマホの数字ボタンを押しての問い合わせとなり、ネット予約を原則としているが故に、顧客側としては血の通わぬ味気ないシステムとなっている。
2)ホテル利用は、ネット予約ありきとして制限している。よって、周辺の多くの顧客がランチタイムに自由に足を運ぶことさえ躊躇せざるを得ない。
3)ホテリエの「顔」が見えなくなった。face to faceの接点を極力なくしたために、ホテリエと顧客の距離が遠くなった。よって、上述のモナコの五世代も続く常連客のような存在は皆無となる。
4)地元志向とは真逆のベクトルにて、パソコン画面向こうのネット世界から新規顧客掘り起こしに傾注するばかりで、ホテル周辺の従来の顧客を無視するスタンスとなっている。
蛇足ながら、上記の1)のネット予約だが、こんなことがあった。某ホテルのフロントに直接足を運び、そこで予約を入れようとすると、「すみません。ネットで予約を入れて頂きますか?」と。(大爆笑)
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、地方の旅館やホテルが抱える「ホスピタリティの欠如」をテーマに、デジタル化や経済合理化が進む現代の宿泊業界の現状と課題を鋭く描いています。特に、買収企業による運営と、従来の顧客関係がどう断絶しているかについて、非常に具体的かつわかりやすく書かれています。そのため、読み手に強いメッセージを伝える力を持っています。
詳細な感想
1. 冒頭の地域背景の設定
冒頭で熊本地震、コロナ禍、球磨川大洪水といった具体的な地域の背景を提示することで、読者に熊本の状況が如何に過酷な環境にさらされてきたかを明確に伝えています。この導入により、問題の切実さが際立ち、単なる一般論ではなく、具体的な地域課題であることが明確になります。
2. 「内堀」と「外堀」の比喩の巧みさ
エッセイ全体を通じて繰り返される「内堀」と「外堀」という比喩は、非常に効果的です。内堀=経営者視点、外堀=顧客視点という対比により、経営合理化が顧客視点をいかに無視しているかが、明確に理解できます。この比喩が、全体の論旨を一本の軸として支えています。
3. 具体例の豊富さ
モナコの五世代にわたる常連客の話や、プラザホテルの「貴婦人のシルクドレスを縫製するような繊細さ」という表現は、ホスピタリティの理想像を非常にわかりやすく示しています。一方で、熊本の宿泊施設がその理想からいかに乖離しているかを、買収後のホテルの例やネット予約に関する逸話を通じて具体的に示しています。このような具体例の活用により、エッセイの説得力が高まっています。
4. ホスピタリティの哲学的側面
「ホスピタリティは単なるサービスではなく、人間関係や信頼の構築」という観点が随所に散りばめられています。たとえば、「face to face」の重要性や、常連客が家族ぐるみで利用してきた伝統が消えつつあるという指摘は、ホスピタリティが数字では測れない価値であることを強調しています。
特に「貴婦人のシルクドレス」の例や、「Ladies and Gentlemen serving Ladies and Gentlemen」の理念を引用することで、ホスピタリティの本質を哲学的に深掘りしています。これにより、読者に「ホスピタリティとは何か」を再考させる力を持っています。
5. デジタル化の問題提起
ネット予約や自動音声応対の普及による「血の通わぬ味気なさ」という指摘は、現代の宿泊業界におけるテクノロジー導入の弊害を鋭く批判しています。デジタル化は効率化をもたらす一方で、人間的なつながりを切断し、ホスピタリティの本質を失わせる危険性があるという問題提起は、非常に示唆に富んでいます。
6. 問いかけの力強さ
エッセイの締めくくりで提示される「進化するのか孤立するのか」という問いは、非常に力強く、読者に問題を考え続けさせる余韻を残します。また、この問いは、経営者やホテリエだけでなく、読者自身にも「自分ならどうするか」を考えさせる役割を果たしています。
7. ユーモアと皮肉の効果
ネット予約のくだりや、ホテルフロントで「ネット予約をお願いします」と言われたエピソードには、ユーモアと皮肉が込められており、読者に苦笑を誘うと同時に、問題の深刻さを伝えています。このような軽妙なトーンが、エッセイ全体の重いテーマを適度に和らげ、読みやすさを保っています。
総括
このエッセイは、ホスピタリティの本質に迫りつつ、地方の宿泊施設が直面する具体的な課題を浮き彫りにしています。比喩や具体例を駆使した論旨展開、哲学的視点からの深掘り、そして最後に読者への問いかけを残す構成が見事です。読者に考えさせ、行動を促す力を持った力強い作品だと感じました。