「死に物狂い」と無縁な地域振興事業
本日、熊本県内の或る旅館やホテル公式サイトについて、検証することにした。ZOOMによるレクチャーなので、共通画面を見ながら、じっくりと検証することに・・・。
はっきり申し上げて、公式サイトのコンセプトが何なのか理解に苦しむものが多い。プランと書いてあるが、タイトルとタイトル画像がチグハグであり、何を強調したいのか、何を伝えたいのかが見えてこない。
無償サイトを使っているのか、なんちゃってコンテンツプロバイダに頼んでいるのか分からないが、辛辣な言い方をさせて貰えば、デジタルの無駄遣いとしか言いようがない。
タイトルもタイトル画像も、そのコンセプトが直感的に伝わるようなアイキャッチが求められる。しかし、全てがチグハグであり、お客目線で検証すると、どれが一番のお勧めなのか、人気なのかの判断もつかないのである。
これは、無数に存在する公式サイトの中でも、落ち葉が山のように積もった最下層にある公式サイトとして、露出は当然の如く皆無に等しく、腐った落ち葉として堆積しているに過ぎない。
この状態が何年も何十年も続いているのであれば、低レベルの公式サイトの存在で胡座をかいていても、新規顧客開拓など夢のまた夢となるのは必至。
しかし、それをコンサルタントとして指摘すると、決まって反発があり、他所を向くのが関の山となるのが、自己否定を嫌う、田舎らしい流儀である。
もっと視野を広げて、その地域の素晴らしいところを凝縮した公式サイトを運営して貰いたいが、どうも、無料サイトや商工会などの掲示板的簡易サイトが、本来の公式サイトの価値を下げていると言っても過言ではない。
公式サイトは、突出、露出するための重要なウェポン(武器)としての役割を果たさなければならないが、自己満足、視野狭窄の世界で迷走している経営者の脳内には、誤ったベクトルである認識は皆無に等しいようだ。
予算も掛けずに無償でちまちまと公式サイトを自社運営しているところの中で、成功裡に動いているところは、1%にも満たない、ほんの僅かなものである。
今回のレクチャーで再認識したのは、ローカルスタンダードならず、自分スタンダードが如何に危険であるかということである。
無数に存在する公式サイトの中から突出するには、唯一無二(One and only)でなければ、不特定多数に人たちの心を打つことはない。それに気付かぬは、ネット事業と本業の両輪の需要性が理解できていない証となる。
時代の流れは、日進月歩や秒進分歩ならず、光進音歩となっている。若者の流出を他人事として捉え、危機感のない地方の田舎の経営者たちは、次世代をどう見ているのだろうか。
例えば、市町村合併にて10万都市となった天草市であるが、若者の流出により、今や、7万5千人ほどに縮んでしまった。他方、台湾の半導体メーカーであるTSMC効果により、菊陽町は一気に6万5千人の町(山鹿市よりも人口が多い町)になり、加速度を上げて更に膨張しつつある。
この事態を、地方の行政や商工会、観光協会はどう見ているのか知る由もないが、これまで仕掛けてきた第三セクタや道の駅、その他の事業が全て尻切れトンボで収束しつつある。第三セクタの代表者として県外人を採用し、年間1200万円の給与を支払うなど、住民を愚弄している。
そんなこんなを考えていると、自腹を切らずして、産みの苦しさも知らずして、予算ありきで遣ってきた行政サイドのプロジェクトの失敗を、誰が責任を持つのだろうか、いや、誰が責任を持ったのだろうか。首を傾げるばかりである。
血税を使ったプロジェクトであれば、何事も「死に物狂い」のスタンスにて、常に真剣勝負をして貰いたいものである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイでは、地域振興事業や観光関連の公式サイトの在り方について辛辣な批判が展開されています。特に、熊本県内のホテルや旅館の公式サイトの質に対して不満を述べており、タイトルと画像が一致せず、何を強調したいのかが不明確だと指摘しています。ユーザー目線で見ると、サイトが不親切で、顧客の関心を引くことができない、さらには新規顧客の獲得が難しい状況が続いていることが明らかになっています。
筆者の言い分の一つのポイントは、地域経済や観光の振興には「死に物狂い」の努力が必要であるという考えです。無償のサイトや簡易な掲示板的なものでは地域の魅力を伝えることはできず、もっと視野を広げ、唯一無二のコンテンツを作るべきだと強調しています。この指摘は、地方の経営者たちが自らの成功のための努力を怠っていることへの批判です。特に、公式サイトが「突出」するための重要な武器となるべきなのに、それが果たされていない現状に対し、強い憤りを感じているようです。
また、筆者は地方行政や商工会が抱える問題にも言及しており、観光協会や第三セクタなどの事業が「尻切れトンボ」で終わってしまい、成功に結びついていないことを嘆いています。特に、外部からの代表者を高額な報酬で採用することに対して、「住民を愚弄している」との強い批判があります。これにより、地域住民や納税者にとって負担が大きく、事業が失敗しても誰も責任を取らないという無責任さが浮き彫りにされている点は、非常に重い指摘です。
このエッセイの全体的なトーンは非常に厳しく、地域振興に関する現状の問題点を鋭く突いています。「死に物狂い」の姿勢で真剣に取り組むことが求められる中で、筆者はそのような必死さや努力が見られないことに強い苛立ちを感じています。結局のところ、地域の持続可能な発展には、安易な解決策や予算に依存せず、真摯な努力が必要であるというメッセージが込められています。