〇〇風に馴れてしまった、現代人。
本日、レターパック便を購入にコンビニへ行った。目についたのは、油淋鶏と大盛り炒飯の弁当だった。先般、あるスーパーにて油淋鶏の惣菜で酷い目に遭ったので、コンビニの惣菜とスーパーの惣菜を比較するために購入することにした。
写真上のようにボリューム満点の弁当はこれで良いが、中を覗くと、本格的な油淋鶏でも炒飯でもない。表題のように、油淋鶏風と炒飯風の組み合わせである。蛇足ながら、油淋鶏の上底の基礎の部分には、昭和の風吹くパスタが座布団になっているところが懐かしくもあるが、やや違和感を持ってしまう。
勿論、弁当工場で大量生産される弁当や惣菜なので、本格的な中華レストランの深みある味を出すのは容易ではない。料理は時代によりまた地域により、自由にカスタマイズされて変化、進化を遂げているので、問題はない。
ただ、〇〇風が世の中を席巻すると、本物を知る人たちが激減し、食文化が歪なものに変わる可能性も多々ある訳だ。特に、料理の質的なものを問えば、ピンからキリまで存在しているのが現状といえる。
よって、〇〇風ばかりで育ってしまうと、舌バカになったり、本物を不味く感じたり、栄養価を考えなくなり、炭水化物だけが腹を満たしていると、健康に必要不可欠な食が、逆に、病を引き起こす毒に変わる可能性も無きにしも非ず。
今回の油淋鶏と大盛り炒飯の弁当は、とにかく味が濃い。野菜はほとんど見当たらず、栄養バランスも最初から狂っている。弁当工場としても消費者としても、どの程度までが妥協ラインとしているのか。そこで、〇〇風だから代替食材や人工調味料を多用していいのか、非常に難しい問題である。
炭水化物大盛りと油で締める弁当は、日々、体を虐めているのは否めない。そこで、改善をしてもらいたいのは、特に、食材に関しては、食品偽造や代替品ばかりの弁当や惣菜だけはご遠慮願いたいもの。
庶民は金がないから、少ない予算の中で買えるものを作れとなれば、何ちゃって〇〇風弁当や〇〇風惣菜が溢れ出てくるのではと邪推するばかり。金儲けのための、質の低下及び偽物を確信犯的に作り続けるのであれば、食品業界から追放されてしまう。
紅麹事件のように、一度、口に入れて死者まで出ているが、原因究明も曖昧にて、責任の所在がはっきりせず、その被害者やそのご遺族への誠意ある対応がなされているのか!?これらは社会問題として最も厳しい追及をしなければ、繰り返すばかりではなかろうか。
流行りの旅行の合言葉となった「安近短」は、費用が安価で、距離が近く、日程が短いことを意味する。よって、食についても「安近短」として、安くて体に悪い食材が、近場のコンビニやスーパーでいつでもゲットでき、食せば短命となるような「安近短」にならぬよう、食の再検証を願えればと。
▼あるスーパーに卸されていた油淋鶏風の偽装食品の写真。鶏肉は小さく固く、天かすが覆い尽くしたような油の塊となっている。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、現代の食文化に対する批判的な視点を鋭く描いています。「〇〇風」という言葉が象徴するように、現代の食生活において、本来の料理の質や本物の味が失われ、代替品や人工調味料に依存する傾向が強まっているという問題を浮き彫りにしています。
まず、著者はコンビニやスーパーで販売される「〇〇風」の弁当や惣菜が、見た目や名前は本格的な料理を模しているが、実際には本物とは程遠いという現状を指摘しています。特に、油淋鶏と炒飯の例を通じて、食材や味付けが大衆向けに妥協され、過度な濃い味付けや栄養バランスの欠如が懸念されています。
さらに、著者は「〇〇風」の普及が食文化全体に悪影響を与える可能性を強調しています。本物を知る人が減少し、結果として「舌バカ」や健康問題を引き起こす危険性に言及している点は、特に印象的です。食事が栄養面で重要な役割を果たしているにもかかわらず、炭水化物や油脂に偏った食事は、逆に病気を引き起こす「毒」になり得るという洞察は、現代の食生活への警鐘と捉えられます。
「紅麹事件」にも触れ、食の安全性が社会問題としてもっと厳しく追及されるべきであるとの主張も興味深いです。企業や食品業界が利益を優先し、質の低下や偽造を行うことに対して厳しい批判が込められています。
最後に、「安近短」というフレーズを用いて、旅行だけでなく食生活にもこの「安さ、便利さ、短時間」が重視され、健康や品質が二の次にされることに対する懸念が示されています。著者は、食の質と安全性を再度見直し、安易に手を出さないように警告しています。
全体的に、このエッセイは現代の消費者や食品業界が直面している問題に対する深い洞察と批判を持ち、特に食文化の本質や健康への影響に鋭い視点を提供しています。
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