我々はもっと学ばなければ、迷走を続ける国政を変えることはできない。
NHKの国会答弁で、段々と俯き加減で書類を読むのに必死となる首相の姿を見ると、迷走していることが読み取れる。自らの秘策もなく、これほど悪い内閣支持率に対して、改善の余地なしの状態ではないか。
国、都道府県、そして基礎自治体である市町村の縦横斜めのコンセンサスが取れず、助成金にしても補助金にしても、新たなデジタルの仕組みにしても、コロナ対策においてもトラブルの連続であり、中途半端なまま有耶無耶になっている。それも全て「金」の話である。
これほど経済政策にスキルのない政権を見たことはない。一言、一言が重苦しく切れ味が悪い。何の解決策もなく、行き当たりばったりで、モルモット(国民)の実験をしているのかと、疑いたくもなる。
「先生」と呼ばれる人たちは、数の論理で権力さえ握れば良いと思っている。「先生」と呼ばれる人たちが、どれほど高度なスキルを持ち合わせているか疑わしい。門外漢の国会議員が大臣になるのは、理解に苦しむばかり。国民の生の声に耳を傾け、大改革を行うという熱意が欲しい。
既に時代錯誤となった現在の政治スタイルは腐るばかりか、日本国内を底なし沼へと引き摺り込んでいる。戦後、民主主義国家として生まれ変わり、高度成長を遂げてきた日本が、今や、インバウンドで諸外国の人たちに雨乞いしている状況である。実に、情けない。
このように、日本人が低民度であるかの認識のなさは、我々も含めた、今の現代人の感覚である。年金制度も破綻しており、税制も迷走に逆走を続け、この20年先の国内中小零細企業は、ほとんど姿を消してしまう。
日本の政治は、曖昧なことが罷り通る。よって、国会答弁を例に挙げても、暈かしや含み、更には知らぬ存ぜぬの正当化など、奥歯に物が挟まったような生ぬるい答弁が多い。白か黒かはっきりした事実を述べなければならぬという倫理規定を再認識すべきである。
野党側も与党の政策への反論を中心に行うことが多いが、それも、非常に時間の無駄であり、生産性のないものとして、耳を塞ぎたくもなってしまう。要は、昰か非か、白か黒か、善か悪かである。国会運営も旧態依然としており、NHKで放送される内容としては、通信網の無駄遣いとなってしまう。
自戒を込めての話だが、我々国民はもっと学ばなければならない。当てにならない「先生」に縋り付いて優遇されるような儚い夢を追うよりも、国民全体がレベルアップしなければ、国政を監視することなどできる話ではない。
行政においても、デジタル化の波は来ているものの、複雑多岐にわたる書類が、現代の世の中に必要なのか。要らぬ通信費(封筒代や切手代)を削減すれば、どれだけの予算が浮くのかなど、重箱の隅まで検証すれば、目の前の消費税云々よりも、早期に財源が確保できはしないかと。
税金の使途については、無駄遣いが常態化しており、それに盲目的に同じ繰り返しをしても、国政が改善されることもなく、国民の生活が安定し穏やかで豊かな国になるはずはないのである。